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  • from: クマドンさん

    2020年08月27日 07時44分43秒

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    62歳、最後の日

    「やりたいことを、やる」
    何だか今朝、そんな言葉が心に浮かんだ。
    「わはは本舗」の柴田理恵さんのお話だった。
    とにかく、自分が好きなことを夢中になってやっていたら、
    きっと結果は、後からついて来るということだ。
    だから、やりたくないことは、やらなくて、いいのではないかだな。

    お仕事もそうだった。お金のため、家庭のため、老後のため。
    だから、やりたくなくても我慢して仕事をしている。
    そんな気持ちでお仕事をしている人も多いとは思う。
    でも、この人生は、たった一回。やり直しがきかない。
    私は、教師と言う仕事が天職だったから、
    それはそれは辛くて挫けることは何度もあったが、
    それでもこうして退職まで現場で全うできたことは、感謝している。

    確かに、カミュではないが、「健康第一」だった。
    もし、私が大きな病であったり、身体が不自由であったりしたら、
    このようなこれまでの生活を送ることはできなかったと思う。
    だから、そこそこの健康を与えられて来たこのこれまでの人生に対して、
    私は、心から感謝している。

    次に、多くの人たちの助けによって生かされて来たことだ。
    私は、人生の岐路に立たされる時、
    必ずこんな弱くて愚かな私のことを見守り、励まし、支えてくれた人と出会えた。
    人生に迷い、混沌と、悶々とした日々を送っていたあの頃、
    私には、私の話を聴き、私に行く道を示してくれる師や友がいてくれた。
    そのことを、私は、やはり心から感謝している。

    それから、父と母だった。85歳まで、長く生きてくれたことは、
    私に親の無い寂しさと辛さとを味わわすことのないまま、
    ここまで育つことができたからだ。
    親を亡くした人。親を失った人。親が遠くへ去った人。
    その人たちにとって、その事実は、なかなかの辛さ・哀しさだったと思う。
    父も母も、その歳まで生涯を全うしてくれた。
    最後の20年間は、私たち家族は、父と母と共に暮らせた。
    そして、最期を心を込めて看取り、送れた。
    そのことに、何の後悔も未練もなかった。
    私が、今、ここで、こうして生かされているのは、父と母のおかげさまだ。

    よく妻は、こんな私と結婚してくれたものだった。
    「あの頃は、若かった」「結婚は、間違っていた」と、はっきり言われる。
    でも、いろいろあっても、こうして共に暮らしてもらえることは、感謝だ。
    長男と次男を神様から、預かったことも、幸いだった。
    けっしてまともな父親ではなかったし、
    何もしてやけなかったなぁとも、思っているが、
    とにかく、可愛がり、愛することには、徹した。
    子どもたちがそれをどう思うかは、分からない。
    ただ、私は、一方的に愛した。それだけ。

    何でこんなことを書いているかと言うと、
    明日28日で私は、63歳となるからだ。
    私は、年金が支給されるこの歳を、何だか人生の大きな節目と考えていた。
    働かなければ、お金が入らない生活をずっとずっと続け来た。
    しかし、来月からは、ほんの僅かでも現金収入を得ることができるのだ。
    特に、時給900円で5時間働き、4,500円を一日の賃金とするようになって、
    私は、お金の価値についての認識を全く変えることができた。
    代金を支払う時、労働に換算することができるようになったからだ。
    そのお金が、年金としていただける。
    これこそ、天からの恵みと言うほかないではないかの「問い」だった。

    だから、これからは、「やりたいことを、やる」人生で生きたいのだ。
    しかし、私のやりたいこととは、「誰かの喜び」「誰かの慰め」「誰かの癒し」
    つまり、自分の我がままを貫くことではなく、
    どれだけ自分のことを忘れて、誰かのために、隣人のために生きられるか。
    そんな生き方を、この余生では全うしたいと願っている。

    つまり、食べていく、養っていく、少しだけ贅沢するために、
    お仕事をしてきたのなら、そろそろ生き方・考え方を変えて、
    自分のことを先にせず、出会った人のことを先にする生き方に、
    シフトを変えると言うことだった。

    ここまで、先に記したように、生かされて来たのは、
    私が独りでやってきたからではなく、
    健康に恵まれ。仕事に恵まれ。師や友に恵まれ。家族に恵まれたおかげさまだ。
    だから、まず全てのことには、感謝。感謝。感謝だった。
    そして、次は、何か。
    それは、やっぱり「身心脱落」なのだと、唐木順三著「良寛」を読んで思った。
    これからこそ、「宮沢賢治」であり、「良寛」である。
    つまり、やりたいこととは、この二人の師のように生き切るということだった。

    ここで、言い切ったのだから、私の覚悟も決まった。
    そのように生きるでは駄目、駄目だ。
    そうなって生きる。これに尽きる。
    では、どうするかの「問い」だな。
    きっと今日かもずっとずっとこの深くで語りかけて来る「言葉」に、
    どれだけ自分を捨て、自分を忘れて、素直に聴き従って生きられるかだった。

    今朝、はっと気付いた。
    「身心脱落」とは、自分を先にする欲と迷いを捨てるということではないかと。
    身の欲は、いろいろとある。その欲に捕らわれ、執着し、我を失う。忘れる。
    心の欲は、これもいろいろだ。その欲に惑わされ、騙され、振り回される。
    つまり、この身と心は、大事なものだが、
    そこに惑わされることで、人は愚かになり、大事なものを見失い、
    道を失い、彷徨い歩く。

    つまり、そうした身と心から、脱出する。抜け出す。捨て去る。離れ切る。
    すると、本当の喜びである身と心が自覚される。覚悟される。
    それがきっと、本来の面目なのだ。
    ここに人が人として生きる本来の幸いと喜びがあると信じた。
    本当は、「イエス」のように生きたい。
    しかし、これは究極・至難の道だ。
    こんな私には、まだ、まだ、まだ、まだ、その道は遠く険しい。

    私の人生と書道の師「大泉蒲水」先生の色紙の言葉だ。
    「我執を捨てて、ただ なんとなく」
    24歳で出会ったこの言葉に、やっと身の丈が合って来たような気がする。
    私は、きっとこの言葉を指針にして、ここまで生きて来たのかも知れなかった。
    この言葉が、私の今を導いてくれる。

    捨てることなんだな。
    この師たちは、みんな捨てて来た人たちだった。
    その師たちが捨てて来たものに、まだまだ執着し、惜しんでいたなら、
    きっと私は、いつまでたっても「身心脱落」には、至らないと思う。

    賢治さんをまた見つめ直し、良寛さんをまた学び直している。
    すると、やはり、一つになる。同事になる。一体になる。
    だから、私もそれになりたい。そこで同事として生きたい。
    それが、私が死ぬまでの祈願となす。

    多くのこれまでの愛と恵みとにただただ感謝だ。
    ならば、これからは、受くる人だけでなく、与える人に少しでもなれたら、
    本望ではないだろうか。

    そうなれば、きっと父や母も、師や友たちも、そして教え子たちも、
    喜んでくれると思っている。

    62歳の最後の日に、これを記す。

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