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  • from: クマドンさん

    2019年12月12日 05時43分25秒

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    アルファの学び

    昨日は、教会で学びの時を持つことができた。
    「アルファ」の学びだ。
    キリスト教信仰の初心者のためのイギリス人の講話を視聴して、
    参加者たちで分かち合う会だった。
    「いかに、生きるか」
    その「問い」を持ち続けてきた人たちとの語り合いでもあった。

    「神様を感ずるか」
    そうだなぁ。
    いつも共に居るから、その感じを上手く説明はできないなぁ、だった。
    神様を実感している。
    しかし、そんな実感をいつから感じられるようになったかの証だった。

    教会は、私の生活の外にあった。
    20代前半までの私には、教会やそこに集うクリスチャンは、
    私と全くかかわりあいのない存在としては感じられた。
    しかし、キルケゴールの「死に至る病」を読んだ。
    また、いろいろな哲学書を読むと、そこには神の存在が顕れていた。
    哲学者は神との交信を行い、神の御心を言葉で表し、伝えた。
    しかし、私は、神を知らない。
    キリスト教の信仰をもった人を知らない。
    そして、そんな信仰的な生活をしてきた歴史をもたない国に生まれた。
    祖母は、熱心な仏教の信者で、毎朝仏壇に向かって「南無阿弥陀仏」だった。

    だから、キリスト教の神様は、観念的な存在だった。
    居るとしたら、きっと向こうに居る神で在り、
    私とは全くかかわりの無い神ではないかとも想っていた。
    信仰の書を読んでも、それは言葉として理解はできても、
    その深い信仰を、我が事として実感できなかった。
    そんな男だった。

    しかし、振り返ってみると、こんな私も、神様に召されていたことを感じられる。
    A学院大学では、クリスチャンの大学なので、礼拝が義務付けられていた。
    そこで私は生まれて初めて教会の講堂で讃美歌を歌い、祈りをした。
    卒業式には、卒業記念として、一冊の聖書を渡された。

    卒業後、私は臨時職員として勤めた。
    上手く行かない。どうやったらいいのか分からない。困った困った。
    そんな悩みや苦しみの中から、私は登山に夢中になった。
    山に向かった。そこで、大自然と対峙した。人間の小ささを感じた。
    私は、毎年、採用試験に合格できなかった。
    つまり、私の人生の来年、その先が真っ暗闇だった。
    それでも、私は、この仕事を希望した。そして、続けた。生き甲斐となった。
    そんな中で、私は、呼ばれたようにして、新潟福音教会に行った。

    十字架を見上げた。入ってみようと、玄関に立った。
    すると、出て来たのは、優しい笑顔の普通の叔父さんだった。
    「あれっ」だった。
    もっとクリスチャンとは、高貴て、神聖で、私たちと違った人と思っていたからだ。
    「牧師さんは、いらっしゃいますか?」の私の問いに、
    「私です」と答えた人が、私の師であるS先生だった。
    私は、それから、この教会に通うようになった。

    私は、ずっとずっと「ヨブ記」だけを、読み続けていた時期があった。
    ヨブが自分のように感じられたからだ。
    聖書には清い聖なる人たちの物語が書かれていると信じていたが、
    そうではなく、全くどろどろの人間臭い物語数々なのだと、私はそこで知った。
    「聖書を通読することです」と言われ、通読をした。
    その内に、夕拝の司会を任せられ、みんなの前で祈りをした。
    この私が・・・である。

    しかし、採用となり村上に行ってから、私は、いつしか教会を離れた。
    その信仰からも離れた。祈らなくなった。
    そうした普段着の日常生活が、当たり前となり、忘れた。
    しかし、S先生や、同じ日に洗礼を受けたKさんからは、葉書が届いた。
    こんな私のことを覚えて祈っていてくれる人が居た。
    私は、シュトウむドラング。疾風怒濤の生活だった。
    妻と二人の男の子に恵まれ、幸せな日々だった。

    この新潟の実家に帰った。
    そこからは、苦難が多くなったかも知れない。
    幸せと苦難とは、一つの生き方の表と裏だ。
    私は、不思議な導きで、この山の下福音教会に帰って来た。
    まさに、放蕩息子だった。
    父は、そんな息子を深い愛をもって迎えてくれた。
    そして、こんな私の帰還を心から喜び、感謝してくれた。

    こんな導きがあったからこその、今、ここだった。

    そして、そんなことをみんなの前で語りながら、
    「ああ、私が知らなくても、私が忘れていても、いつも神様はいてくださった」
    「例え、みんなから捨てられたとしても、神様は絶対に私を見捨てない方だ」
    「人は絶対に独りにはになれない。本当に人だと感じた時に神様を感ずるからだ」
    「だから、実感としての神様はあるが、それは何とは語ることはできない」
    「今は、今、ここで、生きることが信ずることになったからだ」
    「これがそうですとは言えなくとも、これがその生き方ですとは示したい」
    「まだまだの日々だが、この道を歩き続けることの感謝と喜びはある。」
    「それは、かって神様を知らなかった頃の、私の生き方とは全く違った生き方だ。」

    だから、私は、ヨブのように神様の愛を信ずる。それだけだ。

    という話をした来た。
    そして、こうして神様の話を共感しながらできる友と出会えたことは、
    この人生の旅路では大きな恵なんだと感謝した。

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