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  • from: クマドンさん

    2020年08月15日 06時44分07秒

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    言葉は、身体の声なんだ

    休みは、いい。
    仕事に行かなくてもいいことは、ほっと一息だ。
    仕事については、とても楽しく、やってよかったと思っている。
    しかし、午前8時から午後5時までの早番と午前9時半から午後6時半までの遅番。
    その間に、しっかりと「カンボス」でランチとコーヒーの休憩だ。
    それなのに、身体が酷く疲れている。
    膝が痛く、長い時間立っていられない。
    夕方になるとどっと疲れが出て、眠くなる。横になりたい。

    身体は、やっぱり正直だというお話だ。
    その身体と共に、日々を生きている。

    小千谷のSさんは、83歳だ。
    きっと、この時刻もストックを突いての四足歩行だろう。
    その早朝の散策を始めてからどれくらいたっただろうか。
    いつも、電話でその時の新鮮な気付きや発見を教えてもらう。
    まさに、Sさんは、身体で考える人になっていた。

    言葉とは、きっと身体のものなんだと、私は思っている。
    そして、その身体の言葉に出会い、気付くとき、
    その人の生き方は、確かに変わるものだった。
    いくら頭では理解していても、
    身体でその言葉が、その生き方が、その考え方が腑に落ちない限り、
    その言葉と、私とは一体にはなれないものだ。

    つまり、身体の言葉を素直に生きる。
    もし、その言葉が造り物ではなく、偽造ではなかったら、
    その言葉は、しっくりと腑に落ちる。
    「そうだなぁ」「そうだよなぁ」と、納得する。
    そして、次の自分自身の一歩が分かる。
    それは、身体で考えている人だけが分かる心地よさだった。

    Sさんとよく話すことがある。
    「頭で考えている人とは、話したくはないね」と言うことだった。
    それは、お互いで了解していることだった。
    「クマさん、時間が無いて」と、昨日のSさん。

    もっともっと時間が欲しい。
    やりたいことがこんなにもたくさんある。
    だから、頭の人と話している無駄な時間がもったいない。
    私は、今、ここで、何をやればいいのか、やっと分かりかけて来たて。だった。

    すごいなぁ。
    今から、心ときめく何かを始めようとしている。
    その柔軟心と意欲と求道心には、何だかとてもとても頭が下がる。
    そしたら、彼が自分の人生を振り返って、語り始めた。
    「ああ、語りなんだ」と、私は感じた。
    身体の言葉とは、この語りなのではないだろうか。

    その時その時、人生においては一瞥の人と出会っている。
    そして、その出会いによって、言葉の種が埋められた。
    その種は、自分自身の生き方が深まり、熟するうちに発芽し、成長する。
    しかし、その途上では、確かに分かっているが、味わっていないような気もする。
    その言葉が、まだ自分の身体、身の丈になっていないからだ。
    しかし、その種から生まれた茎は伸び、葉は茂る。
    自分の生きる姿、その言葉似るものとなる。
    しかし、そのものとは、またなり得ない。

    そのものとなるためには、こっちが何かを捨てねばならなかった。
    時には、「まさか」のどん底に叩き落される。
    時には、「もう駄目だ」と真っ暗に立たされる。
    その時だ、その言葉が花となって咲いてくれる。
    何年も前に出会った人。そして、その人が語った言葉。
    それが、こちらが熟すと、やっと身に沁みる言葉として再生される。

    何だかね。この時に、みんなみんな繋がって行く気がするものだ。
    「みんな、意味があったんだ」
    「全てのことは、繋がってんだ」の感動かな。

    Sさんは、自分の人生を語りながら、一つ一つの深い繋がりを意識した。
    いや、自分のことは、自分ではなかなか分からないものだ。
    しかし、花を咲かせ、実をつける時節は、必ずやって来るものだ。
    その時を、Sさんは迎えた。
    そしたら、言葉が内から爆発して、動き出した、蘇った。
    その言葉は、言葉として顕れることを激しく求めた。
    つまり、蛹から成虫が生まれる、あの瞬間なんだな。

    言葉の方が、Sさんに迫って来る。
    どうかSさんが気付いたこの繋がりの意味を顕わにしてほしい。
    そのSさんの気付きと発見を、ここに言葉に遺してほしい。
    言葉は、物語として語られたがっている。
    それが、身体の言葉なんだ。

    Sさんの人生で起きた出来事一つ一つが、光輝き出している。
    そして、その一つ一つが不連続ではなく、連続して繋がっていることが理解された。
    その繋がりこそ、Sさんがこの世に生きた「意味」ではないか。
    その「意味」に気付かず、その「意味」すら分からずに死んでいく人たち。
    本当は、生きている。ここまで、生かされている。
    そのことに、全ての「意味」がある。
    しかし、それに気付くか。それが腑に落ちるか。
    I see と了解できるか。

    その繋がりの「意味」を俯瞰する。

    それが、終末を自覚した人にとっての、最後の仕事となるのではないだろうか。
    そして、この仕事をしないままに死んでしまったら、
    もし、自分が生きて来た「意味」を了解せずに死んでしまったら、
    その自分の臨終とは、いったいどんなものとなるのだろうかの「問い」だな。

    しかし、私は、きっと人は、臨終では誰もがその「意味」を悟るものだと信じている。
    そのことは、大丈夫なんだ。
    でも、生きている、今、ここで、
    その「意味」を了解しながら生きることの味わいは、
    本当に生きている人たちには、分かってもらいたい味わいでもあると考える。

    つまり、「意味」の無い人生は、無い。
    みんなきっと「意味」を与えられてこの世に生を受けている。
    そして、その「意味」は、身体の言葉だ。
    何故なら、身体こそ、命だからだ。

    身体の声を聴くことで、その隠されている「意味」に近づく。
    人生おいて、数多の試練や悲しみ苦痛や絶望やどん底を経験することで、
    頭で生きることのいかに「無意味」であることを悟り、
    ただ、意味を知る身体と共に生きる時、
    初めて、Sさんの内面で今始まった、言葉の爆発が起こるのではないだろうか。

    だから、Sさんは、書くべきなんだ。
    書くとは、その言葉を記録することだ。
    せっかく身体の言葉を聴く人となれたのだから、
    どうか私たちにその言葉を顕わに伝えてほしいものだと思う。
    その言葉の人は、その言葉を言葉として顕わにする使命を与えられた人なんだ。

    今、私は、一本の脚本を書いている。
    突然、書こうと思い立ち、一週間たった。
    物語の八割は昨日まで書いた。
    その一つ一つの台詞を書きながらいつも考えることは、
    「嘘は、ないか」「造り物では、ないか」と言うことだった。
    そして、不思議なんだが、身体にわだかまりなく、すーっと抜ける言葉は、
    そのまんま、言葉として、ここの生きるということだった。

    私が、語る言葉ではなく、照ちゃんが語る言葉なんだ。
    そして、その言葉は、身体が語る普遍なんだと感じられるものでなかったら、
    私は、書かないし、書き続けられないと思う。
    それは、言葉と私との繋がりであり、一体のものだった。
    そこは、未分化・絶対に一つなんだ。

    疲れ果てた私へのご褒美として、
    昨日も「あき乃」「J&Y」「TETTO」の行脚だった。
    飲もう・語ろう・楽しもう。
    それも身体からの言葉として、私は従うことにしているだけだ。

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