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  • from: クマドンさん

    2019年12月21日 11時14分38秒

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    対話のできる人

    さてさて、日が差して来た。
    こんな時刻にこれを書いているのにはわけがあった。
    それは、二日酔いで寝坊したことと、
    土曜日のヨガが急遽お休みになったからだ。
    やることがなくなったので、キッチンでぼーっとテレビを観ていた。
    「旅してちょうない」で、東区じゅんさ池界隈だった。
    地元が映ると、嬉しいものだ。

    蠣を食べに万代の蠣小屋にAさんと行った。
    無性に蠣が食べたくなったAさんからのお誘いだった。
    私たちは蠣を食べながら、
    話をしていた。

    何だか彼は深くなっていた。
    また始動し出したようだった。
    そのことが嬉しかった。
    私もそうだが、彼もマグロのようにいつも超スピードで回遊していた。
    会う度に新たな人となっていた。
    私は、そんな彼のお仕事のほんの少しお手伝いをしたことがある。

    私に福祉というものはどんなことなのかを、教えてくれた男だった。
    特別支援教育に携わりつつ、
    社会における福祉の現場に、彼のおかげで立たせてもらった。
    「そうか、これが現場。現状なのか」と、
    どれだけ目からうろこが落ちたことか。

    彼もそうだが、頭で考え、知識だけのものは、
    お互いの心には響かないことを、知っている。
    身体で分かったことだけが、真実・実感だ。
    だから、なかなか苦戦することもあり、
    どん底に突き落とされることもあり、
    もう駄目だと孤独に追い込まれることもある。

    あの整形の看護師さんの言葉だ。
    「患者さんの痛みは、私には分からないんですよね」
    私が坐骨神経痛の猛烈な痛みで呻いていると、
    そんなことを毛布をかけながら彼女が呟いた。
    「名言だ」と、痛みの中でそう思った。

    痛みを味わった人しか、その痛みは分からない。
    だから、痛みを味わった人は、その痛みが分かる人となれる。
    共感できるのは、自分自身がそうであった人だけだ。
    そのことを本で読んだり、
    人から聴いた話だったりしたら。
    いくら共感しようにも、その共感のための共通項が存在しない。

    私は開腹手術を2回行っている。
    そして、1回目は10時間の生死を彷徨った手術だった。
    だから、「ドクターX」を見る度に、
    あの全身麻酔で眠っている患者のことが私のことのように感じられる。
    大門道子が最後に患者の肩に手を置いて、じっと見つめる時、
    涙がじわって滲んでしまう。
    あの管を口に入れた患者の気持ちが分かるのは、
    やっぱり自分もあの手術台の上で手術を受けた経験のある人だけだ。

    つまり、人は、体験こそ、学びなんだという事実だ。
    だから、歳をとると、だんだんどうでもいい話しかしない人や、
    自分の自慢話しかしない人や、
    体験で自分のことを深めていない頭だけの人とは、
    お金を使って、飲んで、話しする気は起きなくなった。
    私は、そうしたところには行かなくなり、
    そうした会には参加しなくなり、
    本当に深く深くを体験し、感じ、それを糧として生きている人とだけ、
    会って話をするようになった。

    それは、深い体験を余儀なくされた、彼も同じだった。
    確かに、変わっていた。
    数年前の彼にとっては、他人ごとであり、
    そういうものかと遠くから想っていたことが、
    我が毎となり、その苦し、切なさ、時には、孤独感と絶望感の中にあり、
    日々、自分に起きていることを味わい、その体験を通して学ぶ時、
    そうした人生の深味から顕れた言葉の数々は、
    やっと生きる言葉として、そのまま味わえるようになる。

    そう考えると、私の2回の大手術は、
    私とっては感謝すべき天恵でもあるのだった。
    人生とは、そうした向こうからやって来る一つ一つの出来事を、
    たとえどんなことであろうとも、期待しつつ、感謝しつつ、
    味わっていくことなのではないだろうか。

    その最中に居る時は、人と比較して、どうして俺がと、怒ることもあった。
    しかし、そのことを通して、本当に私に何かを学ばせたい時は、
    そのことを回避させることは、
    私から大事な人生の学びを奪うこととなる。
    それは、痛みのないことに越したことはなく、
    どん底に落とされることもなく、
    絶望を感じて、死にたいと思うこともなければ、
    それはそれで幸せなのだ。

    しかし、私に起こったことには、全て「意味」があったと知ると、
    これからどんなことがこの身に起ころうと、
    それにはきっと何かの「意味」があるのだと確信しているから、
    そのことすら、「まぁいいか」と受け入れられる。
    Aさんが、まさにそんな境地に達していると私は感じた。

    試練と苦悩とが人を人として深くする。
    62歳になって、周りの人たちを見るにつけて、
    そのことの確信を一層深くした。

    話したい人がいる。
    その人の声を聴きたい人がいる。
    2人で会って酒を飲みたいひとがいる。
    果たして、私はそういう人になっているのだろうか。

    とにかく評判の悪い男だ。
    あの人たちの話を聴いた、私のことを知らない人たちは、
    そんな最低の男だと思っていることだろう。
    でも、私は、私だ。
    私のことは、私が一番よく分かっている。
    ただし、できていることと、できていないこととがある。
    時には、失敗もするし、投げ出すし、我がままにふるまうこともある。
    でも、それも私だ。

    しかし、ある人たちは、そう言って人のことを批難するが、
    ご自分にはそんなところは無いのだろうかの問いだった。
    人を悪く言う人たちは、自分のことをどう思っているのだろうか。
    自分は、完璧にできている人なのかだな。

    しかし、他の人たちは、人のことをとやかくは言わない。
    それは、自分のことを知っているからだ。
    愚かであり、間違いを犯し、失敗をして、人に迷惑をかけたことがある私。
    私は、そういう人とは話をしたいと思っている。

    痛みを知る人。
    失敗した人。
    罪を犯してしまった人。
    何度も絶望を味わった人。
    死にたいと思ったことのある人。
    病だった人。病の人。
    心の弱い人。

    その人たちとなら、深く深く共感できる。
    きっとお互いがリスペクトし、
    話しながら互いに気付き、深まって行く対話ができる。

    ある意味、人から嫌われ、私は、人嫌いになった。
    しかし、それが善かったと今も想っている。
    これかせも、自分のやりたいことだけをやる。
    自分がやりたくないことなはかかわらないで生きる。

    だから、尚更、Aさんの密かな始動が嬉しく感じた。

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