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  • from: クマドンさん

    2020年07月22日 07時45分48秒

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    大丈夫。大丈夫。大丈夫。

    さてさて、後一日だな。
    とにかく休日が待ち遠しい身体となっている。
    疲れたーーーと言うよりか、飲み過ぎだーーーーだな。
    適量でさっと切り上げということで、二日酔いには全くならない。
    なのに、朝、どんよりと疲れているのは、
    やっぱりとこかで、酒の生ではないかと、私は思う。

    最近、よく話す言葉がある。
    「生きてみないと、分からないよ」
    「せめて、62歳までは、生きてみよう」だった。
    私の人生、どん底も大波も大震災も経験した。
    「ガイロク」というNHKの番組がある。
    この番組をでの普通の人たちのインタビューを見ると、
    やっぱり人間誰でも波乱万丈だと改めて感ずる。

    その「人生のピンチ」を笑顔で語る人たちの言葉が、
    実に実に心に沁みて、重いんだな。
    そして、分かることは、この人たちはそのことと向き合って来たと言うこと。
    未だにそれを乗り越えたかどうかは分からなくても、
    その「ピンチ」「試練」から逃げず、逃避せずに、
    まず、それと向かい合い、絶望しながら、涙を流しながらも、
    「何とかしよう」「何とかなるさ」と、考え続けて来たこと。
    そのことが、登場する皆さんから感じられた。

    「問い」続けるかな。
    このピンチや試練から逃げた人には、この言葉は語れなかった。
    この笑顔は、そんな悲惨な哀しさ・痛さ・苦悩の後に生まれたのか。
    苦しんでいるのは、私だけでない。
    誰にも人には言わないドラマがあるものだ。
    つまり、人は、そういう意味では「独り」ではない。
    その「弱さ」「哀しさ」「痛さ」「辛さ」「寂しさ」で繋がっている。
    その気付きが、そうした最中にある人たちの心を少し軽く変えてくれるものだ。

    昨日、ある人からの相談を受けた。
    まさに「鬱」になる寸前の人だった。
    先月、その相談を受けた時、このことを話した。
    「みんなそうなんだよ」
    「私もそうだったよと。
    先月会った時は、笑顔どころか、憔悴して、表情が全く暗かった。
    私は、話を聴きながら、どう話したらよいのか、考えながら話した。

    まず、人は、変わらないということだった。
    今、その人の職場で、バッシングを受けている。
    ある意味、仲間はずしのいじめが起きている。
    そのことに対しての悩みが、日々大きくなり、その人を悩まし続けた。
    いつも、いつも、そのことを考えると、頭が痛くなった。
    夜は眠れず、眠れても、夜中に何度も起きてしまう。
    早朝目覚めると、ぐっと辛さが増してくる。
    出勤の時刻が近づくと、焦る、どきどきする、油汗が出る。

    そんな状況が一カ月も続いていた。
    でも、その人がどんなに悩もうとも、苦しもうとも、
    その状況は変わらないものだ。
    その環境や人間関係は、その職場でずっと続いた独特のものだからだ。
    他の人たちは、そこで生きるためには、そうしながら生きている。
    右にならえだ。おかしいとは思いつつも、それを続ける。
    そうしていたら、その場所で良い評価を受けられる。
    そして、その仲間の一員として認められる。

    ところが、新参者のその人は、その職場の空気には全く馴染めない。
    「どうしてこんなことが平気で行われるのか」と、驚きであり、怒りでもあった。
    ピュアなその人は、そこで深く深く傷つき、孤独を感じた。
    それは、そうだろう。
    しかし、それは、仕方のないことだ。
    つまり、大切なことは、
    「自分でコントロールできないことは、諦める」という生き方だ。

    コントロールできないものを、コントロールしようとするから苦しむのだ。
    そんなもの、どうでもいいことと、離れる。手放す。ほっておく。
    そして、その場に自分がいても、
    そのことで、自分の感情をぶらさない、腹を立てない、イラつかないということだ。
    つまり、どうでもいいことに対して、どうして感情を動かして、動揺するのか、
    その愚かさに気付けばそれで随分救われるということだ。

    人は、みんな違う。
    でも、その違いを認めず、「こう考えろ」「こうしなさい」と言う独善の人はいる。
    それは、仕方ないことだ。
    その人は、何十年もそうやって生きた人。
    その人は、そういう性格を培って来た人。
    時には、その人も自分自身のことをコントロールできずに困っている人でもあった。
    だから、そこでは全て「無関係」の中での出来事と思うことだ。

    「独り」を生きる。
    人には頼らない。
    人の評価を期待しない。
    駄目でいい。
    できない人でいてもいい。
    まあ、とにかくその愚かな人たちの影響下から逃避する。
    身体はそこに置かねばならないが、意識は遠くどこかへ行っている。
    仕事は淡々とこなす。余計なことはしない。言われたら「はい」とやる。
    そこに、感情は入れない。その修業だと思い、そこをそのための道場にする。

    次に、「セルフ・アゥエーネス」だ。
    それは、自分自身の感情の気付きだそうだ。
    これは、メンタルトレーニングの「感情のコントロール」での大事な態度だった。
    感情には、負の感情。つまり、ネガティブな感情も存在している。
    「弱い」「怖い」「哀しい」「辛い」「寂しい」「孤独だ」「落ち込む」「死にたい」
    人は、こうした感情を自分が持って、
    支配されていることを恥ずかしいと想うこともある。
    そうした感情の中から抜け出せない自分のことを認めたくないと思う。
    こんなはずではない。私は、こんな人間ではないと、否定したりする。

    つまり、ネガティブな感情に蓋をする。
    それがぁっても、無いものと嘘をつく。
    その感情を自分の意識の奥底に隠そうとする。そして、繕う。
    さてさて、その後、その人の心はどのような変化をとげるか、
    それは想像できると思う。
    嘘の自分。嘘の人生。
    つまり、本当にあるこの感情に蓋をしてしまった人は、
    本当に顕れようとするポジティブな感情に対しても、前向きになれないのだった。

    自分を信じられないからだ。
    どんなにはしゃいで、元気なふりをしても、それは嘘だと分かるからだ。
    つまり、どこから「やり直したら」いいのかと言えば。
    泣くときは、泣く。
    落ち込むときは、落ち込む。
    どうにもならないときは、どうにもならないと言う。
    ばかやろうとと叫びたい時は、大声でばかやろうと独り叫ぶ。
    これを感情の言語化、見える化というが、
    それを、やることだ。

    そして、「私だけじゃない」と気付くこと。
    また、「わたしよりもっともっと辛く、哀しい人はいるんだ」と気付くこと。
    まず、その悲嘆があったら、その悲嘆を自分に許すこと。
    「弱くても、いいよ」「泣きたければ、泣けばいいよ」
    「独りぼっちの自分のことを、そのまま愛せるの自分だよ」と、
    そのネガティブな状況を負とか、恥ずかしいとか考えないで、
    「みんなが通る道なんだ」と、想うことが大事だと教えられた。

    その話を、その人には先月した。
    すると、昨日のその人の表情がすっかりと柔らかく変わっていることに気付いた。
    「クマさんが、言ったくれたようにしてきました」
    「まだまだ、辛いことが多いけど、リポビタン飲んで、乗り切っています」
    「少しずつ楽になりました」
    これが、認知行動療法だった。

    しかし、わたしが鬱のどん底にいたときは、なかなかこれが出来なかった。
    本当に「死にたい」「楽になりたい」との隣り合わせ、すれすれで生きていた。
    でも、妻の「休んでいいよ」との言葉が、命を救った。
    子どもたちもどれだけ心配していたと思う。
    しかし、何も言わずに、そっと私をそのまま布団の中で寝かせてくれた。
    私は、ずっと日中は独りで天井を見つめて暮らした。
    時間が過ぎることが、こんなにも遅いのかの驚きだった。
    でも、私は、生還した。蘇生した。
    今、このクマさんを見て、過去に鬱だった人だとは誰も思わないだろう。

    だから、その人ももちろん大丈夫だと確信している。
    本を三冊渡した。
    かって私が心が軽くなった本だった。
    今、ここで私が書いたことが、そこには書いてあった。
    「今、いろいろな本を読んで勉強しています」とその人が言った。
    その人は、このピンチと試練から、新たな自分に生まれ変わろうとしていた。
    しかし、もし、これがなかったら、
    その人には、生まれ変わり、本当の自分自身に戻れるチャンスは、
    きっと、今、ここでは、来なかったと思った。

    「よかったよ。こうして話ができたんだもの」と、私はそれが本心だった。
    その人の本来の自分自身への回帰と再会に、
    私は立ち会っているような喜びも感じた。
    「大丈夫。大丈夫。大丈夫」だな。

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