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  • from: クマドンさん

    2020年07月28日 07時34分16秒

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    音なんだな

    激しい雨だった。
    久しぶりに雨を見ていた。
    その音を聴いていた。
    遠くで雷の音と共に、雀たちの声も聴こえた。
    「チュン、チュン」と、今もさえずり、語りかける。
    雨もそうだった。
    何だかその音から、渓流の音が想像された。
    この音を、縄文の人たちも聴いていたはず。
    風景は変わったとしても、この雨の音と雀の声は、そのままだ。
    私は、「音なんだなぁ」と、ふと気付いた。

    意味という漢字を書いてみた。
    すると、その漢字の中に「音」があった。
    「そうか、やっぱり、音なんだ」の驚きだった。
    「音」は、あるがままで、太古から何も変わらずにここにある。
    その「音」を聴けるかどうかなのではないだろうか。

    その「音」はどこにあるのか。
    それは、私の「心」だった。
    音と心を合わせると、「意」となる。
    つまり、私は私の意味を、心の音として聴けばいいんだ。

    音は、音のままに存在する。
    まさに自然のあるがままだ。
    石牟礼道子さんが、「なみだふるはな」の中でこんな話をしていた。

    彼女がパーキンソン病でふらふらとなって転んだ時のことだ。
    大腿骨と腰椎を損傷し、何と二カ月半も記憶を失ったという。
    その時、彼女の意識の中で、不思議なことが起こったそうだ。

    「そして、次に意識したのは、思い出すのは、細胞というか、
     遺伝子の元祖たちがいる森に行ったんですよ。そのフワフワが、
     だんだん蝶のようなものになっているという意識が出て来て、
     それが水俣のある漁村に似ているんですけど、森があって、
     それも太古の森ですけど、右側は海で、海風が吹いてくると、
     森の梢、木々や草たちが演奏されるんですよ、海風に。
     何ともいえない音の世界が・・・・・五線譜にはとらえられないような。」

    「草の祖という言葉が出てきました。草の祖。祖先。
     そのようにいったほうがいい。木の梢がいっせいに震えると、
     何ともいえないいい音楽が。「幻楽始終奏」というふうに
     名付けていましたけれども。草が何ともいえずなよやかな音になって
     動くんですよね。花はまだなかった。草の祖。
     それは私の親たちという気持ちでしたね。その音楽が。
     それが眠りに入るときも、目がさめるときも、何か思いついて
     夢想が始まるようなときには必ず、鳴るんです。演奏される。
     海風がふうっと吹いてきて。やわらかく吹くときも、強く吹くときもありますが、
     必ず原初の生命の森が・・・・・・。」

    「それで、魂の秘境に行っているような、この世の成り立ちをずっと見ているような、
     そんな音楽が聞こえて。二カ月半ぐらいつづいていましたね。」

    「長かった。大変幸せでした。痛みなんか全然感じない。いまごろ痛みが出て
     きているんですけれどもね。その音楽は消えちゃった。あの音楽よかったなと
     思って。」

    「ある日ふと気がついたら、音楽が聞こえない。「あら」と思って。
     それから日常のことが記憶されはじめて。あれを楽譜にはてせきないですよ。
     ピアノも単音でしか弾けませんから。」

    「一昨年です。それからぼつぼつ憶えていますね。何か大事なものを預けて
     きたような気がします。ご褒美のような。怪我をした変わりに、
     長いこと生きてきてご苦労さまでした、という意味かなと思って。
     元祖細胞のところへ連れていかれて、それがまあ、美しい音色でしたね。
     その音楽を再現できない。」

    「大自然が奏でる、音楽の最初の始まりみたいな。そのような日常の中で
     生きていたんですよね、私たちは。意識せず。」

    「通奏低音というか、生き物たちが呼吸をしている音とか、海風が鳴るとか、
     巻貝たちが人の足音に驚いてミシミシミシミシと音を立てて転がり落ちる音とか、
     ナマコやウミウシが砂地の上で呼吸しているとか。」

    「いまでも朝早くスズメたちが、スズメだけではありませんけれども、鳥たちが
     まず目をさまして、朝、鳴き交わしていますけども、それを見ていると、
     スズメとスズメが何かしはりに小首を傾げあって、語り合っているんですよね。
     それを見ると大変かわいい。私も入りたくなって、仲間に(笑)。」

    対談した藤原氏の語り掛け。
    「その森から戻ってきて、音楽が消えて、また世の中が否応でも目に
     入っているでしょう。どうですか。」

    「味気ないです。幸福だったなあと思います。あの音楽に包まれていたときは。
     
    「ハハハ、帰ってこなくてよかったのにと思ったりして。何か意味があると思ったら、
     ドシンときた。」

    さてさて、ゴミ捨てに行かねばならない時刻となった。
    まだまだ雨は、縄文の音で鳴っている。
    スズメたちもこの雨の中で、チュンチュンと語り続けている。

    今朝のラジオでの一言だった。
    「命という漢字は、人が、一度、叩かれると書きますよね」だった。
    どんと胸を叩かれる。そんな衝撃を感ずる。
    そしたら、きっと眠っていた命は目覚めるのだと思った。

    しかし、それは人には、何度もある。
    私がそうだった。
    何度この胸をドンと叩かれたことか。
    その度に、はっとした。そして、我に還った。

    太古の音を聴いて生きたい。
    その音を味わって生きたい。
    そして、あることに気付いた。
    「味」という漢字は、口と未だだ。
    これって、歌を歌うということではないのかとの気付きだった。
    未だ誰も聴いたことの無いこの太古の音楽を、唄にして歌うことだ。

    音ではないか。
    その音の奏でる音楽ではないか。
    そんなことを今朝、この豪雨の音とスズメの声を聴きながら考えた。

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