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from: クマドンさん
2020/04/15 06:20:59
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「内なるペスト」とは何か
今朝は、とても爽やかな朝だ。
東の空にもうすぐ朝日が昇る。
今は、もう五時前に白々と外が明るくなっている。
いつものように季節は、春に移りつつある。
昨年の今頃、私は新たな気持ちで仕事を始めた。
職場に行く。子どもたちに挨拶をする。勉強を教える。給食を食べる。
それは、いつものようないつもの出来事。
まさか、一年後にはこんな生活になっているとは、
全く予想もつかないことだった。
今は、目に見えないコロナウイルスの恐ろしさだ。
感染するリスクよりも、他の人たちを感染させるリスクが大きい。
だから、外出を控える。不特定多数の人混みには行かない。
こうして一カ月間の自由を自分に許してもらったのは、
鹿児島に渡り、そこからJRで一筆書きの旅をするつもりだった。
しかし、緊急事態宣言が各県で出されている。
文字通り、県境を跨いでの移動は、自粛して欲しいということ。
そこには、目には見えないバリア・ボーダーラインだった。
それは、人と人との間にも起きている。
知っている人たちとは話はできる。
しかし、知らない人たちとの接触は避けられる。
私は、マスクをあまりしない人だった。
しかし、先日、バスに乗る時はマスクをした。
教会の礼拝の司会でもマスクをした。
それは、私と同じ空間にいる人たちに、不快感や不安感を与えないためだ。
こんな生活が当たり前となっている。
コーヒーを出したり、お酒を出したり、
そうしたお店のお客さんは、激減していると聞く。
昨日は、やっと車のタイヤの交換だった。
もう腰がやられているので、スタンドに頼むことにしている。
その間に、山の下橋を渡り、東港線を散策した。
その帰りに、コーヒーの名店である「煎」に初めて行った。
マスターと話をしたいことも目的の1つだった。
何だかね。
人が集まっていた賑やかだった場所に、人が居なくなってしまった。
「いつ収束するんでしょうね」
「アルビは、今年どうなりますかね」
「こればかりは、いつまでとは言えませんね」とのことだった。
話題はまずコロナウイルスのことからだ。
夜は、シンさんのお店に行った。
シンさんは、何とアンコウを洗い、大きな鍋にアンコウ鍋を作っていた。
ランチを再開したそうだ。
私は、いつものレバ刺しをいただいた。
やっぱり話題は、コロナウイルスだった。
みんな一日も早い収束を願っている。
しかし、そう言いながら、いつになるか分からないその日のことを、
半ば諦めたような暗澹たる気持ちで待っている。
県立の学校の休校が決まった。
やっと再開されたばかりの学校だ。
特に新入生や受験を控えた3年生は、心配で不安なことだろう。
混んだ電車やバスが心配なら、始業時刻を10時にすればいいのではないかと思った。
または、学年によって時間差の登校時刻にする。
そして、時間表を短縮し、4時間授業で下校させる。
部活は無し。とにかく三密を避けるための努力を行う。
閉鎖してしまえば、その教育を受ける機会すら失われてしまう。
登校したい子・登校できる子は、登校すればいい。
心配で不安な子は、出席停止扱いで、欠席にはしない。
妻に言わせれば、これも問題発言だと批判された。
カミュの「ペスト」だ。
絶望の中で諦め、何もしないで享楽的な、刹那的な生活をする人たちが居る。
その中で、「保健隊」を自主的に組織して、
ペストで亡くなった遺体の処理に奔走している人たちも居る。
こんな自分でも何かの役に立ちたいと、そこに参加する人も居る。
封鎖した街から出られるにもかかわらず、街に留まる決意をした人も居る。
そして、自分の信念によって、旅行者でありながら、参加した人も居る。
それは、その人、それぞれの「倫理」なんだと、カミュは言っている。
つまり、その極限状態の中に追い込まれた人間は、
どんな内なる「倫理」によって行動するかが、問われているのだ。
遺体処理の仕事には、感染リスクが絶対に高まる仕事だ。
そして、その遺体は、半年を過ぎても、増えるままだった。
この闘いには、終わりが見えない。
「いつ終わる」とは、誰も言えない。
増えるのは感染者と遺体の数だった。
そうした都市封鎖の行われ続けているオランの街。
そこで問われているのは、1人1人の生き方そのものだった。
さてさて、同じような状況に追い込まれないことを心から祈っている。
「ああ、あんなことがあったね」と、笑って言える日が来ることを願っている。
しかし、私には、何もできない。
ここでは、私自身の日々の生き方・生活の仕方が問われても居た。
感染しない。感染を拡散しない。まさに見えない敵との闘いだった。
しかし、この状況の中で、私たちは「内なるペスト」が増殖することを、
本当は恐れていなければならないし、警戒を怠ってはならないのだった。
カミュの「ペスト」は、そのことへの警告だった。
それでは、コロナウイルスでの「内なるペスト」とは何か。
そのことを独り独りが考えて、より善い行動をすることが、
「倫理」なんだと語られていた。-
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