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  • from: クマドンさん

    2019年11月12日 05時41分10秒

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    考えるとは、善く生きること

    昨夕、突然の嵐と土砂降りだった。
    驚いたな。
    季節は知らぬ間に刻々と変化を遂げている。

    そう考えると、いつの間にか11月となっている。
    4月から新たな年度が始まった。
    その4月から既に7カ月もたっていた。
    私は、ちゃんと日々を生きていたのだろうか。
    何だか、その時間に流されたまま生きてきたのではなかったか。
    そんな「問い」がいつもある。

    ここに書くことで、原点に立ち返る。
    自分の立ち位置の意味を振り返り、考える。
    やはり、生きることは、考えることだ。
    その考えることがなくなると、そのままきっと惰性に流される。
    時間は大河のように私を飲みこみ、ただ翻弄して、流し続ける。
    考える時は、その大河から岸に上がる時だ。
    「これで、いいのか」「他に生きる道はないのか」と思う。

    そして、決断ができたら、また自分自身の足で歩きだす。
    時には、再びどぼんと身を投げ、大河の流れに委ねる。任せる。

    「いのちの時間」というコトバを教えてもらった。
    全て生きているものには、「いのちの時間」が与えられている。
    生き物によっては数日であったり、百年近くであったりする。
    私にもその時間は与えられている。
    それは、始まりがあり、終わりがあるものだ。
    だから、その時間の今、ここを、大切に生きようと思う。
    そのために、考える。
    いかに生きたいかを。

    それは、いのちからの私への「問い」だとフランクルは言っていた。
    確かに、このいのちの時間とは、
    ひの身体がこの世に存在している間の時間のことだ。
    魂としての私は、始まりもなく、終わりもない。
    一即一如だ。
    一即多だ。
    そうしたある意味尊厳をもって生まれて来た私。
    そのことを、深く深く信じられるかだ。

    自分がこの世に生まれて来たことに「意味」がある。
    その意味は自分が勝手に創るものではなく、神様が与えたものだ。
    神様と繋がっているからこそ、その意味に意味がある。
    その繋がりを信じられるかだ。
    その「愛」と「慈悲」を感謝できるかだ。
    そこに至らない限り、
    きっと人は、その意味に気付かず、右往左往する。

    人の目が気にならなくなった。
    人からの評価はどうでもよくなった。
    人の輪の中に無理に入ろうとしなくなった。
    独りで居ることを楽しんで生きられるようになった。
    人から褒められようとも、認められようともしなくなった。
    気楽に、お任せして、今日を生きる。それだけだ。

    末期癌で亡くなった人たちの話を医師から聴いた。
    2人に1人は願を患い、3人に1人は願で亡くなる時代だそうだ。
    そして、その訪れは、いつも突然やって来る。
    昨夕の嵐と土砂降りのようにして、「まさか、俺が」だった。
    母は、胃癌が原発で、肝臓に転移して3カ月で亡くなった。
    母は、癌での死にざまを私に見せて逝った。

    人は、死ぬ。
    さて、その最期をどう迎えるかだな。
    そこで心安らかに、生かされて来たことを感謝して、最期を迎える。
    そのためには、善く生きる必要がある。
    自分のことばっかりで、我儘に、勝手放題家族を困らせ、怒らせ、呆れさせ、
    そうやって生きて来た人にも、死は平等にやって来る。
    その瞬間、後悔しても人生をまき戻し、やり直すことができない。
    時間とは、限りある間ということだ。

    メメント・モリだな。
    考えるとは、自分は必ずいつか死ぬということだ。
    だから、俺はどういきるのかという「問い」に応えることである。
    その「問い」は、この世に生を与えてくださった神様からの憐みだ。
    人は、善く生きるために、考える力を授かっている。
    ならば、いつもその「問い」の答えを考えることが、人を生きることに他ならない。

    さてさて、この62歳となった7カ月。
    私は、善く生きてきたのだろうか。改めて、考えてみることとする。

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