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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020/05/21 07:33:18

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    解放された後に何を求めるか

    さてさて、学童保育の支援員になりたいと願書を出した。
    募集要項にはどこにも年齢制限が書かれていない。
    その下に20代~60代の仲間が活躍中とも書かれてあった。
    「それでは」と、せっせと願書を書いて送った。
    そしたら、昨日その願書が返却されて届いた。

    今、このご時世だ。
    学童保育も大変なことだと察しする。
    だから、退職教員の私でも少しでもお役に立てればと思っていた。
    しかし、就労条件・規定がそうなっている。
    そうだろうとは思っていたが、残念だと思った。

    そこで、手紙を書いた。
    支援員も臨時と言う身分で、
    60代のこうした退職した教員の再就職の機会を作ってもらえないかのお願いだった。
    まず、無理だろうなぁとは諦めている。
    今回のコロナの政府の対応を見ていても、
    迅速な対応は、なかなか難しいからだ。
    お役所仕事の決済が上に廻って行く間に、
    どこか途中で修正せよと、差し戻される。
    改革は、この国ではとてもとても難しい。

    時代はどんどん変化している。
    課題は次々と生まれている。
    そのことで困っている人たちもたくさん存在している。
    しかし、迅速には対応しない。
    それは、決定・決断をした人が、責任をとらされるからだった。
    だから、自分の責任でやるという役人が居なくなる。
    その後の人事や処遇・昇進にそのことが響くからだ。

    だから、きっと変わらない。
    そのままでいる。
    しかし、平時の時はそれでも世の中は回っていた。
    この緊急事態ではどうなのだろうか。
    緊急ということは、急を要するということだ思っていた。
    しかし、緊急で行われたことは、いつくあったのかだな。
    いつも後手後手、慌てふためき、その場しのぎ。
    先を予測して、リスク管理しての先手必勝は、どこにもなかった。

    未だに休業補償金も払われないのが現状だ。
    明日までにこの金がなかったら、店を閉じなければならない。
    そうした切迫した想いに対して、
    煩瑣な書類書きと、不備が一つでもあったら、やり直しの窓口だ。
    10万円とアベノマスクはいつ我が家に届くのか・・・。

    黒澤映画の「生きる」のあの世界は、
    まだまだ今の行政や役所の仕事に「生きている」。
    変化に迅速に対応する。
    課題を解決しながら、考えて、改善する。
    とにかく、動く。対応する。決断する。決済する。
    その責任は、「俺がとる」、それでいい。

    安倍ちゃんも、国民のことよりか、自分の長期政権を優先にする。
    コロナ対策よりか、その後の経済対策を重点に置いて予算を組んだ。
    まさに、言語道断の決定だった。
    上に立つ者が、自己保身に走る。自分の利益を最優先にする。
    いつまでもその席に座っていたい。
    だから、余計なことはしない。
    まずいことは、隠す。無かったことにする。部下に押し付ける。

    黒澤映画の「悪い奴ほどよく眠る」そのものだな。
    正直な奴・真面目な奴に、その責任は押し付けられる。
    「お前が死んでくれたら、遺された家族の面倒は俺がみる。」
    そして、罪に問うても、告訴しても、権力者はその裏をかいくぐって難を逃れる。
    しかし、この船もいつかは、沈む。
    沈みかかった船から、逃げるのも早い者だ。
    いつしか権力者と呼ばれた者は、孤立し、捨てられる。
    それも約束された末路だった。

    だから、こうした機能不全している権力には迎合しない。
    その権力にすり寄って甘い汁を吸っている者たちは、
    いつか必ずそのやってきたことへの責任を問われる。
    そのことをおもんばかることも大事な処世訓だな。
    黒澤映画「赤ひげ」のあの医師の生き方こそ、
    今、私たち独り独りに求められる生き方である。
    貧しい人たち。病の人たち。身寄りのないお年寄りたち。
    その人たちに心から寄り添い、その人たちの「生きる」を支援することだ。

    そして、黒澤映画「七人の侍」だな。
    合戦が終わり、役に立たないとして浪人となった侍たちが、
    意気に感じて、野武士たちに襲われることとなる貧しい村を助ける。
    百姓には戦う力は無い。
    侍たちは、戦うことが使命だった。
    それ使命を権力者のために使わず、貧しい百姓たちのために使う。
    それが、「連帯」の心意気だ。

    もうそんなことをやっていては続かないということが、
    実は、次々と明らかになっていると私は考える。
    平時の時は、それでも何とかやれた。誤魔化せた。
    それは、弱者の声が聴こえなかったからだった。
    本当は違っていたのだが、私たちは弱者は社会の片隅、
    少数だと勘違いしていた。
    しかし、そうではない。
    私も含めて実はみんな弱者の1人だったのだの気付きだった。

    今年63歳になる。再就職もままならない歳となった。
    社会参加・社会貢献の場所は、規定によって与えられないこともある。
    会社の経営が衰えると、リストラされ、仕事を失う人たちが社会に溢れる。
    病の人や障がいのある人たちは、支援の手が届かずに、孤立している人も多い。
    お年寄りは施設が閉鎖され、ディサービスにも行かれないので孤独で引きこもる。
    寂しいからと言って、友達と会うこともできない。話もできない。
    何よりも人と人との繋がりが断たれ、
    孤立させられ、分断されている人たちの何と多いことか。
    stayhome自粛を強いられ、外出することへの罪悪感を感じている。

    この国中の人たちは、災害の被災者である。
    今、支援の手が届かないと、
    明日を生きる力も希望も失っている状況の人が居る。
    これが現実・現状。
    つまり、緊急事態とは、
    この私たちの生活・人生・命・希望・夢に対しての緊急事態なのだということだ。

    そのことが、分かっていない。
    きっと、その声が届いていない。響いていない。
    もう一つの緊急事態とは、そうした想像力も共感力も同情力も無い心の権力者たち。
    そのことの方が、とてもとても恐ろしいと、私は感じている。
    本当は、とても恐ろしいことが粛々と影では行われているのではないかの「問い」だ。
    国民が気付かない内に、権力は権力として肥大しているのではないかということ。
    驕り・高ぶり・独善を、いつしか「正義」だと塗り替えられることはないのかの恐れ。

    チャップリン映画「独裁者」だ。
    ヒンケルは強大な武力を背景に、独裁者として国民を鼓舞し、演説する。
    それは、自国の利益のために他国を侵略することであり、
    ユダヤ人を自国の未来の為に抹殺することでもあった。
    そして、その命令に従い、ユダヤ人を痛めつけるための「突撃隊」が組織され、
    やりたい放題の悪事を権力の名でゲットーで行う。暴れる。
    そして、それに逆らい反抗する者は、その場で射殺される。収容所に送られる。
    恐怖で民衆を押さえる。逆らうことや、反対することは、絶対に許されない。

    そのヒンケルと間違われ、迫害を受け逃走しているユダヤ人である床屋が、
    最後に演説する場面でこの映画は終わる。
    彼は言う。
    「どんな権力にも、1人1人の自由を奪う権利は存在しない」
    「自分の利益によって他国の国民の命と権利とを奪うことは許されない」
    「そうした自由と権利を奪う権力に対して、公然と戦いを挑もう」
    「弱者である私たちが、今こそ連帯すべき時だ」
    これは、全く私の意訳であるが、このメッセージが、
    今、ここの、私の心に深く深く響き、沁みこんだ。

    確かに、今、ここは、緊急事態である。
    そして、独り独りがstayhomeで自粛して生きている。
    不要不急の外出は出来ない。
    だから、私たちは、今こそ、向き合うべきものと向き合い、
    問うべきものを問い続ける時ではないだろうか。

    このコロナから解放された時。
    私たちがまたあの自由を取り戻した時。
    私たちはどんな国を社会を目指すのか。
    そのことこそ、この緊急事態で考えねばならないのではないだろうか。

    また独裁者と役人たちの時代に戻すのか。
    それとも「連帯」の時代を創るのか。
    その道を決定し、決断するのは、私たち独り独りではないだろうか。

    BSNHKが今だからこそ、チャップリンの映画なのだというその「意味」を、
    私は、彼の映画を観ながらいつもいつも考えさせられる。
    独裁者と権力者には「ゴッドファザー」がお勧めの映画だ。

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