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  • from: クマドンさん

    2020年07月16日 07時01分44秒

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    プライマリー・ヘルスケアを目指す

    夜中に豪雨だった。
    ラジオを聴いていたら、4時過ぎに「村上に洪水警報」のニュースだった。
    中国でも洪水で大変な被害を受けている地方があるらしい。
    地球環境の何かが変化している。
    その予兆どころか、その変化の結果が、この集中豪雨だ。
    線状降雨帯という豪雨がずっと続くことがある。
    そんな事実を見ながらも、何もできないのが私たちの現状だ。

    新型コロナウイルスもそうだった。
    ある意味では、私たちは「無力」の中に置かれている。
    この豪雨に対してもウイルスに対しても「為す術が無い」。
    自然と言う偉大なる存在に対して、
    もっともっと私たちは畏敬の念を持たねばならないのではないだろうか。

    大きな負荷をかけ、自然環境を汚染し、破壊しつくしてくている人間だ。
    アマゾンの原生林は四国ぐらいの規模で大規模な伐採が続いている。
    それを畑とするらしい。
    海水温が平均1~2度の上昇により、
    海からの水蒸気が倍増し、この長期的な豪雨を生んだ。

    この新型ウイルスも、コウモリから人に感染し、
    人を棲みかとして培養しているウイルスである。
    その食べてはいけないものを美食によって食べたことで、
    このウイルスの感染が広がった。

    実は、こうした自然の災害や疫病等には、
    どこかで人がかかわっている。
    その自然対する不可と搾取に結果が、
    この大きな自然からの揺り戻しだった。
    その恐ろしさと、人間の自然に対する無力さを考え、
    やってはいけないことは、やらず。
    やり過ぎたことは、反省し少なくし、
    失ったものは、復元する努力が、
    自然に対する「畏敬の念」だと、私は思う。

    デビット・ワーナーさんは、メキシコの山奥の村に住む画家だそうだ。
    彼は、その山奥の村の人たちが、
    みんな健康で幸せになるための生活改善に努力した人だそうだ。
    彼には先天的に筋肉が萎縮する障がいを持つ人でもあった。
    だから、尚更、貧しさの中で医者にもかかれず、
    病の中で死んでいくたくさんの人たちを観て、
    「何とかしなくては」と考え、行動を起こした人だった。

    その著書「医者のいないところで」に、
    プライマリー・ヘルスケア。
    「誰一人取り残さない医療を行うために」次の5つのことを上げている。

    1.人々には親切に接する。

    2.知恵を使う。知識を伝える。それを共有する。

    3.その土地の伝統や考え方を尊重する。

    4.自分自身の限界を知る。

    5.学び続けよう。

    だった。
    この考えは、アフガニスタンで医療に従事した、
    医師である中村さんの考えでもあったそうだ。
    彼は、医師として医師の居ない村々で診療にあたりながら、
    灌漑のための用水を整備し、井戸を各村々に掘った人だった。
    しかし、昨年の12月4日、乗っていた車を銃撃され、亡くなった人でもあった。
    本当に尊い仕事をした、その土地では恩人である人だ。

    彼もこうした「無医村」の地域医療をするために、
    この5つのことのような努力を続けた人だそうだ。

    この努力は、自然に対しても言えることだと、
    私は、この話を今朝のラジオで聴きながら考えていた。

    私たちは、もっともっと自分の周りの小さな自然と親しむべきではないだろうか。
    つまり、小さな庭やベランダで花を育てる。
    庭の片隅でプランタで野菜を育てる。
    そこにやって来る雀や蝶や蜂たちを見つめる。見守る。
    そうした自然のいのちと親しく、愛情をもって接する時、
    私たちの心の中で「いのち」に対する畏敬が生まれるからだった。

    また、人間にはたくさんの知識がある。
    そして、その知識を生かし、誰かを、何かを助ける知恵もある。
    この手足を使って、困っている自然のいのちたちや、人を助けることができる。
    そこには、この「プライマリー・ヘルスケア」の発想だった。
    一つの命も取り残さないためには、どうしたらよいのかの「問い」だ。
    それは、「見捨てない」「見過ごさない」覚悟でもある。

    次に、そのものがもっている特性に学ぶことだ。
    何をどのように手助けしたらよいのか、
    それは、まずじっくりと腰を据えての観察から始められるべきである。
    簡単に、すぐに、「ああ、これだ」と、決めつけないことだ。
    その命にはそれぞれの個性があり、特徴がある。
    それは、長い長い時間の中で培われたものだ。
    それを新しく来た人たちが、土足で踏みにじるような真似は、絶対にタブーだ。
    相手からも信頼され、尊重される人とならなくては、
    改善できる人とは、なれない。

    そして、自分を傲慢な人としないことだ。
    そこには、「できること」と「できないこと」とを見分ける知恵が求められる。
    そして、「できないこと」にたいしては、
    他の助けを求めたり、今はできないときちんと相手に説明したりする。
    「できること」には、果敢に挑戦し、試行錯誤を繰り返す。
    「できること」に対しては、身体で思考を続けることだ。

    そして、「学び続ける」ということは、
    「問い」続けることであり、
    その「問い」を決してやめない、諦めないことだと思う。
    何よりも、ここでの「学び」とは、「真似る」ことである。
    つまり、相手そのものに「成りきる」ことで、
    そのものの本質が、自らのそれと化する。
    その時、初めて人は「ああ、そうだったのか」「分かったぞ」と言える。
    そのものそのままを、分ち合わなくては、「分かった」とは、言えない。

    これは、相手に対する愛と敬意だと、私は、思う。
    愛と敬意とを相手が感ずることができたら、
    私は、きっとその自然の命たちに受け入れらるはずだ。

    その時、どうして愛し、尊敬している自然の命に対して、
    負荷をかけ、汚染し、破壊することが平気でできるだろうかの「問い」だな。
    人類は、この地球環境に対して、
    この5つの態度ではかかわってこなかった。
    いや、まったくこの反対の態度で、この自分たちが暮らす地球環境を破壊し続けた。
    搾取し、破壊し続けることは、
    この地球で人類が生存できる寿命を加速度的に縮めるだけだ。
    目先の利益に目がくらみ、GO TOと、破滅に向かう。

    中村さんが、ペシャワールでしたように。
    デビッドさんが、メキシコの山奥の村でしたように、
    この「プライマリー・ヘルスケア」の発想は、
    今こそ、この病んでいる地球環境に対して、必要なことではないだろうか。

    「見て見ぬふりをしない」「見過ごしにしない」
    そして、「1人も取り残さない医療を目指す」。

    実は、この態度は、教育そのものにも当てはまるものだと、私は思っている。
    保父さんとして、今、私は、日々、これを実行しているつもりだ。

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