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  • from: クマドンさん

    2020年01月22日 05時30分36秒

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    思い込みを放下する

    だんだん普段の身体に戻ってきている。
    ただし、昨日の朝、出勤前にトイレで吐いた。
    朝食を食べた後、むかむかとして耐えられなかったからだ。
    身体が弱っていることは、こうした耐性の弱さで分かる。
    飲み過ぎだ。
    本当にやっちまった。
    しかし、それだけ嬉しくもあり、楽しくもあった酒だった。

    「放下」ということがある。
    「どうでもいいや」でもあるかも知れない。
    悩まない。ただ、そのまんまを生きる。ただ、それだけ。
    これって、とても気が楽だ。

    先日のSさんとの話だった。
    「身体は、自然のままに生かされている」そんなことに、82歳で気付いたそうだ。
    だから、Sさんは、この寒さの中を杖を2本ついて、
    四足歩行で自然の真っただ中や、街のど真ん中を、今頃歩いている。
    それは、身体が喜ぶからだ。
    そうすることで、身体が蘇り、気持ち善く生活できる。
    一日、炬燵にもぐって、テレビばかりの生活には、
    身体がそれでは駄目だと呼びかけそうだった。

    私もそうだ。
    今は、ランのために外には出ない。
    こんな寒さの中では、逆に身体に迷惑をかけるからだ。
    しかし、こうして4時前に起床して、本を読む。
    親しい人にメールする。
    「親父たちよ」を30分間書いている。
    それから、残りの時間にヨガをする。
    そして、ラジオで音楽を聴きながら、朝風呂に入る。
    そして、朝食だ。

    このルーテーンを、私の身体は喜んでいる。
    ただ、それだけのこと。
    しかし、この生活を繰り返す中で、
    私は、身体と心との喜びを実感しながら生きている。
    あの、月曜日の絶不調の時は、
    「休みたい」「行きたくない」「眠っていたい」の思いばかりだった。

    それだけ、人生には、身体から来る影響は計り知れず大きいものがある。
    身体に熱が在る。原因不明の痛みが在る。だるくて起きていられない。
    そんな症状が少しでもあれば、気分はぐっと落ち込むものだ。
    そして、「やる気」が出ない。
    活動的には、どうしてもなれないものだ。
    その時は、無理をしない。
    ただ、休んで回復するのを期待しつつ待つだけだ。

    しかし、二日酔いや肉体的な疲労感ならそれでもいいだろう。
    もし、不治の病に侵されたのなら、
    いったい私は、どう生きるのかの「問い」はある。
    パーキンソン病になった友が居る。
    彼のことを、時々、思う。
    私の妻は、28年間リュウマチで生きている。
    幸い悪性でないので、こうして強い薬を使って、普段の生活をしている。
    しかし、あちらこちらに不具合・不調が在り、不全感の中での生活だ。

    もし、私が、そうだったら、どんな気持ちで一日一日を過ごすのだろうか。
    昨日、元広島カープの投手が「T型白血病」を発症したと報道された。
    ドナーを待ち、骨髄移植しか生きる方法は無いと言う難病だ。

    つまり、普段、何気なく生きているが、
    こうやって身体の不自由をあまり感じないで、
    そのままの生活を続けられることは、
    とてもとても感謝することで、大いなる神様からの恵なんだということだ。
    そのことに、人は、あまり気付かない。
    この身体が健康であるのなら、どこへでも行ける。何でもできる。
    自分がやろうとしていることに対して、
    身体からの制限や、制約は感じない。

    しかし、こうした難病や癌や、身体の障害を受けてしまった人たちには、
    この何でもない、ごくごく平凡な日常が、
    夢のようにありがたいものに感ぜられる日常となる。

    その人たちにとって、ありがたいはずのこの日常生活を、
    私が、感謝して生活できるために、
    私の身体は、時々、大きな警告を発し、ブレーキをかける。
    本当に、その時に気付くかどうかで、その後の人生は大きく分かれる。

    パーキンソン病の彼には、休職か早期退職を勧めている。
    これ以上無理をして、日々その身体を酷使し、悪化させることの無いためだ。
    仕事を辞めたら、することが無い。
    家に居てもどうにもならない。
    まだ子供の学費がかかる。経済的にゆとりが無くなる。
    と、彼は、言う。

    しかし、これで悪化して、車椅子や、寝たきりの生活となったら、
    もっともっと後悔をするのではないかと、
    私は、それでも、嫌がられながらも、休職と早期退職とを進めている。
    しかし、その決断を彼はしない。
    現実の生活をどうするのか。
    つまり、そうやってしか人は生きられないと言う古くからの教えに縛られ、
    その教えだけを忠実に守り、そこから抜け出せないまま、
    その病を発見してもらってから、2年間がたとうとしている。

    その間に、身体は自然だから、身体は生物だから、
    徐々に変化し、本人が気づかない隠れた部分で悪化している。
    その破壊された部分は、二度と再び元には戻らない部分となる。
    つまり、微細ではあるが、この病は、刻々とその手を休めず、
    身体の隠れた気付かない部分を侵し、破壊する。
    なのに、その本人は、現実の生活だけを優先する。
    休むことも、退職することも選択肢には入れない。
    しかし、日々の生活で、不自由を感ずる度合いが大きくなっている。
    そのことは、心配していた。不安に思っていたる

    だから、「放下」なんだ。
    真面目な男だから、捕らわれた、教え込まれた生き方だけしか、
    彼の考えの中には存在していない。
    「そうではない」生き方を想像できない。
    今、固執している生き方を手放せば、
    次の一手が浮かぶはずなのに、手を離さない。そのまんまでいる。

    それは、月曜日に飲み過ぎで全く体調を壊した私が、
    その日にまた飲み会に参加する様なものだった。
    毎日二日酔いの体調不良なのに、
    毎晩、夜中まで飲み歩いていると同じことだ。
    だから、私は忠告する。しかし、彼は全くそれを自分の問題としてとらえない。

    真面目で、優秀で、融通のきかない、頑固な人は、
    「放下」とは真逆な道を58歳になる今も、歩いている。
    そのために、日々、身体が悪化しても、身体からサインが出ていても、
    それを無視して、今日を生きる。
    それで、いいのだろうか・・・・。

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