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  • from: クマドンさん

    2020年07月13日 07時20分59秒

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    人生の第2幕の幕は上がった

    涼しい朝は、気持ちいい朝だ。
    それから出勤しなくてもいい朝は、とても気持ちいい朝だな。
    時間のことを考えなくていい生活は、気持ちいいものだ。
    それなりに、それなりの時間で流れて生きている。
    今朝は、盛りだくさんのメールだった。
    いろいろとお付き合いしてもらっている人たちにメールを送る。
    それが、ある意味私の「生存確認」だった。

    気付けばこんな時刻となっている。
    「あと何分・・・」と、慌てることはなかった。
    7時20分に下に降りる。
    それから朝から午前中のルーテーンをやるだけだ。

    土曜日、久しぶりの三人の「途中の会」だった。
    83歳のSさん、58歳のWさん、そして62歳の私だった。
    このお付き合いは、20年前から続いている会でもあった。
    「途中の会」にしますかと、Sさんから提案があって、
    長岡のちゃんこ屋に集まって語り合うようになったのは、
    15年位前のことかな・・・・。
    みんな若かった。ということは、今はやっぱり歳をとった。
    まさに、人生第2幕の途中の会だ。

    Wさんは、パーキンソン病を発症した。
    もう3年前になるだろうか。
    どんなにか驚き、どんなにか嘆き、苦しんたことだと思う。
    彼の身体は、その病のために、いろいろと不具合が起きて来ている。
    ドパミンと言う脳の中情報伝達物質が不足して行く病気だそうだ。
    つまり、脳の命令が正しく身体の部分に伝達されない。
    思ったことと、身体が反応することが、違って来る。バグがある。
    今は、身体の疲労感に参っている状態だ。

    しかし、そうでありながらも、小学校の教師としての現職を続ける。
    それを全うしようとする気力と勇気に、
    友として深く深く感ずることが多い。
    私は、休職か、早期退職をずっと勧めた。
    休むことで少しでもストレスを減らし、進行を遅らせて欲しいからだ。
    でも、彼は、その選択をしなかった。
    今は、学校で休憩時間は横になって休養しながら仕事を続けている。
    長距離の運転の後は、疲れて座り込む状況だった。

    帰る時、彼は、Sさんに言ったそうだ。
    「やっぱり健康が一番ですね・・・」と。
    とてもとても重い言葉だった。
    彼は、今、やっと自分の身体と向き合い始めていた。
    そして、自分の声ではなく、身体の声を聴き始め、
    その声に少しずつ素直に従おうとしているようだった。

    N中の森に行った。
    Sさんが校長の時、地域の人たちや保護者・生徒たちと樹を植えた森だった。
    20年間の歴史だった。
    その間に、その樹木たちは、人間にかまわず、すくすくと成長していた。
    樹の育つ姿には、いつも力強く、逞しく生きることを感じさせられる。
    生きるためには、しっかりと生きているものを観ることが必要だ。
    今、人間にそのモデルが稀有となっている。
    しっかりと生きる。逞しく生きる。根を張って生きる。
    そうした「生き抜く強さ、逞しさ」の先生が、私にとっては樹木であった。

    その先生たちが、旺盛に繁茂していた。
    しかし、私は、その樹々たちの中に入って、少し哀しい気持ちになった。
    この木立に囲まれて、「気持ちよい」風に吹かれようと思っていたのに、
    一歩その木立の中に入ると、何だか暗く、寂しいものを感じてしまった。
    「どうして、そうなのか」と、周りの樹々の様子を観て問うてみた。
    「この樹木たちは、何を私に語っているか」の「問い」だった。
    声無き声を聴く。
    それは木立の中でも同じことだ。

    「暗い」「風が無い」「枝や葉が密集している」「苦しい」「辛い」
    この木立たちがからは、生きている気持ちよさが伝わって来なかった。
    我が庭の低木たちのあの清々しさがここには無かった。
    位から低木が育っていない。
    野草もひょろひょろとしている。
    何よりも、人が入って、歩いている形跡が全く無かった。
    つまり、「忘れられている」ということだ。
    それは、「愛されていない」ということでもあった。

    「生態系の森」だと言って、「手を入れてはならない」との決まりだそうだ。
    それでは、何の為にここに、樹を植えたのか。木立を創ったのか。
    私は、人が入らず、人とのかかわりを失ってしまった里山が、
    次々と荒廃してることを知っている。
    いつしか、人が生業として手入れしていた山々が、
    人の手が入らず、藪山となり、荒れて行くことは、
    今、日本中の里山で起きていた。

    その「山」や「丘」から、人々は恵みを得て生活して来た。
    その山や岡との生業の関係性は、
    すでに縄文の時代から培われて来た文化でもあった。
    自分たちの食物を得る場所を、荒してしまう者はいなかったはず。
    生きることは、その山や丘に入り、
    自分たちの力を合わせて、枝はらいをしたり、伐採したり、整備したはすだ。
    山の美しさは、その人々の努力によって守られて来た美しさでもある。

    そこに、今はすっかりと忘れられてしまった、源日本人の文化があった。
    私は、そう思っている。
    「生態系の森」だから、「人の手を入れてはならない」とのことる
    その結果が、この木立だ、樹々たちの空間だ。
    私は、その樹々たちの声無き声は、
    「もっと私たちのことを心配してください」
    「いつもここの来て、私たちのことを見守ってください」
    「今、あちらこちらで不具合があります」
    「そのことに気付いて、私たちがもっと元気になれるために、手助けをしてください」

    私には、そうした支援を求める声に、その声は聴こえて来た。
    その声は、私の庭たちの花や野菜や樹木たちの声でもあった。

    本当は、この自然が豊かに育ち、持続して行くためには、
    人間の手が必要なのではないだろうか。
    人間には、その知恵があり、その経験があり、技術がある。
    樹は一本の自分のことだけでもまだじにならない。
    無駄な枝を自分で切り落とすことはできないからだ。
    また、樹と樹との関係性を良好にも出来ない。
    お互いの得たが重なり、ごみごみと密に茂る。
    そのために全体には十分な日の光が届かない。

    その課題を解決できるのは、その山や丘にかかわっている人たちなんだな。
    昔の人たちは、それをやって来た。
    そして、樹々たちの無言の声を聴き採れる力も蓄えられていた。
    だから、山や丘の文化が育った。
    そこからは、芸術も生まれた。
    それは、自然と一体である生活であったからだ。

    私は、この木立たちとのかかわりを通して、
    そうした縄文の豊かな文化と自然に対する畏敬の念を、
    再び学び直すことができるのではないかと考えた。
    非常階段のてっぺんから、その豊かな葉たちの山を見つめ、
    そのことを感じたままに、Sさんに話した。

    つまり、Wさんが、やっと身体からの声を聴き採り、
    再び再生に向けて忍耐強いチャレンジに向かったように、
    この樹々たちの声無き声を聴き採り、
    どうしたらこの樹々たちの健康がとりもどせて、気持ちよい木立となるのか。
    そのことを懸命に考え、実現することこそ、
    今、この時代の未来に続く何よりもの環境教育ではないのかの「問い」だった。

    課題があるから、「問い」が生まれる。
    その「問い」をずっとずっと「問い」つづけ、試行錯誤することで、
    「学び」が生まれ、1人ひとりの生き方が「変わる」。

    自然は、そうした生き方をすることの大切さを、
    私たちに教えてくれる。
    いや、ずっとずっと教え続けて来てくれたのだ。
    縄文の一万年間は、その学びを忠実に守り、生きた日々の繰り返しだ。
    しかし、街に暮らし、搾取する生活に慣れた私たちは、
    その知恵と文化と芸術すらも忘れてしまった。
    物は豊かになっても、人として枯渇してしまったとしたら、
    人として、病んでいたとしたら、
    私たちには、未来はないなの確認だった。

    Wさんには、パーキンソン病の身体があった。
    Sさんには、助けを求めるこの樹々たちがあった。
    二人は、その突き付けられた課題と向き合い、ここに踏みとどまった。
    「何とか、する」「何とか、したい」
    その「何とか」の中に、人間としての生きる「意味」が存在していた。

    昨日のWさんからのメールだった。
    「何とか耐える方法を工夫します」。
    これは、身体にとって何よりも心強い言葉だった。

    神がどうして最後に人間を創ったのか、やっと少しだけ分かった気がした。
    人間がいなければ、この地球環境は汚染されず、守られるのに、
    どうして全てのいのちが生まれた後に、人間を創造されたのか。
    その「意味」と「使命」を二人は、これから果たそうとしている。

    それが、二人の「人生の第2幕」だ。

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