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from: クマドンさん
2020/06/10 06:42:03
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ナマコの生き方の勧め
今朝、ナマコの研究をしていたAさんの面白いお話だった。
身体の大きな動物は、心臓の鼓動が少ないそうだ。
ハツカネズミは1分間に600~700回
人間は約60回。ゾウは20回だそうだ。
その心臓の鼓動の回数と、身体の大きさとは反比例している。
つくり、身体の大きな動物は、息を吸う回数が少なく、ゆったりとしている。
そのことで、寿命は身体の大きな動物ほど長くなると言う。
身体が大きいと、それだけゆっくりとした時間で生きるので、
エネルギーをあまり使わずに効率よく生きている。
反対に、身体の小さな動物は、大量なエネルギーを必要とする。
こうして、身体の大きさとその動物の生きる速さを考えると、
たくさんエネルギーを必要とし消耗している動物は、
寿命が短いということが証明されているとのことだった。
つまり、人間もこの法則で言えば、
生物学的には、41~42歳頃から、老化が始まるそうだった。
もし、人間は野生であったら、このころから身体にガタが来て、
縄文時代から平安の頃のように、30歳で死ぬのが当たり前のことだと言う。
そして、平均寿命が50歳代になったのは、やっと昭和50年代からだそうだった。
それでは、どうして人間が80歳以上長く生きられるようになったのかとと言うと、
社会の状況が変わり、医療が発達し、感染症の予防が行われ、冷蔵庫が普及された。
つまり、技術でその命の寿命を延ばしているだけなのだと言う。
そして、その技術にはたくさんのエネルギーを必要とする。
だから、人間が長く生きることは、温暖化を招き、
地球の環境をおかしくすることだ。
ということで、定年後は、ナマコの省エネ人生に学び、
身体の欲望からは卒業して、人間としての区切りをつけて、
生き方を変えることも大事な生き方だと啓蒙してくれた。
人工生命体として、自然に見合う生き方をする。
つまり、定年後はおまけの人生と考える。
そして、次の世代のために何かを遺せる生き方にする。
せめて自分だけでも、資源エネルギーを次の世代も使えるようにしたい。
そんなこともお話ししていた。
今の世の中は、速くなったものが勝ちとなる世の中だ。
人間はエネルギーを使って本来の生物的な時間をどんどん速めて生きているそうだ。
本来の動物しての人間の時間の30倍のエネルギーを使って、
日々をあくせくあくせくと自分の身体を酷使しながら生きているのが、
今の人間の現状だそうだ。
このことから、人間はどれだけ無理をして、無謀に生きているよく分かる。
だからなんだな。
動物には、動物の時間に合わせて生きる生き方が必要なのは。
定年になったら、身体の時間に合った生き方をする。
生きる速度を落として生きる。
そして、免疫力・体力を高めるために身体を鍛える。
日々をゆったりとした時間の流れで過ごす。
スローなペースで生きる。
それは、まるでナマコのような生き方だった。
人間とは、存在しているだけで、意味のある生き物なんだ。
ちまちまと生きよう。
しかし、ストレスはこの世の中からは無くならない。
だから、「好きでないものとどうやって付き合うか」
そのことを考えて、まぁ適当に対処して日々を生きる。
こんな生き方はどうでしょうかの「問い」だった。
まさに、このお話を聴いて、我が意を得たりの喜びだった。
昨日、長い付き合いの友に会って来た。
63歳、再任用でまだまだ現役で頑張っていた。
私は、この二カ月間無色無収で生きて来た。
ゆったりと、のんびりと、庭に遊んだ。ヨガをした。
しかし、お金が全く入らない。
だから、私の少ない貯蓄を生活費に回しての暮らしだった。
友は、仕事を続けている。
実は、私は、今日の午後から5時間学童保育の保父さんの仕事を始める。
その収入たるや、友と比べたら微々たるものだった。
彼は、63歳になっているので、年金からの収入も加算される。
私は、年金をもらえる年齢にはまだ至らず、
今後、何カ月も7万円ぐらいの収入で生活せねばならなくなった。
妻には、扶養家族として申し訳ない立場でもあった。
こうやって、ぼーーーっと生きていられるのは、
妻が現役で働いてくれているおかげさまだ。
そのことについては、とてもとても感謝している。
しかし、現役のフルタイムには、戻ろうと言う気持ちは私には無かった。
ここまで来て、これからも、仕事に縛られて無理をすることはない。
これからの余生は、自分の時間を大切に使いたい。
のんびりと、ゆっくりと、いろいろなことを考えながら生きて行きたい。
時間に縛られ、仕事に縛られ、人間関係のしがらみに縛られ、
ストレスを感じながら生きていたくない。
収入と言う大事な糧を失う代わりに、
心の糧をいただき、その糧を味わい、日々新たにする生活を送りたい。
まさに、この時代に「贅沢な」とお叱りを受けるようなこの生活だ。
そんな私の気持ちには、今朝のAさんのお話はピッタリとフィットした。
吸いついた。
まさに、ナマコのようにだ。
実は、63歳に8月になる私は、
退職後にこうした生活を行いながら、一番感じたことは、
「健康第一」の生活だった。
確かに、収入は皆無である。
タコのように自分の足を食して生きている。
お金が無いので、暮らしも変えた。
質素に、素朴に、欲もなく、あるものあるものだけで生きている。
昼飯は、独りで必ず作っている。お金を使わないためでもあった。
しかし、こうした無名で市井な独りの人として、
ここでこうして、のほほほーーーんとして生活できるのは。
「健康」な身体であるからなんだと、改めて感じた。
実は、私の叔父さん二人は、62・64歳で癌になって亡くなった。
もうその叔父さんの歳になり、
もうすぐその叔父さんの歳になる。
こんなに若くして、彼等は自分の人生と家族とに別れを告げて旅だった。
私は、思った。
人間にはどれだけ時間が遺されているのかは、
誰も知ることができないということだった。
二人の叔父さんは、定年後こそとといろいろと夢を描いていたことだろう。
しかし、とうとう可愛い孫と出会えずに、旅立ってしまった。
無念だったかどうかは、分からない。
だから、私は、定年になったら、まず完全にリタイアする道を選んだ。
そこで、これからの人生を立ち止まって考えたかったからだった。
私の定年は、停年の時でもあった。
まず、それまでの超高速な人生を一旦降りる。一旦辞める。
つまり、時間の流れを停める。
そして、停まった位置で、来し方・行く末を想い描く。考える。
もう1つは、嫌いなものと出会わないようにして、
自分の好きなものだけに一度は専念できる時間を創る。
そして、無理なく、焦らず、ただゆっくりと、ぼーーーーっとして生きる。
そうやって、生きてみたいの願望だったな。
だから、再任用はしなかった。
定年後半年は、遊ばせてもらった。
好きなことだけに没頭させてもらった。
地域の人たちには不義理を欠いたが、
ごめんなさいと、いろいろな立場や役割を降ろさせてもらった。
身軽になった。
そしたら、ナマコのような生き方の勧めだった。
この生き方は、生物学的にも理想な生き方であると知った。
省エネであることで、地球環境にも優しい生き方でもあることを知った。
何よりも、健康第一、寿命を延ばす生き方であることも知った。
「三方よし」の生き方なんだ。
さてさて、今日の午後から仕事が始まる。
そのために、ぼーーーーっと生きられるのは午前中だけだ。
だから、この時間を大切にして、
いっそうこけからも、何もせずに。ナマコのように生きたいと思っている。
「ナマコの生き方の勧め」だった。-
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