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  • from: クマドンさん

    2020年08月24日 06時33分04秒

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    サングラスを外す

    武勇伝を二つ報告する。

    土曜日の夕方、酔っぱらって映画「糸」を観た。
    何だか館内が暗かった。そして、映像が全てセピア色だった。
    北海道のあの爽やかな空が曇って見えた。
    しかし、そんなものだと何の違和感も感じなかった。
    そして、トイレの鏡を見てはっと気付いた。
    サングラスの私だった。

    日曜日の午前9時、暑い朝だった。
    東区ボーイズの合唱の稽古に大形のコミセンだった。
    今は、感染対策がとても厳しく行われている。
    フェースシールドをつけての合唱練習だった。
    私は、先輩たちに挨拶をしても、楽譜を見ても、先生から指導されても、
    何も違和感を感じなかった。
    そして、練習が終わり、帰る時にトイレに寄った。
    鏡の中の私は、サングラスをつけていた。

    二日に渡り、二度もサングラスをつけたままだった。
    それも、映画に合唱練習だ。
    周りの人たちは、どう思ったかと、何とも恥ずかしい気持ちになった。
    しかし、だな。
    そのサングラスと言うフィルターに対して何も疑問も違和感も感じなければ、
    そのまま、日常の生活を続けられるということだった。

    もし、私の心や魂にこのフィルターがかかっていたしても、
    その心や魂を映し出し、客観的に見つめなおすことができなければ、
    きっと、サングラスをかけたままで、平然と生きていると思われる。
    何も疑問も、問いもなく、それはそれでいつものように・・・。
    しかし、そんなことは、本当はいつでも起っているのではないかの気付きだった。

    言っても無駄だ。
    そう思い、私がアプローチを諦める人が居る。
    本当に固い石だ。
    がちがちだ。
    何でも自分に対する意見や考え方をはねつける。
    聴く耳をもたない。そういう人は、居る。

    以前なら、まだまだ甘く愚かな私は、それでも意見を伝えた。
    自分が考えていることは、そのままにしなかった。
    しかし、この固い石は、そう言って自分のことを何か言って来る人を許さない。
    それを、自分に対する批判・避難と感じるからだ。
    それが、この人の感性のフィルターになっていることに気付かない。
    ある意味では、サングラスをかけたまま、自分のことや相手のことを見ている。
    そして、自分の見え方だけが、正しいのだと思い込む。

    だから、全く見え方の違う私の意見なんか、聴く耳があるわけはない。
    聴く前から、何も変えない、変わらない、私が正しい。
    そのことが、その人の中では決定しているからだ。
    だから、その人にとっては、自分に従順に従う人か、そうでないかの二通りの人だ。
    そうでない人は、目障りだから、無視する。拒否する。時には、苛める。

    そんな時、私は、その人とはかかわらないことにしている。
    言っても無駄だからだ。
    私は、その人のサングラスを指摘する必要もないし、
    サングラスを外して見える世界について説明し、説得する義務も無い。
    その人は、生涯そのサングラスをつけたまま生きる。
    本来の世界の光と色とを知らぬまま、
    その生涯をとじることになる。
    その人には、トイレの鏡は存在しないからだ。

    昨日、「賢治童話を読む会」に久しぶりに参加した。
    「北守将軍と三人兄弟の医者」だった。

    私は、賢治の年表を読んで驚いた。
    ・1928年 32歳  ・8月肺湿潤 ・12月急性肺炎
    ・1929年 33歳  ・9月~12月 病勢やや劣る
    ・1930年 34歳  ・4月園芸を始める
    ・1931年 35歳  ・7月「北守将軍と三人の医者」を発表
              ・9月東北砕石工場のセールスマンで上京するも発熱
                 帰郷し、病に伏す・・・満州事変
              ・11月「雨ニモマケズ」を書く。
    ・1932年 36歳  ・「グスコーブドリの伝記」発表
              ・1月上海事変 3月満州国建国 ・5月五・一五事件
    ・1933年 37歳  ・9月21日 永眠
              ・1月 ドイツでヒトラー内閣成立
              ・2月 小林多喜二 警察署で虐殺
              ・3月 日本国際連盟脱退 昭和三陸地震

    さてさて、ここから何を感ずるだろうか。
    サングラスをかけたまま、賢治の物語を読んでは、
    きっとその奥深くに仕舞われている賢治さんの本意は分からないだろう。
    賢治さんは、生きたかった。
    本当に病に侵され、死が近づくその宿命を知りつつも、
    生きたかったと、切に切に願っていたはずだ。

    そして、時代は「大戦前夜」
    とてもとても固い固い石になっている。

    この賢治の余命と時代の変遷と危機感とを知らずして、
    賢治さんの童話を読んでも、
    きっとフィルターのせいで、その真実の意味は理解されないだろうと、
    はたと、昨日は、思った。
    その時、私は自分のかけていたサングラスを外した。

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