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  • from: クマドンさん

    2020年08月17日 07時02分26秒

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    「山奥ニート」の選択肢

    「山奥ニート」やっています  石井あらた 著  光文社

    この本にしばし、はまっている私だ。
    何だかね、読み進むにつれて、私の中の価値観が一変して行く。
    そうあらねばならない。それはこうに決まっているでしょう。
    その窮屈な中で、生きあぐねて、苦しんでいたのは、私だった。
    そうやって、生きていた私が、今、ここに生きて居られるのは、
    やはり、運命的に出会った人たちの導きのおかげだった。

    石井さんも、そうだった。
    そんなこの山奥の廃校での生活に至るまでのプロセスを想うと、
    私も、もしかしたら・・・と、思うことが多いのだった。
    私も、社会での生き方不全感をもっていた。
    どういうわけか、自分をそこに当てはめることに潔くなかった。
    大学4年で、私は、何か自分の将来を決められなかった。
    ぐずぐず生きた。みんなが就職や採用を決める中でだ。
    何をやってんだと言われても仕方ない、幼い?生き方しかできなかった。

    今、思い返しても、どうして「ああ」だったのかは、
    よく言えない。説明はできない。
    でも、社会的には「なにやってんの」の人であり、
    卒業の夏でも、何をすべきかと悶々としていた。
    教職の採用試験は、受けるだけ受けてはみた。
    まだまだ新潟県も450名位の採用だったから、
    本気でやれば何とかなったのかもしれないが・・・、私は、駄目だった。

    「これだ」と決められない。
    「それで、いいのか」といつも迷う。
    そして、決めることから逃避する。
    それまでに、いろいろと挫折が続いた。
    人とのコミュニケーションをとることがとても苦手だった。
    そして、母校であるM小学校での教育実習で、とても大きな失敗だった。
    私は、実習の途中、胆石になり、実習を一週間やすむことになった。
    「使い物にならない実習生」だったな。

    そんなことが、この本を読みながら、思い出された。

    「人にはそれぞれ、自分に合った履物がある。
     なのに、今は既製品の靴に、無理やに足を押し込んで履いている。
     だから、歩いているうちにすぐに足が痛くなる。それじゃダメだ。
     靴に足を合わせんじゃなく、足に靴を合わせなきゃいけない。
     昔わらじを自分で編んだように、自分に合わせた履物を作る。
     そうすれば、足は傷つかず、どこまでも歩いていける。
     自分専用のわらじをじっくり作る、そのための時間と場所が必要だ。」

    NPO「共生舎」を始めた山本さんは、元養護学校の先生だった。
    退職してから、山奥に障害者施設を設立。
    今では、定員150名、職員60名の大きな組織となった。
    そこで、ニートやひきこもりの人たちのために定住できる居場所をつくった。
    それが、この「共生舎」だった。
    石井さんが初めて会った仙人は、こんな話をしてくれたそうだった。

    それまでの彼は、どんな生き方をしていたのか。

    ・学校の先生の両親をもっている。宿題まで添削され、提出する絵も指導された。
    ・大学で教職を目指したが、教育実習でパワハラ担当教員により挫折。
    ・大学を中退して、引きこもりに入る。居酒屋でのバイトの失敗で傷ついてしまう。
    ・2011年3月11日、卒業する仲間との四国への自動車旅行の途中、震災となる。
    ・現地にボランティアとして参加。ニートの人たちのすごい力を思い知る。
    ・当時、ニートたちが集まる「ギークハウス」という家があることを知る。
    ・そして、和歌山県の山奥の「共生舎」を知る。
    ・ここだと思い、ニットでの友人のジョーさんと二人で大阪の山本さんに会う。
    ・25歳、大学中退、職歴なし。
    ・ところが、入所して4日後に、突然、山本さんが亡くなったことを知る。
    ・NPOの解散の危機を乗り越え、2人で管理することとなる。
    ・しかし、農家の御爺さんからの退去勧告を受ける。
    ・途方に暮れていた二人に。もっと山奥の廃校を住居としている西村先生が現われる。
    ・無償でその元小学校の廃校を貸してもらう。そこはすっかりリホームができていた。
    ・2016年 8名  2017年 15名。
    ・今では食品作業所を開設して、山の幸を商品化しようと努力している。

    私は、これは「あり」だろうなぁと、感じた。
    今、63歳になって思うことは、ある意味で、私が求める理想的な生き方だからだ。
    社会には「こうあるべき」「こうなるべき」ががんとしてあるようだ。
    その大きな流れからはみ出してしまった人たちを、
    社会では落ちこぼれと言うらしい。
    あの人は、大学出ても仕事に就かない。
    あの人は、ずっと家に引きこもって、何もしていない。
    あの人は、親から面倒をみてもらって、暮らしている。

    非正規労働者・経済的格差・失業・ホームレス・生活保護。
    何だかね、そうした生き方をした人たちを、この社会では否定的にとらえる。
    そして、自分たちは消費社会に巻き込まれ、あれが欲しい、これが欲しい。
    高い家賃を払うために、あくせくとストレスをかかえて働き続ける。
    出世だ、栄転だ、昇格だ、昇給だ、役職は何だ、次は部長か取締役か。
    大人たちは、それは、「当たり前」「当然」「疑問の余地なし」と考える。
    しかし、私がそうだったように、それを「よし」と思われない。
    そうした与えられた生き方に「収まり」たくはない。
    そういう生き方も、本当は認めて行かねばならなかったのではないだろうか。

    だから、私は、深く深くの共感をもって、この本を読んでいる。
    ある意味では、逆転の発想なんだ。
    こちらからしか生き方を見ていなかったのに、
    ふちらからこちらを見たら、本当はこちらのほうがおかしいのではないかと、
    思えるような感覚だった。

    大人たちの影響の中で、子どもは幼い時から育てられている。
    その価値観は、育ててくれている親の価値観である。
    その価値感が、がちがちの「固い石」であることが多すぎる。
    私も、きっと子どもたちにはそうだっのかもしれないと反省している。
    「自由でいいよ」「自分で決めよう」「いつまでも待っているよ」と、
    口では言っても、本心はどうなのか。
    やはり、心配で、不安で、失敗させたくないと思っていないか。

    でも、彼は、日々の生活を喜びをもって楽しんで生きている。
    自然の真っただ中で、誰に気兼ねなく、自由に生きている。
    人からは、とやかくは言われない。
    本当は、それが一番、豊かなことではないだろうか。

    都会であり、街中で暮らす私には、
    何とも羨ましい生き方に感じられた。

    「山奥ニート」の道もあるよ。
    それを、子どもたちの人生の選択肢にしてもいいのではないだろうか。

     

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