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  • from: クマドンさん

    2020年02月21日 05時22分16秒

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    無為自然は、身体そのもののことだった

    身体は、自然そのもの。
    それは、雨が降るように。風が吹くように。川が流れるように。
    私の意志を超越して、そのままで在り続ける。
    そして、その身体は、無常であり、いつも変化して止まない。
    変わることが、身体そのものの自然な姿だ。
    そのことを自覚したら、
    きっときっと今日、今、ここのこの身体には感謝しかない。

    昨日、本当に久しぶりに東区ボーイズの合唱に参加した。
    年末の緊急入院から、いつもいつも体調不良でのお休みだった。
    60代後半から70代、80代の大先輩たちの中で、
    一番若い私が、体調を壊しての欠席だった。
    そんな私を、先輩たちはとてもとても心配してくれる。

    肝臓の数値の異常により、6日間の緊急入院。
    それから、1月には、突然の腹痛により二日間のお休み。
    そして、先々週にはインフルエンザA型による5日間の外出禁止。
    よくもまぁ、これでもかこれでもかとの体調不良だった。

    それは、決して私が望んだことではなく、
    私の身体が、自然に起こしたものだった。
    確かに、酒を飲み過ぎだったり、蠣を食べたり、過労だったりだったかも。
    しかし、そんなにも体力、対抗力が落ちていたとしても、
    これほどの病の連続、百貨店は在り得ないのでは・・・の問いだった。

    しかし、病は、発生する。
    それは、まさにこの天気と同じだ。
    雨は、降る時には降るものだ。
    風は、吹くと時には吹くものだ。
    川の流れは、激しい時は激しいものだ。
    それを、私は、いかともすることはできない。
    私が先ではなく、全く、私は、後なんだ。

    身体は、やっぱり自然だった。
    身体は、身体を生きている。
    いや、身体は、雨や風や川の流れのように自然であるから、
    こうして私は、意志も意識もしなくとも、生かされているのだと、
    今回の度重なる病によって、悟らせてもらった。

    この身体と共に62年と半年も生きているのに、
    その自然そのものであることの自覚は無かったようなのだ。
    忘れているとでも言うのだろうか。
    健康そのもの。体力増強。食欲旺盛。みなぎる精力。
    そんな時に、人は身体のことを心配はしないものだ。
    「我執」のまま、ただ我が道を行くだけだ。

    しかし、身体は、身体としての信念をもっている。
    このままでは、生き延びられない。
    このままでは、疲弊する。
    みのままでは、朽ちてしまう。
    それでは、困る。何とかしなくては。
    そして、私は、病に至る。激烈な痛みを腹に感ずる。
    身体からの警告を受ける。
    その苦しみの最中に、身体の異変に気付き、初めて身体で在る私を認知する。

    不思議なんだが、身体は私であって、私ではないのだ。
    雨であり、風であり、川の流れであり、身体でありだ。
    それでは、私とは何なのか。
    身体は、私である為の身体として、この世に存在してくれている。
    身体あっての、確かに、私。
    その身体は、ある意味、宿命を帯びている。
    弱い身体。強い身体。自由な身体。不自由な身体。生きる身体。衰える身体。
    それは、人それぞれいろいろだった。

    私には、この身体が与えられた。
    確かに臨港病院の内視鏡手術の失敗で、生死を彷徨い。
    腹を縦に一文字に二度も切っているが。
    それでも、こうして今日、今、ここを、生かされている。
    そして、自然であると言うことは、無常であるということだ。
    そのことを自覚して、「感謝」することが、
    この今日を生きてくれている身体に対する、謙虚な姿ではないだろうか。

    祈りなんだな。
    願いなんだな。
    自分では無いんだな。

    それは決して有為ではない。
    人の計らいや努力を超えている。
    あるがままにここに生かされている。
    つまり、無為はこの身体のことなんだ。

    老子の言う、「無為自然」な生き方だ。
    その師は、この私の身体そのものだったと、
    私は、62歳にしてやっと気付いた。

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