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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2019/12/08 08:28:26

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    劇団事始め

    私には、演劇に燃えた時代がかってはあった。
    不思議なご縁だった。
    環境教育の大恩師のHさんが、私の職場にやって来た。
    「クマさん、また「王瀬の長者」やりませんか」の誘いだった。
    私は、即座にお断りした。
    演劇をやるということは、土日も平日も無くなるということだったからだ。
    私には、もうその気は無かった。静かに家族と暮らしたかった。

    「こんな話がありまして・・・」と、
    石山公民館で演劇の劇団を立ち上げようとしている話だった。
    「一度、その会に参加してみませんか」
    私は、そのHさんの情熱にほだされ、行くだけは行くことにした。

    会が始まって驚いたことは、何も形になっていなかったことだった。
    どうするもこうするも、やりたい人が誰なのかも分からなかった。
    そこで、このお話しはとん挫するはずだった。
    そしたら、風向きが少し変わった。

    あちらには、劇団を創りたいが何も企画を持たない3人が居た。
    Yさんと、Kさんと、演出家のSさんだった。
    こちらには、劇を上演した実績が在り、脚本が一本あった。
    つまり、制作と演出はそちらができるし、
    こちらは、企画と脚本とを提供できる。
    後は、役者さんたちに集まってもらえば、劇団ができるという段取りだった。

    それが今から12~3年前のことだった。
    そうやって誕生した劇団が「市民劇団 座・未来」だった。
    そこから石山公民館を借りて、稽古に入った。
    「劇団を創る」
    まさにそんな夢のような物語が始まり始まりだった。

    役者さんは、みんな素人の人たちだった。
    やってみたい。面白そうだ。私にもできるかなぁ。
    そんな老若男女が集まり、何とも多種多彩の賑やかさだった。
    堀川久子さんに来てもらって、ワークショップも行った。
    表現する喜び。新しい自分を発見する感動。
    いつも稽古は和気あいあいと楽しいものだった。

    その稽古を仕切り、指示を出し、指導したのがSさんだった。
    私は、彼の演出が大好きだった。
    彼の言葉かけ一つで、役者さんの所作が変わった。
    台詞の味が変わった。
    どんどんと深く、在るように育って行った。
    不思議だなぁと、いつも感じた。

    私は、裏方として、役者さんをスカウトする役目も担った。
    沼垂の三人の怪人たちを、私は劇に引きこんだ。
    二人の年増の美女たちを口説いて、劇団に入門していただいた。
    ワークショップで出会った美女を「女優にするよ」と、引っこ抜いた。
    今も、舞台で役者として活躍している人たちが、その人たちの中には居る。
    そんなことが、嬉しい私だ。

    ところが、スタッフや裏方を入れて60名余りの大所帯となった。
    本当にいろいろなことが勃発した。
    とにかく、お金が無かった。無かった。
    次に、照明や音効。そして、作曲家と演奏家。
    みなそれなりのギャラが必要になって来る。
    演出のSさんは、プロの人だ。
    当時、あの大金はどのようにして工面したものだったか、ふと思う。

    しかし、万事塞翁が馬で、何とかなるものだった。
    会場は、開志高校の体育館を安く借りた。
    駐車場は近くの漁協の倉庫の駐車場を借りられた。
    その劇には、あの当時の新潟市長のSさんも、観に来てくれた。
    11月15日。まさに寒さの風が吹く、
    「王瀬の長者」の舞台そのものの天気だった。

    そして、開宴。私は、涙で舞台がくもって見えた。
    本当に役者さんとしてみんなみんな輝いていたなぁ。
    「ああ、やってよかった」「ああ、見事だった」
    終演後、みんなと涙の握手。涙のハグだったな。
    あの感動からだ。
    私が舞台とどっぷりつかったのは。

    その内、りゅうとぴあの劇場で、ひょんなことから主役も演じた。
    あの東北大震災の三日後の舞台だった。
    それでも、私たちは沼垂を洪水から救った1人の坊主の物語を上演した。
    震災の生々しい哀しみの中で、多くの観客の人たちが来てくださった。
    本当に忘れられない、舞台となった。

    その劇団が今年で10周年の公演を行った。
    大成功だったらしい。
    私は、訳あって、今は劇団からは離れている。
    そのSさんが、東京に行くと言う。
    私は、Sさんに会いたくなった。
    どうしても飲んで語り合いたくなった。
    そして、そんな私の夢が、昨日実現した。

    新潟駅構内Nで、差しで飲んだ。
    ずっとずっと演劇の話だった。
    そして、劇団を離れてからの私のジェットコースター人生の話だった。
    愉快だった。こんなに語り合うとは楽しいものなのかと、
    本当に時間のたつのをすっかり忘れた。
    気付いたら4時間近くも飲んでいた。

    同じ釜の飯を食った。
    同じ苦労を共にした。
    やりきった達成感と充実感を共有した。
    力を合わせて創造できた。
    その喜びと感動を分かち合える友がここに居る。
    ありがたいことだと、心から感じた。

    始まりは、Hさんだった。
    人生その先のことは、誰も分からない。誰も知らない。
    しかし、全てのことには意味が在り、
    全てのことは繋がっていた。

    演劇とこの人生で出会えて、本当に善かったと神様に感謝した。

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