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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020/05/19 06:35:13

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    子どもと向き合う時は

    雨だなぁ。
    4時に目覚める。雨の音が遠く、静かだ。
    この音に心落ち着くようになった。
    「雨だなぁ」で、ほっとする。
    今日は、本でも読んでいようかと、心を切り替える。
    あるもので、満足する。
    いや、あるものだけで、いい。
    そんなことを感じられるようになっている。

    歳なんだなぁと、感じた。
    学童保育の支援員の募集があった。
    その求人のチラシを大事にとっておいた。
    〆切が昨日の日付だったので、ネットで申し込みの用紙を取り入れ、
    そこに履歴や資格を書いて先週の土曜日に投函した。
    受験票は今日か明日には届くだろうと思っていた。

    もう1つ市報で支援員の募集があった。
    近くの小学校だったので、これはいいと電話で問い合わせた。
    「支援員は、60歳定年ですよ」とのことだ。
    私は、62歳と10カ月。年金はまだもらえない。
    「あのぅ、支援員の試験を受ける申し込みをしたばかりなんですが・・・」
    「そうですか。でも、市では60歳諦念なんですがね」とのこと。
    では、私が提出した願書はどうなるのか。

    「補助員なら、お願いできますよ」
    「このコロナの関係で手が足りず、とても困っています」
    「来ていただけたら、とても助かります」との言葉。
    「そのお仕事をしている人はの年代はどんな方ですか」
    「50代や60代の女性が主ですね」
    「そうですか。分かりました。願書の返事が来たら、また連絡します」

    さてさて、正職員での採用を考えていた私だった。
    しかし、この年齢は、そうした採用の対象ではないことがよく分かった。
    まだまだ、やれる。
    まだまだ、子どもたちのために何かできることがあったら、働きたい。
    まだまだ、これまでの経験と技術を生かせる場はあるはずだ。
    3月でK小学校を退職してから、1カ月半たった。
    何と世の中がコロナの為に大混乱の自粛になろうとは予想もしなかった。
    その自粛のおかけで、内面的に自分自身と深くで向き合うことができた。

    そして、考えた。
    まだまだ、仕事をやれるのではないかと。
    そして、その仕事を自分のためでなく、誰かのためにやれるのではないかと。
    つまり、仕事に対する考え方を少し変えて、
    自分を捨てて、自分のことではなくて、その子どものために、
    こんな私でも何かができないかと、考えるようになったのだ。

    それは、退職してからその年の9月にK小学校に突然招かれた。
    現場には戻らないつもりでいた私だった。
    固辞をしたが、3カ月でもいいから来てくれとのこと。
    担任が倒れて2カ月間担任不在な状況だとのことでもあった。
    そして、行ってみたら、可愛い子どもたちだ。
    「はまった」とでも言うのか、毎日がとてもとても充実して、楽しかった。
    そして、子どもたちが個性を発揮して、みるみる変わった。成長した。
    その1年半で6名の卒業生だった。

    不思議なものだった。
    62歳。ある意味、欲が無い。脱力している。教えない。考える。考えさせる。
    退職して、私は、何かそれまで組織の中で担って来た責務を降ろした。
    まっさらのただの自分で生きていた。
    そのままで、この学校と言う現場に戻った。
    確かに、この現場の現実に対する見え方・かかわり方がすっかりと変わっていた。

    それは、私が何とかするというのではなかった。
    この子たちがきっと何とかしてくれるのだという期待だった。
    それから、教える前に、いつも課題を与えて考えさせた。
    答えは、教えない。答えは、子どもたちが見つけるものだからだ。
    教えられた答えは感動は無い。
    その子の学びを育てる力にはならない。
    何よりも、教えられたことで、その子の生き方は変わらない。
    だから、気付かせることだ。発見させることだ。

    学びの主体は、子どもたち自身にあり、だな。
    だから、私は、いつもどうすれば善いのかいつも一緒に考えた。
    だから、課題と向き合わせることと、子どもたちの考えを整理して、
    その解決に向けての道筋を整えることが、私の日々の喜びとなった。
    これは、仕事ではない。楽しみなんだ。
    そして、人とは、深く深く考えることが、生きることの喜びなんだ。
    その実感を、子どもたちとの日々の学習と生活、活動の中で味わった。

    その味わいが、とてもとても私にとっては新鮮だったる
    確かに、それまでもそのようにして、子どもたちには向かっていた。
    日々の授業は、学びと発見の喜びだ。
    いつもそれは一幕の舞台の感動でもあった。
    「おもっしぇかったな」と、興奮して教室を出ることが度々だった。

    しかし、その根底の私は変わっていないのに、
    何でこの日々に、心からの喜びを感じて生きてこられたのか。
    それは、確かにどうにもならない場面に出会い、
    立ち止まり、思案し、呻吟し、暫し動けなくなってしまったこともある。
    しかし、それすらも自分の喜びとして歩き続けられたのは、
    私が、きっと、私を捨てていたからだと、今でも想う。

    私が何かをしてやっているのでは駄目なんだ。
    私が何かを成し遂げたではまでまで何だな。

    つまり、組織の中での余計な重荷、しがらみと義務を捨てる。
    この組織の中で、「居ても居なくてもいい人として生きる」。
    そして、善い意味で「いい加減」に無理をしないで飄々と生きる。
    そして、善い意味で「どうでも、いい」と、全てをあるがままに肯定する。
    そして、「自分が」何とかしようとは、思わない。
    「成るものは、成る」「成らぬものは、期待して待てばいい」と、居直る。

    これが、できた。
    だから、きっと子どもたちも楽しかったのだと想っている。
    先生ではなく、大人であればいい。
    教える人ではなく、共に考える人でいい。
    何よりも、その子のことをリスペクトできる人であることだ。

    私は、やはりなぁと、思ったことがある。
    それは、大人は子どものことを本気でリスペクトできるかどうかだ。
    そして、その子とことを本気で好きであるかどうかということだ。
    その子のことが大好きで、本気にリスペクトできるなら、
    どんな子どもたちでも大丈夫なんだ。
    何故なら、その子どもたちが私のことを大好きになり、
    本気でリスペクトしてくれるようになるからだ。

    これが、教師としての生き甲斐・本望・本懐ではないだろうか。
    62歳で教師をすることで、私はその根底を実感した。

    歳をとらなければ、決して分からなかったことだ。
    力を抜いて、自分を勘定に入れず、飄々と生きねば、
    きっとこの気持ちよい気持ちには、なれなかったと想っている。
    リタイアなんだ。
    自分がという自意識からのリタイアだ。
    そこで、自分をゼロにすることで、初めて見えるあるがままの美しさだ。

    そんな気持ちで、もう一度子どもたちの居場所に戻りたいと想っている。
    「支援員」は年齢でアウトのようだ。
    「補助員」なら求められていると言う。
    今週、考えて、その答えを出そうと思っている。

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