新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマドンさん

    2020年08月16日 07時13分06秒

    icon

    山奥の、ぽつんと、一軒家に

    何もしないことも、選択肢のひとつ。
    どこにもでかけないことも、選択肢のひとつ。
    誰にも会わないで、独りでぼーっとするのも選択肢のひとつ。
    そのことを、私は、数年前まで、優先順位の後にしていた。

    何かをしなければならないと、予定を入り込む。
    天気予報を観ては、晴れると思ったら、山やキャンプの行き先を考える。
    飲み会は、一カ月前に、予定に入れる。
    そうした、何かをすることを優先順位の上位にしていたからだ。

    昨日、ひょんなことから本棚で、
    「山奥ニート」やってます   石井あらた著  光文社
    という本を見つけた。
    見つけたというか。私のことをみの本が呼んでくれたのだろう。

    これは、長男が購入した本である。
    ところどころに読んだ跡が残っていた。
    さてさて、私も、この本の題名に興味を持ったので読み始めた。
    「面白かった」
    何だか、とにかく、生きることの発想が全くの大逆転だったからだ。

    まず、生活費のことだ。
    山奥の廃校を無料で使わせてもらっている。
    始めはNPOが呼びかけた企画であったが、
    今は、参加している人たちの自主運営となっている。
    山の奥の奥のどんづまりの限界集落だ。
    平均年齢80歳以上の集落の先住民は5名だそうだ。
    その人たちとは、付かず離れずの生活をしている。

    山奥の廃校だから、ニートだから、きっと独りで暮らしているのかと思うと、
    何と15名も共同生活をしているという。
    しかし、この生活を共同と言えるかどうかは別物だった。
    みんなめいめい自分の好きなことだけをやって生活している。
    その自由さ、気楽さ、気ままさが、実に、いい。

    生活費は月1万八千円だ。
    それを共同の生活資金としてプールする。
    朝食はめいめいだし、夕食は月に2回だけ当番で回って来る。
    食べた食器はめいめいで洗い。
    この集団での共同作業は全くなかった。
    だから、義務も責任も、やらねばならない仕事も無かった。

    ただ、お金を稼ぐために、季節に合わせて、期間限定の仕事には就いていた。
    和歌山県の熊野の山の奥だから、梅の生産地でもあった。
    だから、6月から7月には農家に雇われ、梅もぎをする。
    高級な梅であるために、傷がついたら商品にはならなかった。
    それなりに熟練した作業だそうだ。
    畑を細々と作ってもいる。

    都会での生活で、お金がかかることに、ここではお金がかからない。
    山に行けば、きのこや山菜が豊富にある。
    カキや自然薯等、採り放題だ。
    狩猟許可書を取得して、獣を採って、食肉にもする。
    そのために、サバイバルナイフを持っている強者もいるそうだ。

    電気は電気代がかかるが、必要最低限の量だけ使われる。
    水は、新鮮なミネラルウォーターである山の湧水を小屋まで引いて使っている。
    確かに、自然災害によるアクシデントも起きるが、
    何とかそのことを力を合わせて乗り切り、楽しみに変えていた。
    着る物や生活必需品は、ネットで募集すると、送って来てくれるそうだった。
    古着や、使わなくなった電化製品、食器や調理用具等、
    「これ、ほしいです」と発信すると、
    日本全国から送ってもらえるそうだ。

    何よりも、独りではなかったから、こんな山奥で何年も暮らせたのだと、
    石井さんが、書いていた。
    でも、その集団の決まりは、実にゆるくて、アバウトだ。
    シェアハウスは、数人の独裁制がいい。
    これは、なかなか面白い発想だと、私は、思った。
    ごちゃごちゃ勝手なことを言いあっても先には、進まないからだ。
    合理的に、よりベターな方法があったら、それにする。
    それで、いいまではないかと、私も思った。

    「このあたりの爺さん婆さんはみんな元気で恰好いい。簡単に人に頼ったりしない。
     自分ひとりで大概のことをやってしまう。
     僕もあんな風になりたらいいな、と思う。
     これから先の50年、何があるかなんて誰にもわからない。
     年金制度が破綻するかもしれないし、円が暴落するかもしれない。
     一番いい備えは、怪我や病気をしたときのために貯金することじゃなくて、
     自分ができることを増やしていくことなんじやないだろうか。
     ここに住んでいると、どうもそう思えてならない。」

    そもそも、都会や町中に住み、消費生活が当たり前の私には、
    この発想が生まれるための基盤は全くないということだ。
    つまり、このお金で何でも買えるから、
    そのお金を汗水流して働いて稼ぎ、大きなストレスを我慢して稼ぎ、
    リストラに合わないように、非正規から正社員になろうと努力するように、
    お金を少しでも貯蓄しようと節約しても、
    都会での生活では、お金がどんどん使われて消えて行くし、
    だから、将来が心配だから、我慢するし、買い物を少なくするしの、
    何だか不思議な悪循環の呪縛の中で生かされているのではないのかの「問い」だ。

    お金のために、みんなあくせくと働き、欝々と苦労するのは、
    ここ、つまり、都会で在り、街中である、ここで、
    私が生活しているからではないのかの、
    何だか根本的な発想の問い直しができていなかったせいだったのだという気付きだ。

    消費生活は、贅沢な生活なのではないだろうか。
    本来、人とは、もっとシンプルで、慎ましく生きられるものではなかったのか。
    それなのに、まず、この住む家の家賃であり、ローンだった。
    都会で月15万円のマンションに暮らしていたとしたら、
    その人は、月にいくら稼がねば生活できないのかだった。
    年収800万円~1000万円を稼ぐためには、
    どれほどのリスクとストレスと時間と労力とを費やさねばならないかだな。
    しかし、ステイタスを考えると、
    その上の上を目指して、人は、働く、命を削る、競争での勝ち負けを行う。

    しかし、山奥で月1万八千円で生活ができるとしたら、どうだろう。
    そんな辺鄙で、不便な山奥で暮らせるわけはないではないか。
    この都会や街中に住んでいたら、欲しい物は何でも手に入る。
    娯楽のための施設もあり、大型スーパー、量販店だ。
    大病院もあり、老人介護施設も整っている。
    至れり尽くせり。何不自由なく生活できるではないか。
    何で、山奥の廃校で、暮らさねばならないのか。

    ここまで、書いていて、はっと気付いた。
    「ぽつんと、一軒家」というテレビ番組のことだ。
    私は、大好きなのでよくよくあの番組を観ている。
    確かに、不便な山奥での生活だった。
    ところが、その住人たちの物語を聴くと、
    何だか憧れを感じ、できたら自分でもそうしたいものだなぁと、思っている。

    Sさんは、言った。
    「私は、動く、ぽつんと、一軒家ですて」と。
    至極、名言だと拍手を送った。
    山奥でのぽつんと、一軒家での暮らし。
    それは、都会でも街中でも、ぽつんと、一軒家で暮らしている気持ちで、
    暮らしていたら、そで幸せだと言う、生き方なのではないのかと私は思った。

    そうだよなぁ、どこでも、ぽつんと、一軒家暮らしをしてみる。
    これって、とてもとても愉快な発想だと、感じた。

    これは女性で最初に山奥ニートになって半年間生活しているももこさんの話。

    山奥ニートたちの関係って一体なんなんでしょう?

    「なんなんですかね。家族とは違うと思います。家族って、もっと閉鎖的な
     イメージがあります。お父さんお母さん子どもで、血の繋がりがギュッと
     縛られている。ここはオープンじゃないですか。だから、家族じゃないと
     思います。
     友達でもないなぁ。仲間っていうのも違う気がする。みんな適当に距離を
     保っていて、方向性がバラバラ。なんて言えばいいか、言葉で顕すのは
     難しいですね。
     ても、大昔ってこんな感じだったんじゃないかなあと思います。
     あっ、動物の群れみたいだ。群れでも気が合わないと出て行くじゃないですか、
     そんな感じですね。動物的なのかもしれない。」

    群れって面白いですね。しっくりくる。

    「太古の人間はこんな感じで、狩猟に行く人もいれば、残って料理する人もいれば、
     何もしない人もいたと思うんです。お金とかない時代だからそれでいいんだと
     思うし。
     オーストラリアのアボリジニってほぼ何も持たずに移動するらしいじゃないですか。
     自然がすべて。必要なものは自然から与えてもらっている。
     昔の人はそうだったんじゃないかな。まぁなんとかなるだろうって。

    「無理に「何かやるぞ」って決めたら、折れちゃいそうな気がする。
     ゆるいほうが上手く回るんじゃないかな。」

    ある意味、深い驚きと共感と感動をもって、この言葉を読ませていただいた。
    これは、山奥で生活しているももこさんの実体験から生まれた哲学だ。
    でも、でも、よくよく考えたら、
    このことを都会や街中で生活する人たちが見失ったから、
    今は、こうして、何かに追われるように、忙しく生きているのではないかの「問い」。

    しかし、このことを私が実感するためには、
    私もももこさんと同じように、「ぽつんと、一軒家」に住んで生活すべきなんだな。
    70歳からの里山生活。ぽつんと、一軒家での動物的な生活。身体を使って生きる。
    そんな暮らしを、私の生涯の最期にには、味わいたいと願っている。
    山古志かな。小千谷の東山かな。十日町の妻有かな。
    これからいろいろな土地を旅して、そんな終の住まいを探すことが夢になった。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件