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  • from: クマドンさん

    2020年07月19日 14時56分36秒

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    土曜の午後は行脚だなぁ

    青空を見ている。
    部屋からだ。
    エアコンをつけている。
    疲れているのか、外には出たくない感じだ。

    土曜日もいつものような楽しさだった。
    ヨガレッスンは、スタジオだった。
    やっぱりリモートでは味わえない臨場感・空気感だ。
    今回は「足のつけね」を重点的に鍛えると言う。
    「たまには、他のヨガの先生のようなことを言わないと」と言いながら、
    Mさんは、妙に納得し、ヨガマスターに成り切っていた。
    彼女は今、筋トレを続け、そして、食事はアプリに相談してダイエットだった。
    その効果が見事に出ていた。
    スレンダーな美しさだな。

    身体は鍛えることでしまり、めりはりがきき、美しくなる。
    すると、その表情・姿形も益々美しく進化する。
    このいつでもいくつになっても「進化」することは忘れてはいけないことだ。
    私もそのために、ヨガを続ける。
    続けて行くと、何でも必ず、いつか自分でも気付く到達点に来る。
    それは、確かにプロセスなのだが、
    山頂に到るための一つの大切なピークだった。

    化粧する。装う。それも美しさではあるけれど、
    実は、身体を鍛え、時にはストイックに日常生活を制限し、
    自分の身体と心とを追い込んで行くと、
    その時の美しさとは、こんなにも別物なのだと、
    マスターと向かい合って、私は密かに感動だった。
    美とは、鍛えられた身体と心だ。
    そして、内面から醸し出されるその姿は、
    やはり「ただ者ではない」その人なんだな。

    コントを一発、最後にかました。
    「今日のレッスンのお金は、現金では払いません」
    「・・・・・。」
    「現金ではなく、つけねぇ」でした。
    分かる人は、このギャグを分かってくれるものと信じている。

    次に、語ることだ。
    今回は、J&Yでの絶品チーズパスタだった。
    カウンターには若い30代の男が二人して酔っぱらっていた。
    こんな時は、私は、その隣で借りて来たネコのようにして黙ってワインだ。
    大阪の男は、3年前に新潟だった。
    隣の鹿児島の男は、昨年の冬に新潟だった。
    二人とも、まだまだ新潟の奥深さを知っていない。
    どこかで田舎だとなめている。
    しかし、いずれ「泣いて来た」のに「泣いて帰る」ことになる。
    そんな奥深さは、やっぱり新潟の人たちの優しさと人情だなぁ。

    「人生、何があるかは、分からない」
    「私は、TETTOで、NoisumのUさんと出会えた」
    「私が舞台の上の彼女に魂を奪われたその人が、そこに居た。働いていた」
    「そんなこと予想すらできないことだ」
    「つまり、人生を勝手に諦めたり、見限ったりしてはいけないとのこと」
    「明日、何かが必ず起きるのだ。それも夢のような何かが」
    「そのことを見届けずに、死んでどうする」
    「とにかく、63歳までは生きてみろ。そしたら、生きることの面白さがよく分かる」

    「カオスなんだて。カオスなんだ」
    「Aだ、Bだと言っているから、対立が生まれ、分断が起きる」
    「私が正しい。私が正義だ。何ていい加減なことを言っているから喧嘩が起こる」
    「どうでもいいんだ。いい加減でいいんだ。柔らかな石でいいんだ」
    「まだまだ若い人たちには、このいい加減さが分からねなぁ」
    「カオスには、対立は存在しない。いっしょくただすけ、俺もお前もそこにない」
    「カオスにどっぷと浸かっている」
    「気持ちいいぞ。どうでもいいからこだわりも無し」
    「今、ここ、それだけを楽しむ。そのためにはカオスだなぁ」

    つまり、酔っぱらいの私が独りで語り続け、
    マスターのTさんは、笑顔で頷き、ずっとずっと付き合ってくれる稀有な人だ。
    語れば、語るほど、何を一体語りたかったのかは、明らかになる。
    語ることで、自分に気付く。
    「ああ、そうだったのか。それでいいんだ」と、自分を褒める。感動する。
    しかし、良き聴き手がいなければ、
    ただの無駄なる独り言。
    それを独り言とせず、本質的な言葉とするためには、
    やっぱり絶品チーズパスタと、高級ワインだな。

    次は、TETTOだ。
    カウンターはいっぱいだったな。
    私は端に座った。
    そして、隣も、その隣も、独りで食べに来た常連のお客さん。
    それもいつもいつも美しい女性ばかりだ。
    さてさて、いつものチーズの盛り合わせだ。
    「クマさん、そんなにチーズばかり食べて大丈夫?」
    いつもマスターのMさんは、私のワインと食事の質に気を付けてくださる。
    ここのカウンターに来ると、本当にほっと一息つける。
    まぁ、渡り鳥の止まり木のようなものだ。

    ここに火曜日まで、私がファンクラブを結成したYさんがいた。
    今は、ここには居ない。
    しばし、私はYさんのロスとなっている。
    まさに奇跡の出会いだったな。

    実は、このお店には、Noisum関連の人たちがよく来店している。
    私もこのお店を知ったのは、やはりヨガマスターのMさんのおかげだった。
    まぁ、何と言うか・・・。大好きな人たちが集う場所。
    私がNoisumやコンサートに行くときは、
    いつもこのお店でカルボナーラを食べてワインを飲んでから出かけていた。
    それが、私にとっての定番だった。
    しかし、今度のお仕事は午後6時まで。
    このお店に寄ったら、コンサートには間の合わなくなる。

    「何かを手に入れるためには、何かを捨てること・・・」
    「いつまでもその仕事をしているわけじゃないから・・・」と、Mさんに慰められた。

    ここでも独りの女性だった。
    3つ先のソーシャルでスタントの席に座った40代後半?の女性だった。
    何か舞台関係者かアーチストか、ヘヤーメークか、衣装担当か、
    そんな感じの女性がそこでコーヒーを飲んでいたとする。
    何だか、この人は、何かをもっているひとだ。その直感は、ピーンと当たった。
    舞台でのメークアップアーチストの人だった。
    それも、フリーであちらこちらの舞台を担当しているそうだった。

    私は、女優にしたい人だと、何かの拍子に話しかけた。
    すると彼女は、「まさか・・・」と言って照れ笑いだった。
    それにしても、何かを感じさせられる人は居るものだ。
    実は、私の土曜日の昼飲み行脚は、
    その存在感のある人たちとの出会いと、語らいの場でもあるのだ。

    リモートで限定された時間だからこその本質論だ。
    それと同じことを、私は大好きな人たちと直接会っての独り語りだ。
    そして、やはり何かをもっている人は、
    こんな愚かな私にも感じられぐらいグレートな何かをもっている人だった。

    ヨガマスターのMさん。
    「あき乃」のEさん。
    J&YのマスターTさん。
    TETTOのMさん、火曜日まではUさんだった。

    私は、ただの酔っぱらいになるために、行脚をしているわけではない。
    私は、実は、きっとこの素敵な人たちに会うために、
    土曜日の午後からバスに乗って、本町とカミ古に行くのだと思っている。
    人は、人なんだな。
    その人が居てくれるだけで、何だか心がほっとする。
    私には、こうした人たちが居て下さったことこそ、私の幸いなのだと考える。

    そちらは、どう思っているかは、定かではないが、
    私にとっては、これってやっぱり「愛」なんだなぁ。

    62歳と10カ月、J&YのTさんには、言ったな。
    「これは、やはり愛としか呼べないものだ」
    「しかし、みなさんのように若い人たちのドストライクの愛ではない」
    「何と言うか、のほほんとした。本当に好きだなぁの愛とでも言うのか」
    「カーブで在ったり、シュートでぁったり、チェンジアップであったり」
    「きっと、この歳になってみないと、分からない愛なんだと思う」と、
    何だか独りで合点・合点・納得・納得の「愛」だった。

    私は、愛する人でいよう。
    そう想ったら、何だかすっきり、これでいいと感じられた。

    それにしても、こうして何かをもっている人たちと出会えたことの幸いだな。
    それは、とてもとても在り難いことだと、帰りのバスで改めて感じた。

    大好きな人が居てくれる。
    その人たちに愛に行ける。
    そして、その人たちが話を聴いてくれる。
    これだけあれば、充分なことだ。

    だから、どうして自死をする人が居るのだろうか・・・。
    生きてくれていてさえいれば、それでいい。
    その最中では、分からない。
    きっと、それは、そうなんだけど、
    そんな私の幸いの最中で、その知らせがやって来た。

    「人は、生きていれば、それだけでいい」
    「どうせ、いつか、死なねばならないのだから」
    「自分から、急いで決めることは、絶対にない」
    「この私を見ろ。予想もしない夢のようなことに出会たじゃないか」
    「自分で決めるな」
    「でも、駄目な時もある。私にもそんな辛さのトンネルは長かった」
    「でも、抜けられないと思わないで欲しい」
    「そんな時は、誰かに弱音を話し、ただ息だけをして、凌いでください」

    「あなたのことを、心配している、誰かが、居る。絶対に居てくれる」
    「だから、死ぬな」
    「死んで、その人たちに哀しみを与え、後悔と懺悔とを与えてどうする」
    「いつか必ず死ぬのだから、その日まで、死ぬことは、待っていてくれないか」

    こんな馬鹿で、いい加減な男だが、
    話し相手には、なれるかも知れないよ・・・。
    「死ぬな」「死なんでくれよ」「頼むから、死なんで下さい」
    「お願いします」

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