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  • from: クマドンさん

    2020年04月23日 06時38分04秒

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    身体に気持ちよい話をしよう

    昨日、小千谷のSさんと電話で話した。
    日中家に独りで居るので、誰とも話さない生活をしている。
    それはそれでまた楽しなのだが、
    やっぱり何だか電話をしたくなる私だった。

    「身体に気持ちよいことをしましょう」が二人の確認事項だった。
    私は、毎朝のルーテーンについて話した。
    朝食をゆっくりと食べていることと、
    新聞を隅々まで丁寧に読んでいることだった。
    その時は、テレビを消して、FMのクラシックを聴いていることも話した。

    どうしてこのことが気持ちよくなるか。
    それは、こんな時間の使い方をそれまでの生活には無かったからだった。
    朝食は、7時に出勤するために、5分くらいでいつも食べていた。
    食べることが目的ではなく、早めに出勤することが目的だった。
    慌てて食べていた朝食は、何かの途中の出来事にしか過ぎなかった。

    新聞は、一面とテレビ欄をポストから取り出し、
    ダイニングのテーブルに置くまでにちらっと目を通すだけだった。
    「帰った来たら読もう」と言いつつも、
    読まなかった新聞が何日分もテーブルの上に、
    配達されたままの格好で積み重ねられてあった。

    そんな生活だから、朝、クラッシックを聴いてくつろぐ優雅な時間は全くなかった。
    あの入院中の病室を思い出した。
    あの時、出家状態だったから、
    このような気持ちの良い時間の使い方に慣れることができたようだ。
    「Sさん、あれもこれもとあくせくしないことにしました」
    「時間の流れがあるのなら、その流れにぷかぷかと浮かんで流されます」
    「気が付くと、もうこんな時刻なのかと、驚くことがあります」
    「そうやっていると、独りだから寂しいのではなく、充実しています」

    本当にそうだった。
    独りであることは当たり前だ。
    その独りで居られるかどうか。
    気持ちよく独りで生活して居られるかどうかが、
    この巣ごもり生活の秘訣のような気がした。

    そうであっても、少なくとも一つだけは仕事をする。家事をする。
    昨日は、大袋1つ刈った草木をまとめて捨てに行った。
    それだけで、一日の仕事は十分だった。

    昼食は、自分で作っている。
    何を作ろうか決めるのは、冷蔵庫の中に入っている食材だ。
    天ぷらがあったので、うどんにしようと想ったら、
    確かにここにあったはずのうどんが消えていた。
    「誰が、食べた・・・」と、仕方なく「喜多方ラーメン」にした。
    必ず炒めた肉と野菜を上に盛り付ける。
    おろしにんにくをたっぷりいれることが隠し味となっている。
    実は、ラーメンにも天ぷらが合うことを発見した。
    嬉しかったなぁだった。

    Sさんと話に戻る。

    「共感」についてだった。
    実は、本当に不思議なんだが、
    心から喜びと感謝をもって「共感」できる人と出会うことがある。
    私にとってはSさんが、その人だった。
    それは、カミュの「ペスト」の一場面だ。
    満天の星の下でリウーとタルーは海に行き、泳いで沖に出て行った。
    その時、タルーが語った物語にリウーは深く深くで共感するのだ。

    それは、自分だった。
    まさに、私が彼だった。
    その驚きと感動を味わい、二人は深い深い「友情」を感ずる。
    その時の二人には「共同感覚」つまり、「共感」が生まれた。
    共に同じことを感じ、それをお互いに確認し合う。
    それって、とてもとても不思議な二人だけの感覚だった。

    私とSさんは、その共感を「そうだねぇ」と言える。
    その同じと言うことは、そもそも「1つ」だと言うことだ。
    その一つが、Sさんにも、私にも感じられる。顕れる。確信できる。
    だから、この共感はゆるぎなく、いつまでも続く友情となる。

    それから、こんな話もした。
    火曜日の夕方、散歩の途中で花屋さんに寄った。
    するとマーガレットがとても可憐に咲いていた。
    何だか私のことを待っていてくれたみたいだったので、
    一鉢200円の花を3つ買った。600円也だった。
    店の中に入ると、見事なバラの花たちが私のことを迎えてくれた。
    今、花の値段も落ちているとのことで、
    大量に仕入れたとお店の人は笑顔だった。
    ピンク・イェロー・薄いレッド。
    そのバラたちが一抱えもあるほどそこにあった。
    私は、その中の一本と紫の花一本で花束を作ってもらった。
    450円だった。合計1050円だ。

    その時、ふと感じた。
    百円玉が、バラに変わった。
    お金とは、私が握ったままではお金のままだが、
    そのお金を使うことで、我が家にはバラの花がやってきた。
    今、ここに咲いてくれている二本の花は、
    私が1050円と言う代金を払ったからここに居るのではないか。
    私は、その事実に改めて驚いた。

    何だ銀行にどんなにお金があったとしても、
    そのお金は誰かの何かの役に立っているお金ではないのではないかの「問い」だ。
    この1050円は、花屋さんにとって在り難い収入である。
    そして、それは間接的にこのバラを育てた花農家のとっても大事な収入となっている。
    そのことで、その人たちの生活が成り立つと言うことは、
    そのお金がまたどこかで使われ、誰かの生活を助けるということだ。
    すると、一度使われたお金は、誰かが使い続けることで、
    人から人へとそのひとの生活の糧となり、力となっていく。
    そして、我が家の花壇にはマーガレットが咲き、ここにはバラが咲いている。

    これこそ、私ができる「連帯」ではないかとの話だった。
    Sさんは、私のこんな細やかな気付きの話に、いたく感動してくれた。
    このお金についての私の発見は、このコロナウイルスのおかげでもあった。
    「そうか。そうだったんだね」と、
    私たちは、これまでの82年間・62年間の人生の中で当たり前にしてきたことが、
    こんなにも深い「意味」があったのかと、改めて気付いた次第で会った。

    それは、とても身体に気持ちよい話になった。(笑)

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