新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマドンさん

    2020年06月17日 07時02分31秒

    icon

    ありがとうしかないな。

    さてさて、昨日から6時までの勤務となった。
    学童保育は、6時近くになると子どもたちもすっかりと少なくなる。
    何だか落ち着いた空間に、私は子どもと一緒に眠くもなった。
    幸せな時間だなぁと、ふと感じた。

    ここは、子どもたちにとっては、学校ではなかった。
    学校では、先生から勉強や生活のことについて教えられる。
    教科書があり、ドリルがあり、宿題のプリントがある。
    学校は、勉強する場所・学ぶ場所。
    それでは、この学童保育とは、子どもたちにとってどんな場所なのかの「問い」。

    「只今」
    「お帰りなさい」で、午後からの生活が始まる。
    今は、コロナのためにまずは、手洗い・検温から始まる。
    ソーシャル・ディスタントだから、長机に離れて二人座る。
    マスクは当たり前。
    本当に子どもたちと大人たちとの景色がすっかり変わった。
    昨年だったら、マスクをしている大人も子どももそんなには見なかった。
    それが、今は、マスクをしていない人は立ち入り禁止だ。

    それから、子どもたちは二つのグループに分かれる。
    DVDを観る子どもたちと、独り静か学習をする子どもたちにだ。
    私は、主に、独り静か学習の子どもたちのサポートをする。
    というか、その子どもの傍に座って、
    話しかけて、だじゃれを言って笑わせて、間違ったところをそっと教える。
    そんな時は、いつも私も子どもたちも笑顔だった。
    そうだよなぁ。
    私たちは、日頃の生活でどれだけ笑顔でいることだろうと、考えた。

    学校で担任をしていた時、私は、ずっと笑顔だった。
    本当に今思うと、ずっと笑顔だったと思う。
    独りの時ではない。子どもや同僚と話す時だ。
    さすがに独りの時は、笑わない。
    じっと黙ってパソコンに向かい、資料を読んで考える。
    しかし、人とかかわる時は、笑顔が基本だ。
    というか、それが一番自然なことと感じている。

    私が笑顔だと、子どもも笑顔になる。
    きっとじぃさんのに髪の毛の白い年寄りが笑顔で傍に居てくれると、
    きっとそれだけでもほっとするようだ。
    それは、ぴりぴりと叱られないことの安心感だ。
    学校にお迎えに行くと、先生方に笑顔が無かった。
    いつも、何だか怒っているような顔をしている。
    時には、強い口調で叱っている場面に出会う。
    何だかねぇ。その叱られている子がちょっと可哀想になってしまう。

    子どもってそういうもんだと、私は思う。
    「走っちゃだめだよ」でも、子どもって走るものだよな。
    「遊んじゃだめだよ」でも、子どもってどうやって遊ぼうかいつも思っているもの。
    「ちゃんと座って居なさい」でも、じっとしてられないのが子どもなんだ。
    こうして「だめ」「してはいけない」メッセージが多くなる。
    すると、子どもはその言われたことの反対をやるものだ。
    自分が夫や妻に、「だめ」「してはしけない」メッセージを言われたら、
    それもとても強い口調で怒鳴られたら、どかな気持ちになることか。
    つまり、その子の立場になったら、絶対にやって欲しくないことを、
    大人たちは、指導と称してやっているのではないかの「問い」

    私は、その子になる。
    そうしないと、その子の気持ちが分からない。
    だから、まず、その子になる。
    ごくごく自然に、その子の気持ちを想像する。
    すると、感じられる。
    その子が、今、ここに、どんな気持ちで学んでいるのかを。

    夢中になって色鉛筆で塗り絵をしている女の子。
    見本のカードを見ながら、それなりに色合いやタッチを工夫している。
    「うまいね。この色、とてもすてきだなぁ」

    簡単な数の問題に苦戦している女の子。
    どうしても分からないから助けを求めている。
    「どれどれ、これか。サン・シ・ゴ、その次はどんな数かなぁ」
    すると、「アッ」と言って、6を書く。

    その子が夢中でやっていることに興味を持って見守っていると、
    何だかその子に言葉をこちらからかけたくなる。
    黙っていてほしいと思っている子には、黙って見守る。
    その兼ね合いは、子どもたちが決める。
    どれだけ大人は、その気持ちを察して、臨機応変にかかわっていけれかだな。
    それは、子どもが大人に対していつもしている人物評価。
    一つの試験だ。
    その対応一つで、その子は決める。「合格」「残念、不合格」と。

    さてさて、だから私は、話しかける前にまず考える。
    この子の心の中、頭の中、気持ちの流れを。
    これが、子どもをリスペクトする基本中の基本だった。
    すぐに決めない。すぐに評価しない。すぐに「だめ」を言わない。
    今、ここで、こうしているわけを考える。予想する。
    今、この子は、私に何をしてもらいたいのか考える。予想する。
    それを瞬時に、臨機応変にする。
    すると、すーっとラポートがとれる。
    今、会ったばかりのこと子と、不思議な信頼関係が生まれる。
    子ども安心する。
    まず、この安心・安全の関係作りが初めの一歩。

    学童保育は、学校とは違う。
    それは、子どもたちにとっても違う場所だ。
    教室が替わった。居場所が替わった。だけの違いでは絶対になかった。
    それは、大人たちの子どもたちへの対応の変化への期待感だ。
    ここには、先生は必要であるが、先生であらなくてもよいのではと思う。
    私は、隣に住んでいるただの爺さんだ。
    爺さんは、先生ではない。ただの隣の家の爺さんだ。
    また、ここで大事にされなければならないことは、
    心の安定・安心・リラックスだな。
    「父さん」「お母さん」と、子どもたちがまるで自分の親と一緒に居るようなね
    そんな居心地の良さだと思う。

    教師をしている時は、子どもの様子をじっと見つめて、
    この子はどこで躓いているのか。何を教えたらよいのかを考え、工夫した。
    学習・考える力・生きる力の成長を意図的に行った。
    しかし、ここでは、それを置いといてで、いいと感じた。
    私は、ここでは、先生と呼ばれるが、教師ではないからだ。
    「教える」「評価」することが先ではない。
    ここでは、「愛する」「認める」「「見守る」ことが先のような気がするからだ。
    だから、私は、居ても居なくてもいい人のようにそこに居るだけ。
    でも、そのことが一番子どもたちが安心する。
    その気付きと発見を、ここで私は改めてできたことを感謝している。

    やはり体験なんだな。
    もし、あのまま、ここでずっと暮らすだけの生活だったら、
    このことに気付く機会を私は持てなかったと思う。
    確かに、そうは思っていた。そして、そうやって子どもたちを育てて来た。
    しかし、この歳になり、そのことをまた実行することで、
    本当にそのことの大切さを日々実感している。

    頭で考えたことなんか、薄っぺらで、通用しない。
    「これは、こうだから、こうなんです」
    「これは、マニュアルでこう書いてあるので、そうしてください」
    それも分かる。
    しかし、目の前の子どもたちが求めているものと、
    大人が責任を回避するためにつくられたマニュアルと、
    どっちを優先すれば子どもにとって善いことなのか、
    それを考え、改善するのも大人の仕事だ。
    だから、実地で実感したことが、真実だと私はいつも考え、そうしてきた。
    しかし、今は、郷に入っては郷に従う。素直に、従順に生きている。

    さてさて、「叱る」まえに、どうしてそうしたのかじっくりと「観察」だ。
    もし、やってはいけないことをしていたら、「叱る」のではなく、「諭す」ことだ。
    それをやるとみんなの迷惑になるよね。
    それをやるとあなたも怪我をすることがあるよね。
    だから、それをやってはいけないというきまりがあるんだ。
    あなたならきっと守れるよ。大丈夫。私は、信じているよ。
    これならば、「叱る」はどこにも入らない。

    ただし、命にかかわる危険なことと、いじめは違う。
    これは、二度とやらないように厳しく糺す。

    何だかね。この歳になって、これまでの履歴で学んで来た「言葉」を、
    子どもたちを通して実証すとは、思ってもみないことだった。
    人生、全く予測はてきないものだと、実感。実感。

    私は、こうして子どもたちとかかわる機会を与えられ、
    日々1人ひとり個性的な本を読み、学ぶことができることを、
    心から感謝している。
    本当に笑顔で出会ってくれる子どもたちには「ありがとう」だ。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件