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  • from: クマドンさん

    2020年06月21日 07時14分34秒

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    疲れたら土を触ろう

    何だろうかなぁ。
    分かると言うのは、身体で分かること。
    そうなのではないかなぁと、最近考えている。

    小千谷のSさんとの対話でいつも感ずることだ。
    身体が分かっていることを分かるから、
    私とSさんとは共通で何か同じものを了解できる。
    それは、全く頭で考えた個別なことではなく、
    同じ一つから生まれた、ものであるから、
    「そうだなぁ」「そうなんだなぁ」と、腑に落ちる。

    だんだん深くなると、
    同じ水脈にたどり着くのではないだろうか。
    そこまで行くと、別々は全く存在しない。
    そこから全ては生まれているのだから、
    そこから生まれたまさに兄弟姉妹としての私たちだ。

    そのことを感じ、認識で来たら、
    この庭の花や樹木や雀や、アゲハの幼虫も、
    一体の中の別々にしか過ぎない。
    つまり、一体から生じた全てのものは兄弟であり、姉妹なんだ。

    そう想うと、楽になる。
    これでいいと、ただ想える。
    気持ちよく生きたいなぁ、それだけで十分だ。
    Sさんは、今朝も信濃川の川べりを散策しているだろう。
    見えるもの、聴こえるもの、感じられるもの、
    そうした一つ一つの感動を味わっているだろう。

    こっち側で生きていると、その喜びを感じられる。

    ところが、私は、半日だけ向こうの世界に出ることとなった。
    しばらく、この林に住みながら、
    久しぶりの向こうの世界だ。
    やっぱり疲れたな。
    楽しいことは楽しいのだが、身体が疲れを感じている。
    どんよりと身体が重たい。
    何だか外出したいとは思わない。
    だから、やっぱりstayhomeだった。

    ビオラとパンジーとナデシコをお終いにした。
    つい二週間前までは満開の盛りだった。
    しかし、この暑さが続く日々の中、
    確かに花たちは弱って行った。
    花は枯れ、枯れた蕾だけが残された。
    もう少し・・・と思っていたが、
    その時が来たのだと、決断をした。

    花の茎をどんどん刈っていく。
    その丈を短くする。
    根っこと本の数センチの茎だけ残す。
    さてさて、これからどんな蘇生を見せるかが楽しみだった。

    すでにナデシコは、薄緑色の小さな花芽を伸ばしているものがあった。
    パンジーの茎には、ギザギザの小さな葉だ。
    次の命は、すでに準備され、その伸び頃を待っていた。
    つまり、私が刈っても、刈られたままではなく、
    そこをきっかけにして、次の命を目覚めさせているわけだ。

    命の本来の姿とは、死なないということだ。
    生き延びるということだ。
    そして、全ての命には生き延びるための力と知恵とか備わっている。
    私は、いつもこの季節に花を刈ることで、
    その力の確かなことを実証している花たちと出会う。
    そのことは、とても嬉しく、希望を感じさせる出来事だった。

    花と私は、身体を通しての兄弟であり、姉妹である。
    別々であるようだが、本当は一体の別々なんだ。
    だから、細胞や微生物単位の私とこの花とは、
    大きさこそ違うだけで、同じ命で成り立っているはずだ。

    同じ太陽の光を浴びて、同じ空気で呼吸し、同じ水を飲んでいる。
    そして、同じ大地の恵みで育っている。
    人は、その大地の恵みを食物により間接的に自然からいただいている。
    つまり、食べたものが、私の身体なら、
    その食ものが等しいこの命たちとは、
    私は同じ身体を持っている生き物でもある。

    光りで繋がり、空気で繋がり、水で繋がり、土で繋がる。
    そして同じ自然のままのこの身体を持ってこの世界に生きている。
    御同胞とは、よく言ったものだ。
    その繋がりの輪の中に私が生かされていることの感謝かな。

    昨日は、疲れていたらしい。
    本当にそんな日もあるのだと、諦めてここに居た。
    気が付くと、庭に立っていた。
    キュウリの葉が大きく広く、つるは既に2mを超えていた。
    カボチャの葉は大きく連なり、雌花がきれいな黄色だ。
    サヤエンドウは長い実をつけ、一日で長く太くなる。
    ダダ茶豆は、可愛い枝豆を付け始めていた。
    日々、新ただ。

    その小さな畑の中でじっと突っ立っていると、
    それだけで気持ちよくなるのはどうしてなのだろう。
    その内に、手が動き始める。
    日陰をつくるズッキーニの大きな葉を取り除き、
    ミニトマトの摘果をする。
    剪定ばさみを持つと止まらなくなってしまう。
    あちらこちらで、ちょきちょき、チョキチョキ。
    1時間も庭に居ると、すっかりと様変わりする。
    これがまた気持ちいい。

    今朝、東京の渋谷のビルの屋上でどでかいプランターの畑をやっている、
    「アーバン・ファーマーズ・クラブ」の代表の山倉さんの話だった。

    「畑は、土ですね」の一言だった。
    神奈川県でオーガニックの野菜を育てている友の畑で修業をした時、
    本当にニンジンやホーレンソウ、トマトの味が美味いのだそうだ。
    化学肥料を一切使わず、たい肥を作っての土づくりだ。
    その土が、この滋味のある深い深い味を出していた。
    光りも、水も変わりないはず。
    なのにこんなに味が違うのは、やっぱり「土」何だの発見だった。

    だから、その屋上のプランタには市販の培養土の上に、
    その友から教わった土づくりで発酵させた土を乗せていると言っていた。
    私も昨日プランタの固くなった土を移植こてでこねて、かき回した。
    この土をいじる感触は、私の好きな感触の1つだった。
    こねこねとする内に、何だかむにゅむにゅと活性化される気がするからだ。
    大きなミミズがくねる。ダンゴムシたちが足早に逃げ回る。
    足が数え切れないムカデとゲジゲジ。
    何の幼虫か、宇宙人の蛹か、得体の知れない生き物が眠っている。
    その虫たちが生きているのは、この土に微生物たちが暮らしているからだ。

    何とこの小さなプランタの中では、自給自足の循環する宇宙があった。
    その発見。その驚き。その感動。
    土をこねくりまわすことの楽しさを、知っている人は、幸せな人だ。

    小倉さんが言っていた。
    「人は、土を触ると、幸せになる」とのことだ。
    「脳から、幸せを感じるオキシトシンが土を触ると出る」そうだった。
    つまり、ストレスを解消し、気持ちよくなるためには、
    土を触ることがとてもとても大切なのだということだった。
    だから、実際に大都会で仕事をし、暮らしている人たちが、
    その土を求め、農作業を求め、野菜を育てることを求めて集まって来る。
    現在、会員は370名だそうだ。

    やっぱり疲れた人は、土に還る。
    疲れた身体は、土が癒す。
    農家のお年寄りのあの気持ちよさそうな優しい笑顔は、
    この土が育ててくれた気持ちよさなんだな。

    やはり、ホームには、ガーデンが必要だ。
    そけが人が人として自然のあるがままに育つ環境だからだと私は思う。
    どうして「家庭」と言うのか、久しく私には謎の言葉だった。
    しかし、人が人として暮らすためには、
    住居だけではなく、やはりそこにガーデン・自然が共にあるべきなんだと、
    きっと昔の人が教えてくれていたのだと思った。

    「テューダーさんの森」をBSで観た。
    本当は庭ではなく、森の中に家を建てたい。
    そんな気持ちに私はなった。
    いつか、そんな夢を叶えられる日が来ることを願っている。

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