新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマドンさん

    2020年02月19日 05時20分10秒

    icon

    異常無しがありがたい

    昨日、市民病院の診察だった。
    MR検査の結果かが分かった。
    「どこにも異常はありません。」
    「石も腫瘍もみつかりません。」
    「よかったです。私もこれで安心しました。」
    若い医師のその言葉に嬉しさが込み上げて来た。

    「この歳になると、何かが見つかることが当たり前だと思っていました。」
    「改めて、感謝です。ありがとうございました。」
    私は、何だか踊るような気持ちで診療室を出て来た。

    あれだけ、年末から、さまざまな身体のアクシデントだった。
    あれだけの痛みに襲われ、救急車で搬送された。
    どうもあれは、腸からの菌が逆流して肝臓内で騒いだおかげとの診断だった。
    人間の身体の不思議だ。
    私は、今回のことの「意味」を考えた。

    私は、いつも、そう思う。
    全てのことには「意味」があると。
    そして、その「意味」とは、私が作るものではなく、
    神様から来るものだと。

    つまり、私ができることは、どんなことであろうとも、
    その「意味」を味わい、「意味」に気付き、感謝することだ。

    それが例え、私が望んではいないことであっても、
    そんなこと起きてくれるなと思っていることであっても、
    それは、やっぱり今の私にとっては「意味」があることだ。
    そう感ずることで、試練を受け入れることが、私はできる。

    そして、やっぱりいつも、結果的には「感謝」となっている。
    今回の緊急入院も、本当は「感謝」なんだ。
    6日間の個室での生活は、
    全く非日常の道場に入れられたような生活だった。
    確かに、経済的に大きな負担だったが、
    それを超える何か大きな収穫があった気がする。

    独りに向き合う。
    自己との対話を行う。
    自分の弱さを想い、大いなる力に祈る。
    そうした孤独でなくてはできない心のはたらきを、
    この個室での6日間は行うことができた。

    人は、毎日の時間の流れに翻弄され、流されている。
    そうして、流される惰性の中で、個と孤に向き合うことを忘れる。
    つまり、「意味」そのものを見失って生きることになる。
    しかし、「意味」は必ず全ての人には存在している。
    その「意味」できっと私たちは日々を生かされている。
    それなのに、意味を味わうことの無い生活を送らざるを得ない。

    私は、目覚めてから寝床で、1時間の読書をする。
    今は、「唯識」の本を読んでいる。
    すると、新たな気付きが起きる。
    「ああ、そうか」と腑に落ちる。
    その時、こうして今日を、今を、ここを生きる「意味」を味わう。

    次に、友にメールを送る。
    それは、ほんの些細なことであるが、とても大事なことだった。
    今日を、今を、ここを、他者とつながる。
    その想いや「意味」を共有する。
    別々ではなく、同じだなぁと、いつも感ずる。

    次に、「親父たちよ」をこうして書いている。
    この瞬間、瞬間は、意味の顕れの連続である。
    言葉は、どんどんと湧き上がる。
    そして、「そうだなぁ。そういうこだなぁ」の気付きが生まれる。
    私との対話というより、私が私に語り掛けてくれる。
    そうして、何かを確認する。
    「そう、生きよう」と、決意する。

    それから、40分間のヨガをやる。
    じっくりと伸ばす。耐える。鍛える。
    そうして、身体の部分部分と出会う、感ずる。
    すると、次第に身体そのものが目覚めていくことがよくよく分かる。
    最後は、呼吸法で呼吸を整える。
    息とは、自らの心と書く。
    つまり、息を整えるということは、自らの心を整えることだ。

    そして、朝風呂にどぶんと浸かる。
    音楽をFMで聴きながら、リラックスする。
    その音のままの感情に全てを委ねる。
    心地好くなる。音楽は、感情そのものだ。

    さてさて、これが、私のルーテーンだ。
    それは、きっと私が、その生きる「意味」と出会うために、
    その「意味」を味わうために、
    その「意味」に気付くためのルーテーンでもあるはずだ。

    生きているということは、このルーテーンができること。
    そして、今日も仕事ができること。
    昼には給食を食べられること。
    そうした素朴な当たり前の生活を感謝しつつ生きることだ。

    個室での6日間は、この日々の当たり前が奪われた生活だったる
    すると、分かるんだな。
    どれだけ、この何も無い朝が、私にとって大事な朝であったことが。

    人は、失うことで、得ることができるものだ。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件