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  • from: クマドンさん

    2020年03月27日 17時28分46秒

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    「これだ」と出会えた

    昨日、嬉しいことの連続だった。
    ところが、それまでは、「何でこんなことが・・・」と、
    何から何までちぐはぐで、回らず、げつばたげつばたと諦めていた。
    「今日は、こんななんだ」と、諦めて、とぼとぼと夕方、万代を歩いた。

    Kの渡り蟹だった。
    私は、そのパスタに盛られたソースの量と色を見て、
    そして、一口その味を味わってみて、
    一瞬でもっていかれた私を感じた。
    「何だ、これは」と、この店で今まで食べたナンバーワンの味わいだった。

    味を言葉では説明することは難しい。
    しかし、確かに瞬時に、即、ここで、感動だった。
    「これだ」と、思えるのは、どうしてなのか。
    「これなんだ」とは、どうして言えるのかよくは分からないが、
    確かに「究極」のその味だった。

    美味しいパスタとは、語り合える。
    このパスタの語る物語の深さだった。
    造り手が、このパスタに賭けた真摯な情熱と信念とを感じた。
    味は、素材の味わいではなく、造り手が創作する味である。
    全く同じ味はないように、
    似せて非なるものを究極の味とは言わない。

    味は、真似できない。
    それは、その人がその人の全てを叩きこみ、妥協していないからだ。
    味の微妙な変化は、瞬時に決まる。そして、すぐ変化する。
    その微妙なさじ加減のどこをとらえて料理とするか。
    この渡り蟹のパスタを造った、シェフに会いたくなってしまった。

    なみだが出た。
    パスタを食べて、私はなみだをナプキンでふいた。
    「ああ、この味なんだ」「この味を食べたくて、この店に来るんだ」
    パスタを食べて、泣いている男もいるものだ。
    私は、また、ナプキンにシェフへの手紙を書いた。
    幸せだった。
    本当に美味しい料理を食べることは、私にとっての幸せだった。
    そのことを深く深く味わった。幸せを味わった。

    さて、シネウインドの「音楽」だった。
    全編手書きの究極のアニメだった。
    私は、この主人公の研二に完全にもっていかれた。
    この不良高校生の彼が、二人の仲間と共にロックバンドを造る。
    全く音楽とは無縁な彼たちは、楽器を手に入れる。
    2台のペースと、二つの太鼓のドラムだった。

    そして、感性だけでその音楽は始められた。
    感性が感ずるままに単純明確な音をどんどん繰り返すだけ。
    するとこの三人は顔を見合わせて、「いいなぁ」と言う。
    とにかく一つ一つのカットが、心に沁みる。
    何とも不思議な味わいの映画だった。

    ところが、やっぱり、どのシーンを観ても「これだ」「これなんだ」の感動だ。
    じゃぁ、「これ」って、何?
    しかし、私には感じられる。
    本当に深く深く何かを語ってくれる「これ」は、確かに在るととうことを。
    そして、私の人生の中で、何度か、映画を観て「これ」を体験したことを。
    それは、私にとっての傑作の証でもあった。
    「これだ」「これなんだ」と、心で叫び、笑い、泣き、深く黙る。
    今度は、研二がジンと私の沁みる。

    大好きになった。
    惚れた。研二に。
    町の伝統あるロックフェスに「古武道」たちは、参加する。
    その前に「古美術」がフォークを捨てて、ロックに燃えた。
    そして、最後の舞台では、何と、何と、何と、研二が・・・・。
    私は、本当に涙が止まらなくなってしまった。
    腹を抱えて笑いながら、涙がどんどんどんどん溢れて止まらない。

    今度は、アニメで大泣きの私。
    ぜひぜひ、この「音楽」を観て欲しい。
    ついていけるかどうかは、感性の問題だ。

    この世には、確かに「これだ」は存在している。
    その「これだ」を求めて、私はパスタを食べ、映画を観ている。
    そして、本当に不意打ちのようにして、「これだ」と出会える。
    そのことを私は、「奇跡」と呼んでいる。

    昨日の渡り蟹の味は、奇跡の味だった。
    昨日の「音楽」は、奇跡の感動だった。
    そして、そこには、それを造りだした造り手が必ず存在している。
    その造り手の魂に「これだ」在る。
    そして、その「これだ」が、顕わになりたがっている。
    どうしても、何としても、「これだ」を顕わにしたい。
    そして、「これだ」が無いと、本物の深い深い味わいは出せず、感動を与えない。

    「これだ」に出会うと、私は、涙が溢れる。
    私が気付く前に、涙が即時に反応する。
    そして、私は、その涙によって「これだ」に気付く。
    不思議なんだが、いつもその順番は変わらない。
    涙が溢れる。魂が感ずる。深く深く味わう。「美味いと」と実感する。

    帰りにシンさんのお店で、「レバ刺し」を食べた。
    今は、この味にはまっている。
    黙って口の中で味わっていると、「幸せ」を感ずる。
    ここにも私の「これだ」は存在している。

    昨日は、何をやっても上手く行かず、げつばたとして、イライラもした。
    だから、諦めて、疲れた足取りで、万代に向かった。
    本心は、あまり何にも期待はしていなかった。
    パスタは、きっといつもの味ならまぁいいか。
    「音楽」ってアニメのことは何も知らないも同然だった。
    それでも、やっぱり、人は出かけてみるものだと、そう思った。

    今日は、妻の誕生日だ。
    さっき、花屋に花束をとりに行って来た。
    そして、彼女のリクエストは、Kでのディナーだった。
    二日続けて渡り蟹だ。
    人生、これだからやめられない。

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