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  • from: クマドンさん

    2019年09月30日 05時37分14秒

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    一元で生かされている魂の私なんだな

    さてさて、日曜日の朝、防災訓練の為に消防署前に集合だった。
    そしたら、我が家の向かいのHさんに言われた。
    「昨日、すごい声が聴こえたよ。ラグビーでしょう」だった。
    そうなんだな。
    私は夢中になるとその中に入り込み、
    我が家の部屋はそのままスタジアムと化してしまう。
    声援と歓喜は、並大抵のものではないようだ。
    私の声で、道路を挟んだ向かいのHさんは、
    アルビのシュートが分かると言うのだ。
    「ご迷惑をかけてごめんなさい」だったが、
    「いいよ、いいよ、いつものことだから」と、彼女は笑って堪えてくれた。

    小千谷のSさんとの話だった。
    彼は、前日に月のクレーターを望遠鏡で観て、
    翌日、朝日に包まれた瞬間、ぱっと「これでいかったんだ」と、気付いたそうだ。
    何も考えたり、悩んだりすることもなく、
    ただ、このまんまでいいんだと、自覚した。
    そしたら、すごく心も身体も軽くなり、
    すーっと自由に生かされている喜びを感じ、
    嬉しくて、嬉しくてたまらなくなったと話していた。

    「ああ、いいなぁ。私も、そんな日を迎えたいなぁ」と、羨ましくもなった。
    しかし、それは、きっと魂が求める本当の姿なんだと感じた。

    今、私は、あちらこちらに不義理をしている。
    あちらこちらから手を引き、身軽になろうと努力している。
    それはとやかく言われることがいやだからでもあるが、
    そうではないのではないかと、最近、思えるようになった。

    独りになる。
    そのことが、何だか心地よく、気持ちよくなったからではないかと思っている。
    みんなは、きっと独りは、寂しく、辛いなぁと思うのかもしれない。
    それは、そうなのだが、私は、みんなの中に居ることが、
    時々、辛くなってしまうことが多い。
    理屈だったり、世間だったり、みんながそうだからだったり、頭でっかちだったり、
    時には、それが偽善に感じられたり、見かけだけの嘘のように感ずることもある。

    その人たちとの意志の疎通を図らねばならないのだろうが、
    根本的に考え方や生き方が違う人たちと、
    一体何を語りあえば、心地よく、気持ちよくなると言うのだろうか。
    当たり障りの無い世間話か。本音を隠した建前の話か。
    または、一方的に語られる「俺が」の話を聴くだけか。
    何だか、そういう語り・対話に「意味」を感じなくなってしまったようなんだ。

    全てのことには、「意味」があった。
    自分の人生を振り返って見たら、みんな何かの役に立ち、「意味」があった。
    生きて来てよかった。歳をとってよかった。
    そのことに生きている間に、そのことに気付いてよかった。よかった。
    Sさんとは、そこで深く深く繋がっている。

    その魂のあるがままの話に、自他は存在しなくなる。
    一元の私。
    私は、一元の私であり、Sさんも一元の私。
    つまり、全てのものは、この一元の働きによって生み出されたものであるから、
    私も、Sさんも、同じ一元。それは、等しく。同じ私。
    そこに気付くと、一元を感じて生きている人とは、
    例え、初対面の人であろうとも、何かお互いの大事な一元を語り合える。
    そんな信頼感と安心感と、語り合える喜びを感じられる。
    それは、その人が、同じ一元の人だからだ。

    そして、万物は、全てこの一元の働きによってここに存在しているという真実。
    Sさんは、小千谷の自然を二本のストックをつき、四足歩行で巡り巡る。
    その時、目の当たりにする信濃川や山本山や田んぼや森の風景を目の当たりにする。
    今朝も、こうして朝焼けの訪れだ。
    Sさんは、今頃、田んぼのあぜ道をせっせと歩き続けているはずだ。
    そして、瞬間、瞬間に、魂が何かのきっかけで弾けて、輝くことを感じているはすだ。
    「そうか。そうだったんだ」
    「そうか、これでいかったんだな」
    それは、同じ一元から生まれ、滔々とした時間の流れを経て来た自然に、命に、
    彼が、感得させられ、どんとそのものに成りきる瞬間でもある。

    私たちの話は、理屈ではなく、説明でもなく、目に見えるものでもなかった。
    その一元でありつつ、お互いが感じたことを語り合うと、
    そこに深い深い共感が生まれる。
    その感じは、Sさんの感じと、私の感じと別物の感じではない。
    Sさんが私になり、私がSさんになる。
    全く同一・一元なのだから、そこにどんな違いがあると言うのかだ。

    万物斉同と言う。
    やっとそのことが分かった気がした。
    ならば、何も姑息に考え悩むことはない。
    自然の命があるがままで滔々と永遠に生かされるように、
    私の命もその一元から生まれ、育まれているのだから、
    ただ、全てを委ねて、お任せしておればそれでいいんだ。

    Sさんも、言っていた。
    「何もいらなくなったな。余計なものを欲しくはなくなったな」
    「今、ある。これでいいがな」
    Sさんには、小千谷の大自然が師として存在している。
    私には、この小さな庭が、その自然の師である。
    Sさんも、私もその自然と一元。

    自分の「自」は、自然の「自」だ。
    自然は、何も語らず、あるがままの泰然自若。だから、自ずから然りだ。
    私は、やっぱりその然りを忘れ、見失っていた。
    だから、余計な物ものを捨てながら、どこかを空っぽにしながら、
    その然りなんだを了解する。つまり、分かる。それで「自分」だ。

    個別であるが一つである。
    「魂」はたった一つだ。
    その一つから生まれた個である。
    だから、深く深くに還ると言うことは、
    個からその一元と言う普遍に還ることだ。
    そこは、落ち着く。気持ちいい。もうここからは出たくない。
    だから、独りで生きる。それが、いい。
    Sさんもそう思って、今もきっと、黙々と大自然の中を四足歩行だ。

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