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  • from: クマドンさん

    2020年08月11日 07時02分34秒

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    生きるだけで、それがいい

    昨日の猛暑はひどかった。
    庭の夏野菜を終いにするための作業だった。
    トマトとキュウリとズッキーニを終わりにした。
    それぞれ、ほんの僅かの実りだったが、
    私は、それなりにいつもいつも感謝をしている。
    私の庭に来てくれたこと。
    枯れずにずっとこの夏まで育ってくれたこと。
    何よりも、私に育てることの楽しみを味わわせてくれたことだ。

    キュウリは何と、数本の収穫だった。
    まぁ、日当たりと、プランタと、土を考えたら、
    妥当なところかと、思い直している。
    小さな実がつく。それは、まさにキュウリの赤ちゃんだ。
    その実が、ずんずんと長く、太くなって行く。
    忘れていると、ヘチマに変身してしまう。
    それでも、味噌汁に入れて食べると、なかなかの味わいだ。

    ミニトマトは、赤く色づくと、そこでもいでぽいと口に入れる。
    7つから10個の小さな赤い実が連なっている。
    食べ頃は、その大きさと色合いが示してくれる。
    その味は、確かに一つ一つ違った味だ。
    そこがまた育てる楽しみでもあった。

    商品化して市場に出荷する農家さんは、
    その一つ一つを自分の経験を生かし、その野菜の特性を知って、
    どうやったら美味しい実を数多くつけるのかを工夫して育てている。
    私は、そんなことはできないから、
    ただ、野菜たちを友として育てるばかりだ。
    何をしてもらいたいのか、向こうから言ってきてくれる。
    私は、この声に、少し誠実に、面倒がらずに応えるだけだ。

    その応答が、今日から無いと言うことの寂しさを感ずる。

    みんな同じですよねと、小千谷のSさんと語った。
    土曜日のJ&Yで、とても素敵な女性に出会った。
    まぁ、私よりも酔っぱらっている彼女の姿に度肝を抜かれた。
    しかし、本当に家族を守り、生き抜くために必死だった。
    命を削る。それが、当たり前。
    そんな生活を、私もSさんも、かってはしていた。
    そうすることが、生きることと思っていたからだった。
    だから、そうやって生きている人たちを、私は愛しく感ずる。

    さてさて、しかし、今は、違う。
    歳をとった。
    その現役バリバリの大河の流れから、岸辺に上がった。
    そして、ほっと一息をついて、空を眺める。
    「これで、いい」と思い。
    「何も、いらない」とも想う。
    ただ、楽しく生きられれば、それで充分だからだ。

    その大河の中で泳ぎ切ることは、生き抜くことだ。
    泳ぐことをやめたり、力尽きたり、何かに頼ったりしたら、
    ずぶずぶと大河の中に沈み込む。
    水の中に引きこまれて、苦しくて水を飲み、溺れて、亡くなる。
    「溺れる」というこの字が顕すように、
    この無慈悲で、非情なる大河の中で、弱気になったら、溺れると言うこと。
    だから、必死に泳ぐ、しかし、どこが岸かは、その人にも定かではない。
    その大河は、どうやっても泳ぎ切らねばならない大河だ。

    私は、8月28日で63歳になる。
    しかし、歳のことは、全く考えていない。
    それは、今、ここを生きている私には、歳の数など全く意味がないからだ。
    63歳だから、63歳になるのではない。
    40歳でも63歳の人はいるし、83歳でも60歳の人はいる。
    だから、私は、今日を楽しく生きることだけを考えて生きている。

    土曜日の昼飲みもそうだった。
    そこへ行くと、何かに気付いて、考える。
    この気付き、感じ、考えるの私は、私でしかない。
    私に、歳は、あるのだろうかの「問い」だな。

    人は、何年間生きて来たということではなく、
    今、ここを、どう生きているのかということではないかと、私は思う。
    だから、私は、「いかに生きるか」の問いをもつ人たちと対話する。
    その時、みんな御同胞・御同行。みんな同じだといつも感ずる。

    36歳であろうとも、42歳であろうとも、10歳であろうとも、83歳であろうとも、
    きっとみんな同じなのではないだろうかの「問い」だった。

    そして、Sさんと話す時、いつもそれを想う。
    「あれはいい、これは悪いは、どこにもない」
    「あれは偉い、これは駄目だは、どこにもない」
    「あれはできる、これはできないは、どこにもない」
    どうしてあるものに勝手に優劣をつけるのかなぁ。
    どうして威張ったり、自分だけは偉いんだと思う人がいるのかなぁ。

    野菜たちからは、そんなことは聴いたことは全くなかった。
    キュウリは10本実をつけたものが偉くて、2本なのは駄目なのかなぁ。
    それは農家にとってはそうであっても、
    私にとっては同じキュウリだ。
    かえって、弱ったり、葉の色が悪かったりしたら、そっちのキュウリを心配する。
    ミニトマトだってそうだ。4本の苗、それぞれの個性だ。
    そのことを私は比べて見たことはない。
    ああ、今年は、この苗は、そういうことなんだで、納得するだけ。

    しかし、欲があったら、きっと比較が生まれ、優劣がうまれ、
    いいと悪いも生まれるのだろうと、そうは思う。
    「もっと実をつけてくれよ」
    「何だこんな収穫か」
    「これじゃ、お前、キュウリとして恥ずかしくないか・・・」だな。
    しかし、大河であるソーシャルでは、そうしたことが当たり前だった。
    弱いもの、駄目なもの、力の無いもの、大きくなれないものは、
    駄目なやつだと、淘汰される。
    生き場所を奪われる。
    批判され、中傷され、レッテルをはられ、追い出されて、捨てられる。
    この大河を泳ぐと言うことは、その中で生き抜くと言うことだった。

    でも、どちらのソーシャルが幸せなのだろうかなぁ。
    私は、またまた、懲りずにその人間的なソーシャルの中に舞い戻った。
    そして、やっぱり、まだ俺が、俺が、の人が大手を振って生きていることを知った。
    それは、当たり前のことだった。
    でも、今の私は、ちょっと違う。
    その大河の外で、その大河の流れを観る位置で生きているからだ。
    あの流れに再び巻き込まれたくはないし、
    そんな気もこれっぽっちも私には無かった。

    もし、辞めてくれと言われたら、「はい」と、即決で辞めるつもりだ。
    何と言うかなぁ。欲が無くなり、執着がなくなり、
    こうあらねばならないも、無くなっている。
    「まぁ、いいか」「大丈夫。大丈夫」「余計なことは、しない、しない」だな。

    しかし、こうやってのほほんと生きられるのは、
    その大河の流れから岸に上がり、
    そこで、空を見上げ、風に吹かれ、気持ちよく午睡ができるようになったからだ。
    この境地は、失いたくない至極の境地だ。
    ここで最期まで生きていけたら、きっと至福の生涯となるはずだ。
    いつか、きっと、必ず、この気持ちを分かる日が来る。

    それまで、生き抜いてください。だな。

    みんな同じだと考える。
    どこにも優劣は無いだと考える。
    優劣のある世界では確かに生きて行かねばならない時節はある。
    そこを、みんなは通り抜けて来た。
    生き延びると言うことは、負ける時は、負けていいということだ。
    そんなことを恥ずかしいなんぞ、絶対に想わないことだ。
    きっと、負けをどれだけ受け入れられるかで、その人は決まる。
    私も数多の負け戦だった。
    でも、どっこい、ここに生きている。いや、生かされている。

    その喜びを、その楽しさを、思う存分味わうまでは、死なないことだ。
    しかし、確かに無慈悲で非情なお迎えが突然やって来ることも人生だ。
    そしたら、どうするか。
    やっぱりその時を想定して心の準備をすることだ。
    死なない人はいない。
    みんな死ぬよ。

    だから、せめて、今日だけでも、楽しく生きよう。
    人には優しくしていこう。
    困っていた人がいたら声をかけよう。
    疲れている人がいたら、「大丈夫」と傍らに居るだけでいい。

    「本当は、とても単純で、シンプルでしたね」と、Sさんの言葉だ。

    野菜たちは、それぞれのそれぞれの野菜の生涯を終えた。
    それは、終える時が来たからだ。
    しかし、それまでの日々、どんだけ生きることを味わっていたか。
    それは、あの葉っぱと花と実の色を観ているとよく分かった。

    生きれば、いいんだ。
    ただ、あるがままに、自分の命をそのまんま、生きるだけで、それがいい。

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