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  • from: クマドンさん

    2020年06月29日 07時12分58秒

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    人との出会いの在り難さ

    昨日は、午前中はヨガでリモート。
    それから教会での礼拝の司会。
    そして、ランチをはさんで教会の大部屋のワックスがけ。
    そして、3時前にはおやつをたべて解散となった。

    予定が密だ。
    それが、私だから仕方ない。
    帰って来たら本当にぐったりと疲れていた。
    何よりも眠くなった。
    それでも庭に出ていたらナデシコから力をもらえた。
    何とあれだけ短く刈り取ったナデシコが、
    真っ赤な小さい花を3つも咲かせていた。
    この命の力強さ。蘇生する力に、本当に勇気づけられる。

    死なない。生きる。復活する。
    まさにその事実を目の当たりにすることが、昨日も出来た。感動だった。

    それから、Kさんとリモートでちょい飲みだった。
    たった1年間、同じ学校に勤務した彼だった。
    数年間も会うことが無く、どこの学校かも分からなかった。
    年賀状でその時の近況を知り、
    「ああ、そうか、来年は定年だなぁ」と思っていた。
    「そしたら、私と彼とでお祝いでもするか」ぐらいだったはず。

    このstayhomeのおかげで、
    彼は、この3月に定年となり、4月からは自宅待機で何もしない。
    先日からは、「林住期」の本を読んでいるかもの生活。
    庭の草取り。花壇の整美。趣味の時間。自治会のボランティア。
    どれだけ心身ともに疲れていたのか、ぼーーっとして生きていた。
    私も、どこへも行けない緊急事態だんら、
    かれにリモートでの飲み会を呼びかけた。
    これだから、人生は予想のつかないドラマの連続。
    自分勝手に結末を決めつけないこと。
    きっと大どんでん返しが来る。来る。

    彼には学童保育での気付きの話だった。
    私たちはどうやって子どもたちを育てて来たかの話だ。
    学ぶべきは、本当は、私たちだったのだということ。
    そのことをしっかりと分かってから、気付いてから、
    言葉をかける。教える。諭す。導いて行く。
    それが子どもの傍に居る大人の役割。

    そんな話を分かってくれる元教師はなかなかいないねの、合点だった。
    「教える」ことに自信をもって突っ走る人は多くいた。
    子どもから学んでじっくりと子どもと向き合う教師は・・・。
    彼は、その希な教師の1人だった。

    だから、語り合える。分かり合える。
    共にここのあるものが、同じような「あるもの」だからだ。
    これは、違った人とは、絶対に分かち合えない「あるもの」だ。
    教師には、分かっていないのに、分かったつもりの傲慢な人が多い。多い。
    だから、彼も、私も、その集団の中で孤立する。
    格好良く言えば、一匹オオカミだったな。(どうしてオオカミなんだ?)

    その話の中で、そうした悪戦苦闘の中でも、
    出会うべき人と出会えて、どれだけ助けられたかの話でもあった。
    私は、彼と出会い。彼は、私と出会い。どこかで、何かが、救われた。
    だから、退職した今も、こうしてリモートのちょい飲みが続けられる。
    こんな私の友となってくれた彼には、深く感謝している。

    それから、夕食の時に電話がかかっきた。
    80歳の大先輩、元大校長であるKさんだった。
    宮沢賢治の会の案内だった。
    この会で賢治の童話の再発見と、その深さに改めて気付かせられた。
    まさに「遠野物語」だった。
    自然と命の声無き声が、賢治によって物語として語られていた。
    「仏の教え」「法華経の教え」つまり、「悉有仏性」「悉皆成仏」だな。

    そのことを私に教えてくれた恩師でもある。
    次回の会には、教会の臨時総会のために参加できないことを告げた。
    すると、飲み会のお誘いだった。
    私と、一つ年下のJさんは、臨時で同じ小学校に勤めていた。
    その時、私たちを親身になって可愛がり、酒を飲みにつれ歩き、
    時には、教師道の真摯な厳しさを指南してくれた人がkさんだった。
    かっては、よく3人で都合を合わせて飲んでいた。
    その学校の元職員での飲み会が、毎年七夕の土曜日に設定されていた。
    しかし、今年は、それが無い。

    彼は、生涯独身だった。
    そして、今は100歳近くの義理の母の介護をしている。
    西郷隆盛の松浜滞留の史実を元に、一冊の本を3年前に上梓した。
    私にとっては、こんな馬鹿な男を可愛がってくれた恩人でもある人だ。
    まさに、私の人生のターニングポイントで出会うべく出会った人だった。
    その人からのお誘いだった。
    私は、懐かしさと共に、Kさんの老いと寂しさとをその声に感じた。
    「すぐに、Jさんに電話して日時と場所を決めますね」

    そして、Jさんに電話した。
    彼は、先日私の勤める学童に、高級な焼酎を一本わざわざ届けてくれた人だ。
    腐れ縁といつも二人で言っている。
    同じ臨時職員の立場から、山に登り、一緒に酒をよく飲んだ。
    彼は、独身時代によく我が家のあばら家に泊りに来たものだった。
    何だか気が合う。話ができる。いつも真剣に生きている。
    禅の修行のために毎年5月の連休には道場に籠る。
    こてんぱんにやっつけられて、山を降りる。また一層、深く落ち着く。
    県のマスターでは、スイムのメドレーではトップクラスのスピードだ。
    10キロ走るのは、彼にとってはなんてことない日々の日課だ。

    「この前は、ありがとう。嬉しかったよ」
    「おお、クマさん、久しぶりに顔を見られてよかったよ」
    「Kさんから電話があった。また、3人で飲みたいって」
    「いいね。いつ?今、手帳を見るね」
    「18日土曜日の4時からは」
    「いいね、ちょうど空いているよ。決まりだな」
    「いつかまた飲みたいとずっと思っていたよ」
    「・・・俺さ、3月から、酒飲んでいないんだよね・・・」
    「・・・・どうしたん・・・」
    「ウーロン茶でいいは。そのこと、今度会ったら言うね・・・」

    二人で飲み放題に行くと、彼はメニューを見て、
    「ここからここまでやるさ。まずはこれで」と、
    その書かれてある飲み物を順番にオーダーして飲み干した豪傑だった。
    何だかねぇ・・・。何とも言えない。分からない・・・。

    その後、柏崎のWさんに電話した。
    どうしても直接話したいことがあったからだ。
    それは、83歳の小千谷のSさんと、私とWさんで、
    もう15年以上になるだろうか、続けて来た「途中の会」についてだった。
    2年前に彼がP病であることが見つけられた。
    この難病には治療する薬はなかった。
    その症状を緩和して、進行を遅らせる治療をするだけが残された道だった。

    私の知り合いに、彼を含めて4人の人がこの難病と共に生きている。
    だから、私は、彼の身体とこれからの人生や家族のことが心配だった。
    よく、会った時に本気になってアドバイスすることがあった。
    あまり強い口調の為に、彼もSさんも閉口したと思われた。
    彼は、頑固に、聴くのだが、受け入れない。
    自分の思いをやはり通す。しかし、「問い」はいつも発して来た。
    病の話の会になった。
    これでは、この会の「意味」と「在り方」が違うのではないのかと、
    一時、中断とした。そうした会の話だった。

    「再開しよう。Sさんが創り、育てて来たN中の森に行くよ」
    「その森の中で、森の命の声を聴き合って、お互いに感じたことをシェアしよう」
    「そのことだけで、集まろう。晴れていたそこでランチだ」
    「Wさんは、そこて、森と向き合うだけでなく、身体の声を聴いたらどうかな」
    「・・・分かった・・・お願いします」
    まぁ、ここでも酔っぱらって私は、厳しい言葉を幾つ伝えた。
    また、腹を立てていることだろうなぁと思っていたら、
    朝、よろしくお願いします。のメールだった。

    Sさんに、そのことを報告したかったが、
    8時を過ぎていたので、止めにした。
    だから、今日、昼前に報告の電話をかけよう。

    私は、きっと友達が少ない男だ。
    でも、友達は、いてくれる。
    その人たちとは、人生のいろいろな場面で出会えた人たちだ。
    私は、その友の繋がりを大事にして来たつもりだ。
    その間には、疎遠になり、声をかけず、しばらく会わなくなった友もいる。
    しかし、その友とも、何かのきっかけがあれば、また再会する。

    友は、いいものだ。
    昨日の話では無いが、「素」になれる。
    私は、いつもあるがままの私でありたい。
    だから、仮面はつけない、このまんま。
    そんな私とそうやって「会おう」と言ってくれる人。
    「飲もう」と誘ってくれる人。
    その人が、友であったことを、私は心から感謝する。
    そして、その人と友であれたことを、誇りにも感じている。

    人は、自然の命の中の人だ。
    人は、人の命の中の人だ。

    その命とどう出会い、感じ、深まって行くかで、
    その繋がりの「意味」はますます深まり、在り難く、尊いものとなる。
    これからも、リスペクトできる人と、出会いたいものだと願っている。

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