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  • from: クマドンさん

    2020年06月12日 06時44分57秒

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    林住期の生き方とは

    昨日、Sさんと話しながら気付いたことがある。
    それは、私は、生物として生きているから、
    気楽になったのだという発見だった。

    それは、庭の花たちから学んだことだった。
    花たちは、あるもの、あるがままで、生かされている。
    何も何も考えず、何も悔やまず、何も悩まない。
    ただそこに、ひっそりと独りで生きている。
    その花と私とは同じ生き物としてこの地球に生かされているということ。

    生きるために必要な全てのことは、与えられている。
    そのままで、水があり、養分があり、光がある。
    土にしっかりと根を生やして、
    時には辛い時もあるだろうが、
    それでもちゃんとその命を全うして去って行く。

    実は、暑くなったせいで、春の花たちは終わりを告げ始めている。
    あの満開で赤やピンクのナデシコたちも、
    花が枯れ、枯れた蕾が遺された。
    こうやって、みんな終わる。
    それも、時間の流れの中で、粛々と終わる。
    抗わない。じたばたしない。
    終わることが自然なことだからだ。

    生物体として生かされている自覚は、
    とてもとても大事ことだったとの気付きにつながった。
    すると、今、ここで、
    Sさんと私とで対話しつつ、探し求めていたひとつに、
    何だか行きついたような実感と歓びを感じられるからだ。

    生かされているものは、生きられる。
    自然は、その命が生きられるように日々糧を与え続けている。
    自然に生きれば、何も余計なことを考えなくていい。
    ただお任せしておけば、それでいいからだ。

    時間の流れは、ゆったりと流れる。
    自然の流れは、あくせくしない。拙速ではない。
    それはそれなりに、じっくりと熟すまでのプロセスを踏む。
    確かに、生まれたものは衰える。老いる。死ぬ。
    しかし、その死ぬの手前に、いやその瞬間に、
    熟すがある。
    こうして庭の花や樹木や野菜たちを見るにつけて、
    熟すことは、そのものそれぞれの使命なんだと感ずる。

    熟すために、命には使われる。
    だから、余計なことは考えない。
    欲は出さない。恰好をつけない。人から評価されようとは思わない。
    自分は自分。人は人。
    違うことを大事にする。それは、独りてあることの意味だと思った。

    花も独り。百日紅も独り。猫も独り。犬も独り。
    みんな独りで生きている。
    だから、独りを恥ずかしいとは思わない。
    独りを寂しいことだと思わない。
    独りをどう楽しむか。
    それは、始まったばかりの今日、この一日だけでいい。
    小さな感動・小さな喜び・小さな感謝・小さな働き・小さな気付き・小さな発見。
    そんなちいさなことの繰り返しをするだけ。

    きっと花たちも同じなんだと私は思う。
    だから、今日を気持ち善く生きられる。
    そして、ああ、いかったなぁと、夜は眠る。
    人間ばかり見ていると、心が乱れる。心が痛む。心が辛い。
    それは、その人は、その人であって、私ではないからだ。

    花は言わない。
    「おい、クマさん、もっとましな人になれないのかね」とは。
    いいんだよ。
    元々全く違う人同志なんだから。
    人のことはほっておこう。
    中にはぐずぐずと人の悪口ばかり言っている人もいるようだ。
    哀しい人だと、諦める。
    そう想うと、あっちではなく、こっちで独りで生きた方がずっと幸せ。

    自由に生きる。
    それは、自然なままに生きること。
    自然と向き合う。自分と向き合う。
    その楽しみは、人と一緒の賑やかさの中には存在しない。

    歳をとって分かったこと。
    みんな死ぬこと。
    この人生は遺された時間であること。
    限りがあること。
    ゜さようなら」「ありがとう」とお別れすること。
    生物として生かされている命には、みんなそうして去って行く。

    20億円中抜きして喜んでいる馬鹿が人間。
    困っている人たちを助けるお金を独り占め。
    ちゃんと神様が観ていることが分からない。
    欲に目がくらむ。欲で道を誤る。欲で地獄を観る。
    まぁ、こんな人間の末路は、既に決まっているとは仏の世界。神の意志。

    これからは、そんな世界とは一切かかわらない。
    そういう人とは縁を切る。
    損得で生きていたり、自分だけよければそれでよかったり、
    人を馬鹿にしたり、低く観たり、
    自分だけが偉いんだぞと威張ってみたり、驕ったり。
    そっちの世界には、金輪際、絶対に足を入れない。加わらない。

    こっちで生きる。
    それが生物体としての自然な生き方。
    この生き方に徹すれば徹するほど、気持ち善く生きられる。
    そんな実験の日々が、今、ここだ。
    だから、人に学ばず、花から学ぶ。
    そこに、本来幸せな生きる道があるとの確信だ。

    Sさんと、ずっとずっと対話して来た。
    そして、違っていた二人は、ずんずんと近づいて来た。
    「そうだねぇ」「不思議だねぇ」「大丈夫なんだねぇ」
    Sさんは、信濃川の川べりに咲く花たちに学んだ。
    私は、この小さな庭の花たちに学んだ。
    そして、花たちが教えることは、全く同じだったと二人は気付いた。驚いた。

    私は、それをここに「言葉」に表す。
    Sさんは、素直な気付きを「言葉」に託して語ってくれる。
    その「言葉」とは、花たちの「言葉」だった。
    それはそのはず。
    私とSさんの師は、ここの生きている花たちだからだ。

    花たちは、20億円の詐欺はしない。俺が、俺がと威張らない。
    つまり、生物体としてこの世に生かされている人間が、
    いかに生きることが気持ち善いことであるかを教えてくれる。
    その教えこそ「言葉」なんだ。
    花たちは、自然の恵みを糧として生かされ、その生涯を全うする。
    人は、きっとこの花たちの「言葉」を糧として生かされることで、
    幸いな生涯を全うするはずだ。
    愚かな人間の真似をしない。
    願わくば、花たちから学び、花たちのように生きて死ぬ。

    「林住期」の意味がやっと分かった。
    人里離れて山中や森の中に孤独に住むことだけでなく、
    この街中に住まいながら、世間とは精神的に隔絶し、
    花たちを友として、自然のあるがままに孤独に生きる。孤独を楽しむ。
    その生き方こそ、「林住期」の大事な生き方なんだと。

    生涯を熟すためには、孤独に生きよう。孤独を楽しもう。孤独を味わおう。
    その時、きっと真の心の友を見出すこととなるだろう。
    本当は、みんなひとつ。みんな仲間。みんな同胞。
    ひとつから生まれたいのちなんだ。

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