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  • from: クマドンさん

    2020年02月29日 06時12分22秒

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    平安の言葉・不安の言葉

    尊敬する人に出会った。
    私の尊敬するS先生が、「韓国第一の宣教師だ」と言う人だ。
    本当に神様の導きにはいつも感謝だ。
    こんな小さな教会に、その人は昨夜訪れてくれた。
    何と私と同じ歳だと、話の途中で分かった。
    随分と若々しく見える朴先生だった。

    私は、彼の語りを聴きながら、何だか涙を感じた。
    おいおいいい歳の大人が何だと、自分を押さえた。
    しかし、その誠実な真実のこもった実話に、
    何とも言えぬ共感を感じて、目じりに涙が湧き、
    それがするっと頬を伝った。
    「泣いているのは、誰?」だった。

    先生のお話しは、教会の役員の在り方のお話しだった。
    全て、それは先生が体験したこと。
    先生がその出会った人たちから学んだこと。
    そして、そこに神様のご意志を感じ、それに素直に従ったことだった。
    「役員の人たちには、一つの輪になることが大切です」
    その言葉は、新しく役員となった3名と婦人部長とには、
    ずんと心に沁みた。

    この小さな教会には、苦難の時期があった。
    未だにその残党の1人が、反旗を翻し、嫌がらせを続けている。
    そんな苦難の中で、私たちは耐えて来た。
    それは、この60年間の伝統のある教会の変革の時だからだ。
    古きものは、全てが善きものとは限らない。
    人を中心として、その人に頼り、依存する教会からは、
    神様が居なくなる。

    するとその中で交わっている兄弟姉妹にも喜びが無くなる。
    何だか義務で、来なければ何かを言われるから、教会に来る。
    ところが、その御言葉が心に響かない。
    御言葉への感謝や感動を感じられない。
    だから、心の大きな穴は、そのままで、虚しい風が吹くままだ。
    それでも、人を信じて、これでいいと言われるがままに、その状態を維持した。

    ところが、新たな風が外からやって来た。
    それも、本物の神様の御言葉と共にだ。
    驚異を感じた。怯えた。このままでは、自分たちが守り通したものを変えられる。
    それは、絶対に許さない。
    そのための闘いが、3年間近くこの教会では続いていた。
    それは、苦難だった。迫害だった。試練だった。

    しかし、そうした迫害に耐える弱さの私たちには、
    必ず、時期に見合った救いの手が与えられた。
    偉大な救け人が現われた。
    昨夜もそうだった。
    神様の視点。御言葉。真理から見たら、
    あまりにも人間中心の我執と我欲とでこの教会は成り立っていたことが、
    明らかとなってしまった。
    だから、あれだけヒステリーになっての集団による攻撃だった。

    しかし、最後に残るのは、真実・真理。それだった。
    ここに神様の働きに拠る、証があった。
    私たち少数の弱気牧者と羊たちにとっては、
    見の前で繰り広げられる苦難の連続と、そこからの回復・蘇生を、
    リアルな神様のはたらきと感じた。

    そのことを、先生は、私たちに自分の実体験を通して明らかにしてくれた。
    私は、先生のお話しを聴きながら、2回、涙を流した。
    気付かれないようにそっとぬぐったが、
    正面に座る先生は、その涙を見ながら、優しく話を続けてくれた。

    ああ、ここの神様から選ばれ、深く深く愛されている人が居る。
    その実感だけで、心が豊かになり、充たされた。
    不思議なことでしたと、先生は言う。
    私は、「不思議だなあ」と心から言える人を信ずる。大好きだ。話ができる。
    本当に人生は、不思議に充ちている。
    しかし、そのことを「不思議だなぁ」と本当に想える人は、少なかった。
    私は、なかなかそういう人には巡り合わなかった。

    しかし、その不思議を感じ、不思議のままに、誠実に生きている人を、
    私は、師として尊敬している。
    その人は、確かに、神様の不思議と一体だった。
    その不思議に生かされていることの喜びと感謝がある。
    そして、祈りの人だった。

    昨夜も、神様のおかげで稀有な、奇跡のように出会いをすることができた。
    今日も、出会うために教会に出かける。
    明日は、先生のメッセージを聴ける。
    これほどの感謝は、あまりないと、感動は寝るまで続いた。今もある。

    ところが、これとは反対の言葉の話だ。
    1人の発言で、日本中がカオスになる。
    それは、見えない病原体よりも恐ろしいことだ。
    言葉による心に忍び込ませられた恐怖は、
    その人たちから正常な行動を奪う力が在る。
    言葉の病原体の驚異だ。

    今、この病原体は、直ぐに蔓延する感染力を持っている。
    そのことを知って、わざと権力者たちは、
    意図的にその病原体を拡散させる。
    そして、そのことを知った人たちは直ぐに感染させられ、
    イベントは中止となり、演劇やミュージカルの公演は延期となり、
    サッカーの試合すら、延期となった。

    品薄になるというデマで、コンビニに走り込み、
    マスクを買い占め、トイレットペーパーまで買い占めに走る。
    「欲しがりません、勝つまでは」と言うスローガンがかってあった。
    その言葉により、人々は「贅沢は敵だ」と言った。
    パーマをかける婦人は、非国民だった。
    この国難の時に宴会をしているとは何事かと、
    自粛は、自粛ではなく、禁止命令と等しくなった。

    そんな時代を再び来させてはならない。
    平和を守る。
    民主主義を守る。
    国民の権利と自由を守る。
    全ての国民の基本的人権は尊重される。はず。

    とうとう学校に通う言葉たちの教育を受ける権利すらなくなってしまった。
    有事だからだ。
    何か目には見えない恐ろしい病原体が感染を広げ、
    蔓延しつつあるような気配を感ずる。

    しかし、誰も、ここに異は唱えない。
    それは、当たり前だ、命を守るための必要な措置だからだ。
    だから、守る。従う。云う通りにする。
    今、ここで行われていることを、しっかりと見つめる。
    太平洋戦争時代の国民の生活は、
    小学校の教科書に写真入りで掲載されている。
    今、ここで行われていることを、記録しておくことが大事だと、
    最近の報道を見ながら、私は、考えた。

    まさか、あの時代に逆戻りするのではないだろうと、思いつつだ。

    人を平安にする言葉もある。
    人を幸せにかる言葉もある。

    しかし、
    人を不安に陥れる言葉もある。
    人を疑心暗鬼にする言葉もある。
    その人が知らぬ間に、操作される言葉もある。

    だから、賢くあらねばならないの戒めだった。

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