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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020年01月28日 05時24分57秒

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    激痛の二日間。

    月曜日の夜中の2時頃、「きたーーー」だった。
    あのいつもの激痛の予兆が、鳩尾にやっ来た。
    不思議なんだが、まず、予告がやって来る。
    「覚悟は、いいかな」と、そこから痛みは徐々に増してくる。

    とにかくこの痛みは尋常ではない。
    行きが出来なくなるほどの苦しさだ。
    それが私の身体で起きている。
    この痛みを成業することも、軽減することもできない。
    全く増す術も無く、痛みに襲われたまま。
    痛みに対しての無抵抗だ。

    四つん這いににっても痛み、
    布団の上に胡坐をかいても痛み、
    トイレで吐いても(何も出ない)痛む。
    一向にこの痛みは、私の身体から去ろうとはしない。
    居座っている。

    この身体は、私なのに、私が私で苦しみ痛む。
    何だか矛盾していないかの「問い」だった。
    実は、この予兆は一週間前の月曜日に既にあった。
    仕事を終えて夕方少し腹痛を感じたので、ヨガを休んだ。
    それから三日間、体調が全く優れなかった。
    身体は、身体としての予告・サインは明確に出していたのだ。

    月曜日、夜中の転げまわる痛みで、全く消耗していた。
    朝、仕事を休むことにした。
    しかし、この不在の私の仕事が大変なのだ。
    1人1人細かな指示が必要だからだ。
    またまた、大きな迷惑をかけてしまった。
    だが、今は、休むときだ。

    それなのに、火曜日の9時半に、
    またまたあの例の痛みがみぞおち辺りに込み上げて来た。
    「二日続けてですか・・・」「ご勘弁を・・・」だったが、
    身体は容赦なく、その痛みを増していた。
    あの徐々に強まる痛みには、恐怖すら感じている。
    この痛みのMaxを知らないから、
    これからどこまで行くのか予想がつかないからだ。

    私は、激痛を分析した。
    四つん這いになりながら、呼吸ができないくらい痛みながら、
    どこら辺が、どうなって、こうなっているのかを、感じた。探った。
    どうも肋間神経痛の辺りらしい。
    表現はおかしいが、そこいら辺から締め付けられている。
    次は、胃の周りだろうか、両手でその異をぎゅっと抑えられる感じだ。
    胆石のあの痛みとも似ているが、どこか違うような・・・・。

    妻に携帯で電話した。
    「大丈夫・・・」と、言ってきてくれたが、
    「救急車呼ぼうか・・・」と言うので、
    私はまた入院したくないので、首を振った。
    そしたら、眠そうにして、階下に降りた。
    次に、長男が「父さん、大丈夫」と覗いた。
    「大丈夫だ」と、私が便器に顔を突っ込んでいたら、
    暫くしてギターの音が聴こえた。
    何だかね。これでいいと、私は悟った。

    正直、この痛みがずっとずっと続くなら、死んでいいと思った。
    もう思い残すこともない。
    身体が身体として痛みを激しく訴えているのは、
    生きようとしているからには違いない。
    それは、身体の事情だ。
    しかし、その激痛で息も詰まるほどの私にとっては、
    そうやって生きることより、楽になることを望む。
    むこうには、父と母とせっちゃんが待っている。
    また、再会できる。それも、いい。

    今も、うっすらとその予兆がある。
    きっと身体のあの辺りのどこかに異変が起きている。
    もしも、癌だったらどうしよう。
    その宣告を、私はしっかりと平常心で受け入れられるだろうか。
    62歳。早すぎると言えばそうだし、叔父たちを思えば妥当な年齢だ。

    まだ、私がこの世でやらねばならない仕事があれば、
    神様は、天に私を召すことはないと信ずる。
    そろそろだよ。がんばったな。もう大丈夫だ。
    そう言われたら、感謝して、お迎えを受け入れるつもりだ。
    早すぎるか、妥当であるか、それは、私が決めることではない。
    しかし、つくづく身体とは、私の意志を離れた自然なものだと感じた。

    その自然の危うさと、弱さと、あるがままを、
    この痛みを通して学んだ。学んだ。
    身体は、身体で懸命に生きていた。
    それは、この庭の百日紅の樹木のようなものだった。
    懸命に寒空に枝をとがらせ突っ立っている。
    生きるものは、きっと生きるだろうし、
    何かの病や、老衰となれば、死ぬ時は、きっと枯れて行くのだろう。

    そのことも、あるがままだな。

    つくづく、週四日勤務くらいが、私には丁度良いのではと感じられた。
    今日も、無理せずに休むことにする。
    またまた、欠勤で、無給となる。
    それでも、身体には替えられない。
    さてさて、今夜もあの激痛に見舞われるのだろうか・・・・。

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