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  • from: クマドンさん

    2019年09月28日 11時47分13秒

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    コトバで生かされる

    コトバなんだなぁと、ヨガをしながら気付いた。
    私は、コトバで動かされている。
    私は、コトバに従い、コトバのままに動いている。
    つまり、コトバは私を動かす働きになっている。

    マスターが言う。「右の膝を曲げて、左の足を後ろに伸ばしましょう」
    私は、そうする。そう動く。
    マスターが言う。「仰向けになりましょう。両足を上に伸ばしましょう」
    私は、そうする。そう動く。
    気付いたら、私は、マスターの動きを真似るのではなく、
    マスターのコトバのままに動かされていた。
    私は、マスターを見てはいない。
    時には、目を閉じて身体との対話をしている。

    それなのに、私は、マスターの思い通りに動かされている。
    マスターが言う。「右足に左足を乗せましょう」
    私は、そうする。しかし、細かな部分で不明だったら、目を開ける。
    時には、隣の彼女の動きを見て、正しい動きを確認する。

    マスターは、そのイメージのままのポーズで静止する。
    それはそれはバランスのとれた美しすぎるポーズだった。
    私は、そのポーズを真似る。
    その時、マスターは言う。「足の裏で天井を支えるつもりでやりましょうと」
    私は、その気持ちになって、右足をぐっと天井に向けて伸ばす。
    マスターのコトバのままだ。

    身体は、コトバによって動かされている。
    マスターの言った通りに、自分の身体を動かしている。
    その時、無心だ。
    私のコトバで私の身体が動かされてはいないからだ。
    この全身は、この両手両足は、マスターのコトバによって動かされる。
    そのこと自体が、私を無心にし、時のたつのを忘れるほどに集中させる。

    私は、コトバによって動かされていた。

    それでは、コトバが動かせるのは身体だけなのか。
    いや、そうではないことに、私は、気付いた。
    私の生き方。私の心の在り方。人に対する接し方。話し方。かかわり方。
    そうした内面にあって目には決して見えないものも、
    コトバによって動かされている。

    私は、イエス様のコトバで生かされている。
    私は、賢治さんのコトバで生かされている。
    私は、親鸞のコトバで生かされている。
    私は、道元のコトバで生かされている。

    実は、私は、この生き方をコトバによって示され、教えられ、励まされて、
    今、ここまで生きて来たのではなかったのかという、気付きだった。
    身体がコトバで動かされているように、
    私の人生は、コトバの働きで培われ、育てられ、
    生かされているのではないだろうか。

    たまたま私は尊敬できる善きマスターを得た。
    たから、身体がコトバによって動かされ、日々、成長を遂げている。
    確かに62歳の身体なのだが、されど62歳の身体なんだな。
    インナーマッスルが鍛えられ、体幹がしっかりとしている。
    少々体重は多めだが、胸や肩、太腿の筋肉はしっかりと逞しい。
    これは、マスターの教えを忠実に守り、日々、実践しているからだ。

    その身体と同じことが、魂にも言える。
    私は、魂のマスターのコトバを信じ、かく生きようと心から願う者である。
    コトバがコトバとして私に語り掛けて来る事実を実感している。
    私のために、私だけに言われたコトバは、
    ヨガマスターのコトバと同じように、私を内から働かす。
    コトバの通りに生きようと思う。
    そうありたいと心から願う。
    すると、ヨガと同じように、無心に生きられる。

    他人の目を気にすることも、他人の評価を気にすることもなくなった。
    他人は他人。私は私。
    本当にいろいろなことを言って来る人たちがいるが、
    私は、仕方ないと諦めている。
    それよりも、そんなことよりも、このコトバに忠実に生きることだ。
    もうここからは、このコトバしかない。

    では、そのコトバは、今も、ここで、聴こえるのかと問われたら、
    ちゃんとここで、そのコトバは聴こえると、言える。
    そして、そのコトバは、
    消えたことも、なくなったことも、存在しなくなったこともない。
    ずっとずっとここに在り続け、これからもいつまでもいつまでも在り続ける。
    私は、そのコトバの中に生かされている独りの人だ。

    そのコトバの顕れでないものは一つもこの世には存在しないからだ。
    そして、私もそのコトバの顕れの1つに過ぎない。
    ただし、ヨガマスターのコトバのように、
    私は、まだまだ完成までには長い道程が必要な途上の人である。
    だから、日々、ヨガを修業する。その修業を自分自身に課している。
    そして、一歩一歩あのマスターの美しいポーズに近づく努力をしている。

    それと生き方とは同じことなんだ。
    内なる声・コトバを聴く。
    自分を捨てて、無心にならないと、そのコトバは、魂には響かない。
    そして、多くの試練によって、粉々に踏みつぶされ、どこにも居なくなった私。
    その瞬間に、人は、生きるの初心に還る。
    その時、コトバが聴こえる。
    「大丈夫」「信じなさい」「歩きなさい」「自分らしく」「まっすぐに」だな。
    後は、ヨガマスターのコトバなんだ。
    コトバのままに、ただそのコトバを信じて生きる。

    昨日のことは、思い煩わず、明日のことは、心配しないで。
    今、ここに、聴こえるコトバだけを信じて生きる。
    この先は、後は、信ずるマスターにお任せすればそれでいい。
    力を入れない。脱力する。

    心身脱力・脱力心身。
    私の計らいを無にする。
    全てを委ねる。信じて生きる。

    このシンプルな生き方こそ、マスターが教える生き方なんだな。
    そのコトバに忠実に生きる。
    そのコトバになる。
    そのコトバが私になる。
    私は、コトバだと言える生き方をする。

    ヨガをしながら、一気にここまでの覚醒だった。

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