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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020/04/12 07:00:34

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    とにかく感染を防ぐことだ

    いかに生きるか、だなぁ。
    信仰があることは、恵なんだと、つくづく感じている。
    話せば長くなる私の信仰への道だった。
    しかし、これは、私がそうしようとして、
    そうしたのではないことだけは確かなことだった。
    「そうなるように、そうなってきた」と、確信している。

    自分の人生に起きたことは、全て偶然ではない。
    その出来事、出会った人には、全て「意味」がある。
    その「意味」とは、神様から来るものだった。
    その出来事に「意味」を感ずることで、
    そのことは、災難にも、絶望にも、挫折にもならない。
    「何で、私が」ではなく、
    「このことから、何を学べばよいのか」の問いに変わるからだ。

    昨日、墓の話を考えながら、
    墓を建ててて亡くなった行った父と母には、
    そうした「仏様」や「神様」はいなかったんだろうなぁと、
    何だか少し寂しくなった。

    ウイルスのことを考える。
    それは、赤いピンポン玉だと私は思う。
    できれば誰の目にも明らかであればよいと思う。
    すると、あそこにある。ここにあると、明確に分かるからだ。

    「濃厚接触」「三密」という言葉を知った。
    つまり、この玉を持っている人がいる場所には行かないことだ。
    そして、例え知らずに行ったとしても、接近しないことだ。
    離れて居る。話をしない。換気する。
    それから、どこにこの玉が落ちているか、付着しているか分からない。
    だから、手や指をアルコールで消毒する。
    何かを触った手で、顔に触れない。その指で目の周りや口に触らない。

    それでも、東京では感染の拡大が止まらない。
    そのために「緊急事態宣言」を出した。
    「不要不急」な外出をしない。
    感染の可能性のある施設や商店、居酒屋等の営業自粛を訴える。
    そして、その自粛は、要請に変わる。
    どうしても店を休まざるを得ない。
    ところが、収入の道を全く断たれるので、死活問題となる。
    しかし、国からは休業補償が出ない。

    新潟県でも、まだまだぽつぽつと感染者情報が発表される。
    県外からの帰省者や、外国からの帰国者が多い。
    そして、その濃厚接触者として、その家族や友人、立ち寄った先の職員ができる。
    本人も感染させられた人たちも、その玉を受け渡したことを知らない。
    だから、A町にも、B町にもその玉は存在していなかったのに、
    その玉を外から持ち込んでしまった人がいるなら、
    「自分は感染者なのかもしれない」と思い。
    帰省したら、実家に帰ったら、少なくとも二週間は自宅待機する。
    また、家族を感染させないために、別室で生活をする。

    ある拉麺店に行った時のことだ。
    カウンターの上には当然置かれているはずの胡椒、ラー油、酢の容器が無かった。
    「必要な人は、声をかけてください」との紙が貼ってある。
    「そうか・・」と気付いた。
    この玉を持っている人が、その容器に触れた時、
    その玉は、その容器の表面に付着するからだ。
    それを知らずに、次の人が手に取ったら、やはり大変なことになる。
    だから、使われた容器は、一回一回アルコールで消毒する。

    昨日は、ヨガの日だった。
    自転車で行ったので、申し訳ないが、マットを借用した。
    感染予防のために、マットを持参することにある日からなったからだ。
    お互いのマットの距離は、2m以上開ける。
    マスターのMさんは、マスクをして指導をしている。
    私も冗談を言わず、だじゃれも言わず、黙々とヨガに集中だった。

    あんまりにも天気がよかったので、
    櫻も満開で見ごろなことと、自転車で万代島の一周をした。
    そしたら、いるは、いるは。
    やすらぎ堤の上も、ジョギングやサイクリング、散策の人たちだ。
    途中の公演には、小さな子と一緒に遊びに来た親子連れでいっぱいだった。
    外ならば、安心・安全なのだと言う共通認識が在る。
    それに、私がそうなように、家で引きこもっているとのストレスは大きすぎる。

    さてさて、これが今、ここで、行われている事実だった。
    川崎の次男は、連休で帰って来ることを、控えてもらうことにした。
    もしものことがあったら、大変なことになるからだ。

    そして、考えた。
    この玉をもらってしまったとして、最も恐ろしいことは何かと。
    それは、何も自覚症状が無く、私がこの感染を拡大することだった。
    私には、全くそんなつもりはなくても、
    もし、私が感染者になってしまったら、どれだけの人たちに迷惑をかけてしまうか。
    本当の感染の恐ろしさとは、人を感染させてしまうかもしれない、そのリスクだった。
    もし、私が家族に感染させ、家族は、その職場の人たちに感染を広げてしまったら。
    もし、私が感染を知らずに、あるお店を訪れ、友と会って話をしたとしたら。
    私の感染が明らかになった後、どれだけの人やお店、施設の人たちに迷惑をかけるか。

    この感染の怖さは、本当は、知らずに他者を感染させてしまうことにある。
    そのことでは、ないだろうか。
    感染し、重篤になり、死に至ることも恐ろしいことだ。
    しかし、今の私にとっての恐ろしさは、
    「あのクマさんが、感染を広げたんだよ」という、その声だ。
    「ああ、あのウイルスの人だ」と、言われ続けたらどうしたらよいのか。

    つまり、今の日本の現実では、感染者がかっての〇〇病のように、
    人権を侵害され、差別を受ける可能性が大きすぎると言うことだった。
    感染者に対する同情より、もし、非難が大きかったとしたら、
    かって行われていた差別が、
    このウイルスによって引き起こされてしまう可能性も無きにしもあらずだ。
    明日は、我が身かもしれない。
    そうならないことを祈り、そのための努力は惜しまない。
    自分の生活を律し、注意して生活している。

    カミュの「ペスト」が大ベストセラーとなったそうだ。
    それでは、私は、今、ここの、この現実から何を学ぶのか。
    それは、やはりこうした災害や疫病を通して顕れる、
    神様からの何かの「意味」なのではないかと考える。

    とにかく、細心の注意を払って感染予防に努めるだけだ。

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