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  • from: クマドンさん

    2020年03月21日 06時44分55秒

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    本当は大丈夫なんだ

    「大丈夫。大丈夫」
    この言葉で、確かにどれだけ救われたことだろうか。
    昨日、小千谷のSさんと電話で話した。
    まだ夜明け前に、彼は小千谷の街を4キロも散歩する。
    両手にストックを持っての四足歩行だ。
    82歳。まだまだ元気だ。

    彼は、どんどん心と魂が生まれ変わっている。
    「日々、新た」という生き方そのものだった。
    いつもこの小さな旅から何かを感じて、何かに気付く。
    そのことを言葉にしてくれる・
    昨日がこの「大丈夫」という言葉だった。

    私は、「大丈夫。大丈夫」と言える人は、
    数多の試練や困苦、挫折に絶望、孤独に哀しみ、
    生きていることでこれまで出会った全てのことを過去のこととして、
    「ああ、今、ここで生かされている。感謝」と思える人からの、
    「大丈夫」はすごいことだと思うと、彼に話した。

    「まだ暗い。大丈夫」
    「雨が降る。大丈夫」
    「風が吹く。大丈夫」

    「懺悔する。大丈夫」
    「辛く苦しい。大丈夫」
    「もう生きていたくない。大丈夫」

    何だかあらゆることにこの言葉を付けるだけで、
    何だかその同じ状況が、生きる希望や期待に変わる気がした。

    「Sさん、この大丈夫は、いいですね」と、二人で笑った。
    ついこの前までは、「スカーレット」の「ええーーよぅ。」だった。
    どんな状況にあろうとも、いつも笑顔で、「ええーーよぅ。」だった。
    そんな生き方ができるようになったのは、
    きっと、どんな人生も本当は、「ええーーよぅ」だと確認できたからだった。
    「どうでも、いい」なんだ。
    「いい、加減」なんだ。

    そして、それは、私が言うことではなく、
    この私を生かしてくれる神様が言ってくれる言葉であった。
    「クマさんは、クマさんのままで、ええーーよう。」
    「クマさんは、クマさんのままで、大丈夫だよ。」
    そうやって、今日も、ここでも、生かされている実感と確信。
    それかせ、私にもSさんにもあるから、
    「大丈夫。大丈夫」に行き着いた気がする。

    大丈夫と、本当は、認められているのだ。
    しかし、その大丈夫を見失ったり、
    不安定になったり、おろおろしたり、悩んだり、苦しんだり、どつぼに堕ちたり、
    それって、人が勝手に頭の中で創り出した架空の幻そのものだ。
    人は、悩んでいる時、悩んでいることから抜け出そうとしない。
    悩んでいることで、もっともっと深く悩みにとらわれることを知っていながら、
    悩むことをやめない。忘れない。いつも、わざわざそこに戻る。

    本当は、そんな頭をどこかに置いといて。
    そんな頭をほっといて、身体を動かし無心になればいいのに、それをしない。
    じっとして、天井を見上げて、椅子に座って、ぼんやりとしながら、
    わざわざ自分を苦しめるはずの悩みを反芻する。
    悩みの根本は、大抵、人間関係の中に在る。
    その人と語りながら、思案するならまだ救いの道はあるが。
    「ああだろうか。こうだろうか。どうすればいいんだ」では、
    堂々巡りで何も変わらず、何も起こらず、悩みだけが発酵するだけ。

    本当は、大丈夫なんだけれど、自分自身で大丈夫ではなくしている。
    人は、そうやって悩むことが、好きなのかと、錯覚してしまうくらい悩んでいる。
    そんな時の「大丈夫」は、きっと無責任に聴こえるかもしれない。
    でも、本当に「大丈夫」なんだ。

    それは、その人が、絶対に当てに出来ない人を当てにしたり、
    相手が変わってくれことを期待したり、
    いつかは裏切り、傷つけられる相手の人に依存したり、
    そのひとが自分のことを認め、好きになってくれることを期待したりしなかったら、
    本当は、大丈夫なんだが、そのことに本人は全く気付かない。

    人は、当てにできない。
    人は、変わる。
    人は、それぞれみんな違う。
    人は、誰もが自分が一番かわいいものだ。
    そういうものが、人なんだの気付きと認識だな。

    いつまでもいつまでも、その人々の間に生きているから、人間なんだ。
    その人間同士には、かかわりが生まれ、人間関係で縛られる。
    恐ろしい上司。パワハラな上司。
    これが最近の話題の主だ。

    本当は、そこからポンと飛び出す。身を投げる。助けを求める。手を差し出す。
    すると、大丈夫が待っている。
    しかし、そこに留まる。そこを諦めない。そこに居なければと思う。
    また、その悩みの暗闇に立ち返る。
    大丈夫なのに、大丈夫が見えなくなる。

    大丈夫に全てを任せる。全てを委ねる。ぽんと飛び出す。その「勇気」だ。

    ここから先は、「信仰」となる。

    「まだ暗い。大丈夫」
    「雨が降る。大丈夫」
    「風が吹く。大丈夫」

    「懺悔する。大丈夫」
    「辛く苦しい。大丈夫」
    「もう生きていたくない。大丈夫」

    その「大丈夫」と言ってくれる神様・仏様・おおいなるもの・天・自然。
    そっちと向き合う。
    そっちを信ずる。
    ぶれずに絶対のそのおおいなるはたらきに全てを委ねる。

    その時、やっと分かる。
    本当に「大丈夫」なんだと言うことが。

    私は、悩みの相談を受ける度に、そのことをいつも思う。
    本当は、「大丈夫」なんだと。

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