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  • from: クマドンさん

    2020年05月22日 06時57分09秒

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    油断大敵・油汗

    桜の葉っぱにアブラムシが満載だった。
    驚いたなあ。
    とにかく、これは私の油断から起きたことだった。
    桜の葉っぱが密なのはよく分かっていた。
    ああ、少しずつ重なった所が黒くなったなあの自覚だった。
    テントウムシが来ているなの発見。
    そして、あのヒヨドリがどうもこの葉っぱの何かを食べているなぁの事実。
    しかし、私は、詳細を調べなかった。

    これまで、この葉っぱにアブラムシが大量発生したことはなかった。
    何年前かアメシロが発生し、驚いて処理したことはあった。
    その後、アメシロに侵略されることもなく、
    平穏無事に過ごしていたので、まさかそんなことが起きていようとはと、
    すっかり油断していたというわけだ。

    様子がおかしかったので、一昨日、まず葉っぱを調べることにした。
    高枝ばさみで枝を切り、葉っぱを見たら腰を抜かした。
    「何だ、これは」だったな。
    びっしりと1mmも満たない小さな白い卵・卵・卵。
    その中に生まれたての足が生えたアブラムシの赤ちゃんと思しき生物。
    密集したその中から、この白く透明なやつと、黒く小さなやつとが、
    我が物顔にのさばって、徘徊中だった。

    老眼の眼鏡では熟視できないので、
    眼鏡をはずして観察すると、一枚の葉にいるはいるは、何百ぴきだ。
    そうすると・・・・、この樹に付いている葉っぱの数をかけると・・・。
    「うぁ・・・・・・・・。たいへんだ・・・・・。」
    パンディミットだ。
    まさに、これはコロナウイルスのようなものだった。

    気付いた時は、既に遅し。
    何百枚の葉っぱがこの枝には生えている。
    その葉っぱ全てをこのアブラムシは占拠していた。
    つまり、この葉っぱはこのアブラムシたちに支配され尽くしているのだ。
    私は、その事実が、とてもとても恐ろしく感じた。
    気付かない。配慮しない。敏感に変化を感じない。
    安心している。大丈夫だろう。
    アブラムシのことなんかこれっぽっちも気にはしない。
    これが「油断」と言うものだった。

    とにかく対策を考えた。
    しかし、パンディミットで。
    ここまで感染させてしまったら、本当に万策尽きるだった。
    だから、申し訳ないが、全ての葉っぱを除去することに決めた。
    幸い、太い幹を途中で切りさったこの樹には、
    数えられるくらいの葉っぱしか存在していない。
    だから、それを高枝ばさみで、次々と切り取って行った。

    昨日もその作業の続きだった。
    すると、その樹の下の樹の葉っぱにも、黒い点だ。
    何と言うことだろうか。
    感染は、この距離をものともせずに、拡散していたのだ。
    私は、溜息を尽きながら、その長い枝も剪定ばさみでバッサリと切った。
    それでも、まだまだ小さなアブラムシたちは生息している。
    この闘いには、終わりというものは存在しない。

    あの小さな小さなアブラムシを、一匹残らず退治することは不可能だ。
    10年以上前の缶の文字の色があせたKチョールを噴射しみた。
    効かない。それでも、まだそこでうごめいていた。
    特効薬はないのか。ワクチンは存在しないのか。
    私は、ネットで退治の仕方を調べてみた。
    すると、マニュアルでの退治方法がいろいろと見つかった。

    粘着テープで、せっせと採る方法。
    牛乳を薄めて散布する方法。
    木酢を使って弱らせる方法等等だった。
    面倒だからこの方法は、採用を却下した。

    次に、化学療法だ。
    退治するための薬が幾つか紹介されていた。
    このネットのページは、この薬を買わせるためのページでもあった。
    しかし、世の中には私のようにアブラムシの大量発生で苦しむ人が多いようだ。
    「まさか」ということは、どこの家にも起こることだ。
    この薬を求めに、コメリでも行ってみるかと、作業を止めた。

    すると、ある作業の見積もりのために、ペンキ屋さんご夫婦だった。
    70代近くのベテランの職人さんと、その奥さんだった。
    彼女も花が好きらしく、庭の花たちを褒めてくれた。
    「私も同じですて。花を増やし過ぎて、この人にいつも怒られています」とのこと。
    「あのぅ、樹についも詳しいですか」
    「そんなでもないですけど、何かありましたか」
    「実は、アブラムシが大量発生しまして・・・。どうしたらいいですかねぇ」
    「クマさんは、今年、予防をしていませんでしたか」
    「よぼう・・・ですか。してないです」
    「うちは、春先に予防の薬を撒きましたよ」

    うーーーん、これだと、合点した。
    まさに、私自身のリスクマネージメントの失敗だった。
    最悪までは行かなくとも、他の家で起きている「まさか」は、
    いずれ我が家の庭でも起きるのではないのかの想定を怠っていた。
    特に、我が家の庭では私がこの庭を管理するようになってから、
    この10年間にアブラムシによる被害は無かったからだ。
    いや、小さな被害があったのかもしれないが、
    そのことに気付かないまま、この日に至っているのだ。

    それから、他の樹木の剪定はせっせと行い、
    互いの葉にお日様が当たるように、風通しのよいように、手助けをした。
    しかし、どういうわけか、あの桜の樹は、後回しになっていた。
    混んでいるな。密になっているなぁとは、気になっていた。
    しかし、剪定の順番の最後に私は回していたのだ。
    そこに「油断」があった。
    変化は小さな小さなことから始まるものだ。
    その小さな小さな内にその変化の兆しに気付けるかどうかだな。

    全ての物事にはリスクがつきものだ。
    最悪までもいかなくても、「もしも・・」と、疑ってみる。考えてみる。
    そうして予測する配慮とでもいうのだろうか、
    この目の前にある事実から、その先をどのように予測するか。
    そして、リスクを念頭に置いて、今、ここを、熟視し観察しているか。

    また、他山の石ではなく、他国のことではなく、
    いつもそのことは我が身にも起きることなのだと考え、
    そうなることを想定しながら生きているかの「問い」だった。

    つまり、他の家の庭の樹木に起こることは、
    我が家の庭の樹木にも起こることなのだという現実認識。

    それから、そうならないための方法があるのなら、
    「予防」を行い、そうならないために、またはそうなってしまったときの、
    リスクを事前に最小に減らすと言う管理意識。

    そして、そうなった場合の迅速な対応・処理。
    切るものは切る。ならぬものはならぬ。断固とした処置行動。

    そして、情報収集をして、最適な方法を探し求め、
    その方法をすみやかに実行し、経過観察を行い、
    良好な結果が得られなかったら、他の方法に切り替える臨機応変。

    アブラムシの大量発生は、
    こうしたリスクマネージメントの大切さを私に教えてくれた。
    まだまだ、この闘いは続いている。
    しかし、私がそうしたリスクを考慮していなかったために、
    桜の樹には数枚の葉っぱだけになり、
    その下の樹の枝の半分は失われてしまった。
    そして、まだまだアブラムシたちは、そこに生息を続けている。

    もし、これが、この地球には存在しない生物が宇宙から飛来して、
    我が家の桜の葉っぱを食い荒らしていたとしたら、
    どんなに恐ろしいことが起こったことかと、
    実は、私は、このアブラムシたちと格闘しながら、そう考えて、肝を冷やした。
    「無理だ」「退治できない」その無力感と絶望となるだろう。
    実は、人類はいつもそうした目には見えない危機に立たされているのだ。
    その実感は、あるのかの「問い」だった。

    哲学者の内田樹さんの言葉だ。超意訳でそれを伝える。
    日本の社会・組織では、危機を想定することは、忌み嫌われているそうだ。
    「こんなことも起こるのではないか」と言えば、
    「君は、そんなことが起こることを期待しているのか」と怒鳴られる。
    「私がやっていることが失敗するとでも思っているのか」
    「失礼なやつだなぁ。失敗なんかするわけはないだろう」
    「しかし、・・・」と、次には、リスクついての進言・忠告をしなくなるそうだ。

    「分かるなぁ」と、あれやこれやを思い出した。

    とにかく、アブラムシだけに、「油断」をしてはいけないという教訓だった。
    こんなことになって、油汗をかいても、後の祭りなんだから。

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