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from: クマドンさん
2020/05/17 07:02:21
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カチッと音がする。スイッチが入る。
昨日も、植木と格闘だった。
前日一本のコデマリを掘り返し、移植した。
昨日は、もう一本というか数本のまとまった樹木の移植だ。
これがまた、大変な作業となってしまった。
この家を建てた当時、父が植えたものらしい。
つまり、植えてから30年以上たっている。
樹木の上の枝は、移植しやすいように短く刈った。
しかし、その根が何とも手強く、しっかりと、逞しい。
砂地なのに奥深くまで太い根が達していた。
これをどうするか。
とにかく鋸で切断するしか方法はなかった。
私は、この樹木の根を切断しながら、思ったものだ。
私は、この樹木に対して余計なことをしているのではないのかの迷いだった。
私としては、この樹木を助けたい一心で、
この切断作業を行っていたが、樹木自体はそのことをどう想っていたのかだな。
れでも一度始めた作業を途中で中断するわけにはいかず、
最後までやりきって、前の庭の塀の横に移植した。
幸い、雨も降ってくれたので、定植してくれることを願うばかりだ。
そんな作業中だった。
近所の小学生の女の子4名が我が家の庭を訪れた。
「クマさん、何してんの?」
「木をこれから植え替えるんだ」
「ふぅん、入っていい」
「おっ、いいぞ、入れ入れ。花、きれいだろぅ」
「うぁ、きれいだぁ。すごいね」
子どもたちは5年生から2年生の姉妹だった。
「あっ、雀だ」
「餌をやってんだ」
「私も雀に餌をやりたいなぁ」
「いいよ、やってみな」
子どもたちは餌を手に取り、ブロック塀の上に並べて、観察を始めた。
「静かにしていないと、雀はやって来ないよ」
すると、遠くでじっと立ち止まり、雀たちがやって来るのを見ていた。
雀が来た。そして、ピョンピョンと跳んで、餌の所へ行き、ついばみ始めた。
「やったぁ。やったぁ。雀が食べたよ」
小さな感動、大きな喜びだな。
それから子どもたちが遊びに去ってから、私は樹木の定植にかかった。
とにかく、根を張ってもらいたい。
ここで生きてもらいたい。
しかし、素人の私のやることだ。
きっと大きな傷を負わせてしまったのに違いないなぁ。
「ごめんな」
何だかその樹木にすまない気がして、謝った。
とにかく、ここで、生きて欲しい。
腐葉土をたっぷりを敷き、根っこの周りを囲った。
養生だけはしっかりとしてあげたかったからだ。
定植が終わり、私はどっと疲れを感じた。
午前中はヨガのトレーニングから、ずっと動き続けだったからだ。
そう言えば、最近は、じっとしていない。
本もじっくりと腰を据えて読んでいない。
道元の言葉を庭で歩きながら読み返すだけだった。
本の言葉より、庭での仕事。
身体をこうして動かすことが、生活のメインになっていた。
縁側でコーヒーを飲んで休んでいたら、
2歳くらいの男の子と5歳位の女の子だった。
若いお母さんが散歩をしていた。
我が家の門の横には、丸い大きなプランタが二つずつ両脇に置かれている。
ペンタゴン・デージー・マリーゴールド・ビオラ・パンジーだった。
みんな元気に咲いている。
その一つ一つの個性的な花の色が美しい。
思わず立ち止まり、声をかけたくなるような可愛らしさだ。
突然、女の子の声がした。
「うぁ、きれいだねぇ」
すると、お母さんがその声の後で、
「ほんとだねぇ、きれいな花だねぇ」と、嬉しそうな声だった。
それは、マーガレットの花たちへの感動の声だった。
今、30以上の花が黄色と薄ピンクの色で咲いている。
黄色は淡く優しい黄色で、ピンクは少女が恥ずかしそうに頬を染めた色あいだ。
ある日、私は、このマーガレットを庭に置いておくのがもったいなくなった。
この子たちを、もっともっとみんなに見てもらいたい。
そして、通りかがった人の心に、ほんの少しでも、
「きれいだねぇ」「かわいいねぇ」という気持ちを感じて欲しい。
そして、この子たちのことを褒めてもらいたい。
そんなつもりで、この花たちを通りに出して、見てもらっている。
しかしなんだな。
現実は、そんな感動の声は、聴こえない。
何だかそこにこんなにも可憐な花たちが居ることすら目には入らないのか、
黙って、ただその前を素通りする。
その花に一瞥すらしない人も多い。
こんなにきれいな花があったら、私は、きっと立ち止まって、暫く眺める。
美しく花を咲かせている庭があったら、立ち止まって魅入っている。
プランタにパンジーが満載だったら、「きれいだなぁ」と声を出す。
自然が身近にある人たちは、きっとそうする。
花や野菜を心を込めて育てていたOさんの畑の横を通るだけで、
何だか気持ちよく、胸がすっきりとしたものだ。
それは、ここに愛されている命があるからの喜びだ。
そのOさんは、80歳を過ぎた女性だ。
先月、山の階段で倒れ亡くなっていたそうだった。
今は、だから、畑の花や野菜たちも寂しそうだ。
「きれいだなぁ」
「素敵だなぁ」
「いい色だなぁ」
そんな小さな感動・大きな喜びを、花たちは私たちに与えてくれる。
その瞬間、カチッと優しさスイッチが入る音が聴こえる。
そう心から感動した瞬間に、心の何かが目覚める感じがする。
気持ちよくなる。何だかこの気持ちのまま、人にも優しくできるようだった。
「可哀想だなぁ」
「ごめんなさいね」
そんな気持ちも同じだった。
私は、植えたまま弱ってしまったダダ茶豆の苗を見て、
本当に申し訳なく、哀しくなってしまった。
そのスイッチは、あの樹木の太い根っこを切っている時にも感じた。
自然の命にとどれだけかかわっているかだなぁ。
そして、自分で花を育て、野菜を育て、日々、どれだけお世話をしているかだった。
その日々の生活の中で、この小さな感動・大きな喜びを感ずる。
そして、どれだけこのスイッチがカチッと音を立てて入るか分からない。
かかわればかかわるほど、その人の心が豊かになる。
それまで眠っていた感覚・感受性が目覚める。
そして、好きになる。大好きになる。
大事にしたくなる。いつも心配するようになる。
これって、「愛」なんだな。
確かに、庭や畑を見ると、その人の「愛」が分かる。
「ああ、いい人なんだな」
「ああ、優しい人なんだな」
亡くなったOさんは、そういう人だったな。-
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