新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:63人

チャットに入る

サークル内の発言を検索する

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマドンさん

    2020/01/15 05:34:47

    icon

    自分の人生の物語を知る

    昨日は、市民病院の外来だった。
    午後3時半が予約の時刻だ。
    それよりも1時間も早くの到着は、血液検査が必要だからだ。

    病院に来ると、様々な人たちに出会える。
    ある意味、ここは人生の縮図だ。
    私が入院中に立ち寄ったパン屋さんに行った。
    ここでおいしいコーヒーをいただいた。
    その時は、病衣のままでここに来た。
    いつ退院の許可が下りるか分からない日々だった。

    同じように60代だろうか、男性の患者さんだ。
    彼は、どんな病でここに居るのだろう。
    大病院の病室には、病床の空きが無いくらいの病人がいる。
    その中では、今日手術を控えている人もいる。
    昨日の手術の痛みの中で呻いている人もいる。
    癌を宣告され、日々弱るいのちをじっと見つめている人もいる。
    誰も見舞いに訪れず、身寄りの無い孤独な境遇の人もいる。

    1人1人には、1人1人だけの物語があるものだ。
    その物語を知れば、知るほど、
    きっと「私だけじゃないんだ」と、納得すると私は思う。
    人生とは、本当はとてもとても残酷で、悲惨なものであるかも知れない。
    そうした、辛い現実にぶち当たり、やっつけられ、挫けて、倒れる。
    しかし、本当の人生は、そこからしか始まらないことも、私は知っている。
    それは、全ての人の、個別なる1人1人の物語には、
    その物語だけが教える「意味」があるからだ。

    人生は、「苦」である。
    人は、「独り」である。
    いのちは、「死」を迎える。

    そうではないと、言える人は、1人もいないと思う。
    そうした「人の生」を私たちは、ほんのほんの一時、この世で与えられた。
    物語は、オギャーと生まれたその日から始まる。
    いや、いや、そうではない。
    私の父や母の物語がそこにあるはずだ。
    そして、その父や母の父や母の物語もそうである。
    そう考えると、一切のかかわりのある人たちの物語の元に誕生したのが私なんだ。

    みな「死」んだ。
    もう身体としては、この世には存在していない。
    しかし、その物語を意味あるものとするためには、
    この身体だけを「人の生」の証だと考えては駄目なんだな。
    身体は、あの野の草花が枯れるように、野生のクマが死ぬように、
    この肉と骨の身体は、いつかは枯れる。朽ちて行く。
    それは、命としての事実である。

    しかし、人は、それでけではないはずだ。
    物語があるということは、物語の意味を感じられるということだと考える。
    つまり、人には、考える力。想像する力が、生まれながらに与えられている。
    だから、このようにして、自分の生涯に起こった出来事を記憶する。
    時には、その記憶を呼び戻し、後悔したり、苦しんだり、
    逆に、微笑んだり、よかったと肯定したりする。
    物語とは、その人が、この世で人として歩んだ道程のことだった。

    さて、もう1つ人として大事な在り方がある。
    それは、自分に起こった出来事を思い出しながら、
    そこに「意味」を見出す力だった。
    私は、ここに、人が生きるの分れ目、岐路があるように思っている。
    「あなたは、あなたの人生に起こったことに、意味を感じますか」。
    または、「その意味が、あなたに向かって問うている何かを感じますか」と。

    私は、あの病院に同時に存在していた全ての人たちには、
    意味がある物語を生きている人たちなんだと、確信している。
    ただ、その自分に起こった出来事や、病や、痛みや、苦しさ、
    何らかのその人だけの、その人のための「意味」を見出せるかどうかで、
    その人の心の有り様と、
    その人がそれまで綴った物語のとらえ方、感じ方が全く変わると思っている。

    「あなたは、それにどんな意味を見出しましたか」の人生の深い深い「問い」だった。

    この外来の診療室の前に1時間も待たされている人たちは、
    それなりに身体の訳を抱えてここに来ている人たちだ。
    60代の夫婦の人がいる。70代の紳士もいる。疲れた顔の60代の女性も居る。
    みんなみんな全く違った物語を日々生きている人たちだ。
    そして、その中に、どれだけの人が、自分の人生に起きたこの出来事を、
    「意味」あるものとしてとらえ、時には、感謝しているかだったな。

    「病」に感謝する。
    「老い」に感謝する。

    何だか、健康で無病息災だとして生きている人たちよりも、
    ずっとずっと深くを生かされている人たちのような気がした。

    さてさて、自分の人生に起こったあらゆることを、
    また、私が私であることにかかわっていた全てのできごとを、
    意味のある物語なんだと受け入れること。肯くこと。これでよかったと思うこと。
    そうした生まれ変わりの経験を経て、
    初めて人は、与えられた人生ではなく、
    自分だけの自分の人生を生きる人となるのだと、私は思う。

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件