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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020/04/21 15:47:28

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    ああ、幸せだったんだなぁ

    メンテナンスの為に朝、書き込みが出来なかった。
    それで、こんな時刻にこれを書いている。

    日中の町内は、とてもとても静かなんだな。
    人も時々、我が屋の前の道を通るだけ。
    30m先の小路の奥のリホーム工事も今日は静かだ。
    雨がだんだん上がって来た頃合いをみて、庭で樹木の剪定をやった。
    重なった枝をちょきちょきと切って行く。
    全く素人だから、何も怖いものはない。
    ただ、思いつくままにどんどん切って、すっきりとして仕事を終える。

    昨日、NHKの「鶴べぇの家族と乾杯」を観た。
    福島県の川俣町だった。
    「エール」の古関祐司さんの故郷だそうだ。
    菊池桃子さんがゲストだった。

    3月の下旬の収録だったようだ。
    呉服屋の女将さんが二人のことを案内した。

    誰もマスクをしていない。
    鶴べぇたちと握手にハグの濃厚接触だ。
    知り合いになった家族の家にお邪魔する。
    子どもたちの学校は休校中だった。
    二人はリビングで子どもたちと話し、家の前での記念撮影。

    地元のシャモの肉を使った親子丼の名店がある。
    突然に訪れたら、たくさんのお客さんに大歓迎だった。
    みんな昼から家族や友人たちとわいわいと楽しそうに食べていた。
    ここでもやっぱり、握手して、肩を寄せ合い記念撮影。

    商店街のお店は、どこもいつものように開店していて、
    文房具店の店主と話し、その家族に会うために自宅の二階にお邪魔した。
    それから、市役所を訪ね、町長さんが迎えてくれた。
    古関祐司さん愛用のオルガン?を係のお嬢さんが弾いてくれた。

    隣町の土産物店にお邪魔した。
    原発の放射能の為に一時避難した夫婦が、
    旦那さんの退職金で立てたお店だった。
    「また、この街に賑わいが戻ってほしい」という願いだった。
    そこで、蕎麦打ち体験ができる。
    帰ってしまった蕎麦職人のおじいさんをまた呼び戻し、
    菊池桃子さんが蕎麦打ちの体験をした。
    そして、みんなで、打ったばかりの十割蕎麦を賞味した。

    スタジオでは、鶴べぇさんと菊池桃子さんの楽しいトークだ。
    二人は向かい合わせ、隣り合わせ。
    本当に今回写った街の人たちも、鶴べぇさんたちも、マスクをしていない。
    理容店の44歳、長い髭の独身息子は、約束通り髭をバリカンで剃っていた。
    笑顔。笑顔。本当にほのぼのと、楽しい街の人たちの景色だった。

    しかし、今は、どうなっているのだろうなぁ・・・と、ふと考えさせられた。

    今、街から、この風景が失われた。
    年寄はそんなみんなが集まる場所には出られない。引きこもりだ。
    家の中でも全員マスクをつけているだろう。
    あの親子丼の名店は、自粛の為に休店しているかも知れない。
    何よりもお客さんが激減していることと思われる。
    県外客などもっての他だ。
    どのお店も固く扉を閉ざし、休店・休業の張り紙なのかも知れない。

    そして、テレビクルーもそうだろう。
    1つの小さなバスで機材と共に移動は出来ない。
    三密の状況は、収録中はしょっちゅうの出来事だ。
    だから、今は、こうしたロケもままならなくなっていると思われる。
    何よりも、東京からやって来られては、みんな迷惑をするだろう。
    まず、ロケハンがこの街に入ることすら、お断りだと思う。

    そうした川俣町の人たちの笑顔や、普段のままのお店の様子が、
    何だか、何だか、とても懐かしい光景に想われた。
    いつものようにいつもの生活・暮らしぶりだ。
    しかし、今、この国では、もうこんなシーンを収録することは不可能になった。

    私たちが、コロナウイルスによって失ってしまったものは何だろう。
    本当は、当たり前なことなので、そのまんまにしていたことが、
    本当は、当たり前でなく、恵まれた喜びだっんだの実感だった。

    居酒屋で仲間たちと「乾杯」と酒を飲むことができなくなった。
    映画館に行き映画を観たり、好きな音楽を聴きにコンサートにも行けなくなった。
    トレーニングジムや、プールも閉鎖されたままだ。
    公民館での合唱の練習も、いつ再開できるか目途が立たない。
    街に出れば、みんなマスクをしている。
    人が集まる場所や施設ではマスクをしていないとじろっと見られる気がする。
    隣の人とは2m以上離れて座る。
    お互いに会っても話をすることすら気をつかう。

    何でもないこの川俣町の街の人たちの笑顔や、お付き合いの様子が、
    何だか別の世界か、ずっと昔のこの国のことのように感じられた。

    さてさて、失ってみないと分からない私だった。
    それでは、つい数か月前まで私が当たり前としていたことで、
    本当は絶対に失いたくなかったのに、今はもう手に入らないものとは、
    一体何かの「問い」だった。

    平常にいつものようにそのまんま何の不安も恐れも感ぜず、
    ただ、「そうしよう」と思ったことを、そうできる。
    そんな日常の普段通りの生活が、こんなにも在り難い生活であったのか。
    やっと実感として、そのことが私にも分かりかけて来たようだ。

    震災にあっての避難所生活をしていた人たちの長く辛いその生活。
    放射能の汚染によって避難指示が出され、故郷を追われ、まだ帰られない人たち。
    話は違うかもしれないが、太平洋戦争の「戦時下」の国民の暮らしと生活。
    そして、カミュの「ペスト」で描かれたオランの街の人たち。

    私たちは、今、ここで、目には見えないコロナウイルスの恐怖に曝され、
    自由な暮らしと生活とを奪われた、不条理な街の中で暮らし、生活している現実。
    「戻れたら、今、ここから、すぐにでも戻りたい」という切実な願いと気持ち。
    だから、この日のこの気持ちは、絶対に忘れてはいけない気持ちだった。

    いつか必ず、この事態が語り草となる時がやって来る。
    それはいつなのかとは、誰も言えないが、必ずその日はやって来る。
    そしたら、「こんなことをやりたいなぁ」と想うことは、
    とてもとても細やかで、倹しく、
    つい数か月前の普段の退屈な生活ではないだろうか。
    「ああ、何か面白いことないかねぇ」と、外に刺激を求めていたあの頃の私。

    いやはや、その生活って、実に「幸せな」生活だったんだなぁとの気付きと驚き。
    まぁ、いつか、この騒動が収束して、安全宣言が出された暁には、
    日本中の街が、この川俣町のような街になることを祈ってやまない。

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