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  • from: クマドンさん

    2019年10月21日 05時40分39秒

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    独りで生きる力を

    ラグビーが負けた。
    南アフリカは鉄壁のデフェンスだった。
    後半は、自陣での辛い辛いラグビーが続いた。
    それでも一歩でも前に進む。
    その姿に、どんだけ勇気をもらったことか分からない。

    「にわか」と言われている。
    さすがにジャージは買っていないが、
    我が家では昨夜の試合は、家族での観戦だった。
    それほど私たちの心をつかみ、夢中にさせる何かがラグビーにはあった。
    私もそうだ。

    倒されても、倒されても、立ち上がって、攻撃に参加する。
    瞬時に状況判断して、その瞬間の役割を自ら決める。
    弱いところがあったら、サポートに廻り、
    押している力の中に入り、私もその力の1つとなる。
    大男が突進して来る。タックルに向かう恐怖心を克服だ。
    そして、倒されても、倒れても、立ち上がる。
    そして、ファイテングスピリット。
    闘いはノーサイドまで続く。

    先週の金曜日に、私の大きな試合は、終了した。
    あれがきっと私の人生で最後の研究授業となると想う。
    この仕事には退職後は、戻らないつもりだった。
    半年間、遊んだ。
    というか、それまで自分が平日できなかったことをやった。
    面白かった。いろいろ学んだ。そして、自分が豊かになっことを感じた。
    しかし、呼び出された。
    現役を引退したラガーマンが、再び復帰したようなものだった。

    その時、職場と人とが、違って見えた。
    客観的に、冷静に、自分の想いではなく、あるがままにそれが見えた。
    そのことは、私にとっては驚きだった。
    そして、とてもとてもそのことを新鮮に感じられた。
    疾風怒濤の中で先生たちは、自らの命を削って仕事をしていた。
    山のように積まれた目の前に来る仕事を、
    次々と処理することでいっぱい、いっぱいだった。
    私は、そんな姿を見て、かっての私のことを思い出した。

    「もう、それはやらない」
    「ゆっくりとやる。できることだけをやる。無理はしない」だった。
    そして、いつの間にか一年と一カ月がたっていた。
    私の仕事は、来年の三月までだ。
    そこに至ったら、あの子たちを卒業させて、きっぱりと引退する。

    それは、この仕事に就かれたからではない。
    この仕事は、私にとっての天職だったと、改めて感じている。
    だから、子どもたちとは、ずっとずっと何かでかかわっていたい。
    しかし、組織の中で、過剰な仕事の中で、子どもたちと向き合うことは、
    やっぱり、もういいと、心で想っている。

    昨日、Sさんと、久しぶりの電話だった。
    彼の82歳での気付きと発見だった。
    彼は、原点に戻った。
    自然のあるがままに回帰した。
    そのことが「とてもとても嬉しい」と言っていた。
    幾つになっても「日々新た」なんだ。

    「続けない」ことが大切だと、歳をとって想っている。
    それは、続けるためだけに、苦労することがもう嫌だと感ずるからだ。
    綴れるために、誰かが難儀しなければならない。
    続けることの意味は知っていても、
    その仕事を自分が任されることに大きなストレスを感じたら、
    私は、降りることにした。

    畑の事務局がそうだった。平日、動けない。それでも、動けと言われる。
    そのことに耐えられなかった。ストレスだった。
    「事務局の仕事だ」「早く出せ」では、何の為にリタイヤしたのか分からなかった。
    M委員もそうだ。どんだけ断り、無理だと言っても、
    「成り手が無いから」と頭を下げられた。
    「平日の会議は、俺が出るから」と、まんまと騙された。
    調査や訪問が定期的にあることなんか、聴かされていなかった。
    そして、私に頼んだその本人が、
    「あいつは、自分からやると言っておきながら、やる気のない無責任なやつだ」と、
    あちらこちらで私の悪口を言いふらしている。
    これが、世間だ。世の中だ。

    私は、そこからも降りることにした。
    心静かに、穏やかに暮らしたい。
    地域活動からは、一切、降りることに私は心で決めた。
    そしたら、すーっと楽になった。
    もはや、自分のことは棚に上げて、人のことをとやかく悪く言う関係から、
    私は、リタイアした。

    結局、こうして、本当の意味で、独りになった。
    そして、これからも独りで生きることに私は決めた。

    だから、まず、来年の三月までは、このチームの一員として仕事する。
    しかし、そののチームの中においても、私はね独りだった。
    それでいいし、それしかないと、私は想っている。

    そして、ラガーマンから学んだことも、この独りで在るということだった。
    全体の中で独りで生きる。
    瞬時の状況判断と決断と行動とは、独りが決するもだからだ。
    その独りで決する力が、私にはあるのかの「問い」だ。

    人は、独りで生きることから、新たな何かが始まるもののようだ。

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