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  • from: クマドンさん

    2019年11月24日 07時52分58秒

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    「境目」の無い生き方をしよう

    私は、あんまし変わっていないなぁと、思う。
    20年ぶりに再会したある小学校で音楽を教えた看護師のIさんだった。
    本当に私が生き死にの時に新大病院で再会だった。
    救急車で運び込まれた急患が私だった。
    その名前を聴いて、「クマ先生だ」と分かった。
    その夜、緊急の手術で、10時間死線を彷徨った。
    目が覚めたら薄暗いICUのベッドで、喉に管が入れられ、目玉しか動かなかった。

    個室に移ったら、彼女が見舞いに来てくれた。
    こんなクマのことを覚えていてくれたことの嬉しさに、
    何だかこの仕事をして来てよかったとの安堵だった。
    個室に入ってから、少しずつ身体が動くようになったら、
    ラジオを持ち込み、クラシックを毎日聴いた。
    私の個室に来る看護師さんがみなこの音楽に驚いていたなぁ。
    そのことを、Iさんも話していた。

    自分では自分のことはよく分からない。
    だから、周りの人に多大な迷惑をかけることもある。
    それでも、反省しつつも、何だか、クマの本筋はそのままなんだな。
    息子も言っていた。「境目がない」「いつでもどこでもこのまんま」と。
    舞台に立った時も言っていた。
    「父さんが舞台に出て来ると、そのまんままだから、劇にならないよ」と。
    ああ、私って「名優」なのかもしれないと、その時の勘違いだ。

    私は、そんなこんなで、いつも今、ここの生き方を語り、演じてきたようだ。
    私は、いつでも私だった。
    どこかで、私が豹変したり、全く違う役柄になったことはなかった。
    何だかずっと、ボーダレスにこのままを生きている。
    歳はとった。少し身体的には衰えも感ずる。疲れが残る。仕方ない。
    それでも、いつも好奇心旺盛で、何やら興味をもったものを追究している。
    今は、「樹木希林」のインタビュー本にはまった。はまった。
    仏を生きている。しょせん、人は、地位や名誉ではなくて、どう生きたかなんだな。

    私は、平の教員でリタイアをした。
    今でも、それがよかったと思っている。
    だから、こうして講師となり現場復帰しても、ボーダレスだ。
    境目が無い。それって、とても幸せなことだ。
    最近は、自分と子どもたちとの境目も感じなくなっている。
    何だかね。手のかかる。言うことをきけない子は、本当はとてもかわいい子なんだ。
    「おいおい、いいものもってるな」
    「おいおい、私は、君がかわいいよ」かな。
    それは、その子の屈折した気持ちは、私にもあるからそう思うだけ。

    そして、こうやって世間からは後ろ指をさされ、
    なんだかんだと言われながらも、今は、そんなことはどこ吹く風で、
    飄々と生きている。
    世間とは不思議なもので、こうして変わったことをしている人や、
    自由に勝手気ままに生きている人をやっかんで、許さない傾向がある。
    駄目な私は、そうやってどれだけ個人的にアゲンストの風をくらった。
    「どうでもいい」から、平気なのだが、
    またこんなことを書くと、袋叩きに会うことだろう。仕方ない話だ。

    希林さんの言葉を読んでいると、すーっと胸のつかえが降りる気がする。
    そんなこんなげつばたと躓きそうなことを、
    「さいですか」「ごめんあそばせ」と、さーっと風のように通り抜けるからだ。
    沢山の試練。ガンの痛みと闘病の日々。死を前にして今日を生きる覚悟。
    何だか、その本当は厳しいのにそれを気にかけず、飄々と生きる。
    そんな生き方を私もしてみたいの憧れでもあった。

    樹木さんは、どんな役でも樹木さんだった。
    樹木さんではない、役はどこにも存在していない。
    樹木さんは、樹木さんを生活においても、映画においても演じ切った。
    いや、全うしていた。それだけ。

    それが、まさに「境目」のない生き方だ。
    素直に自分のままに生きるだけ。
    だから、いつも胸の中での「問答」は繰り返される。
    ちゃんと生きているかな。私は自分に正直に生きているかなぁ。
    この生き方に嘘はないかなぁだな。
    そうすると、世間の生き方・在り方と少しずつのずれが起こる。
    世間とは、みんなの目を気にする場所で、
    こんなことをすると何か言われるからやめようの場所で、
    いつも人からの評価を気にしている場所でもある。

    世間に生きようとする人は、「境目」を自分で作る。
    その「境目」をまたぐと、違う人に豹変する。
    この場所の顔と、あの場所の顔は違う。
    ここで言うことと、あそこで言うことを使い分ける。
    それが、世間で生きる善い生き方と教えられる。
    「嘘」は「方便」として許される。

    しかし、ずっとずっと「境目」をもたずに生きて来たクマは、
    全部が中庸、境目がない。
    どんだけ自分でも酷いことをしてきたかは、よく分かる。
    それでも、それでも、ここまで生きて来られた。
    そして、安心している。安堵している。

    今、朝日が昇った。その朝の光が眩しく感ずる。
    「嬉しいなぁ」と、思って生きる。生きられる。
    それはきっと、余計なしがらみを持たず、難儀な仕事を持たず、
    何も無い人として、ここに飄々として生きられるからだと思う。
    地域での恩返しは、これまでの40代~50代でたくさんやってきた。
    もうそれで充分ではないかと、自分に言っている。
    だから、「やらない」「辞めさせてもらう」だな。

    これからもきっと私は、「境目」のないまま生きるのだと思う。
    それは、あのIさんが4年生の時、音楽室でギターを弾いて音楽を教えた頃のように、
    黄色い鉢巻きをして笑って生きるクマの生き方なんだと、私は想っている。
    だから、もうこの歳になったのだから、
    これからも、素直に正直に自分自身を全うして生きたいと願っている。
    もし、ここで、世間に気かねして豹変したら、
    私の生き方に「嘘」が混じるではないかの「問い」なんだ。

    Iさんは、今でも「大好きだ」と言ってくれる。
    今の担任の子どもたちもそうだった。
    それで充分。それで大満足。
    れからも本気で子どもたちを愛して生きる。ただそれだけ。

    境目の無い生き方とは、慈悲と愛に満ちた生き方なんだな。
    Iさんとの病院での再開と、五十嵐さんのラストコンサートでの再会で、
    私は、また、境目の無い生き方の楽しさの原点に立てた気がした。

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