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  • from: クマドンさん

    2020年08月30日 15時44分10秒

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    奇跡は、今、ここに、あるものだ

    激動の三日間。
    昨日、土曜日の昼は討ち死にだったな。
    そのまま、布団の中で本を読み、眠った。眠った。
    気付いたら、午後2時過ぎだった。
    朝食を食べて10時からの4時間の睡眠だった。
    それでも、3時には支度してから熱波の中をバス停まで歩いた。
    4時からの駅前「つぼ八」での三人会だった。
    さてさて、その激動の三日間を振り返る。

    木曜日の夜は、Noismだった。
    このチケット、本当に奇跡のチケットだった。
    Noisum2の公演チケットを私は返却して、再購入することを忘れていた。
    返金を手続きをお願いするために電話したら、
    丁度その日からNoismのチケットの販売日だった。
    すぐに申しだら、何とこのプレミアチケットの7列目をゲットできた。
    不思議なこともあるものだと、感謝、感謝だった。

    熱く熱く、本当に待ちに待った公演だった。
    本公演は来年に延期されたが、そのプレ公演とはいえ、
    踊れることの喜びと感動だった。
    それは、ファンの私たちも同じこと。
    とにかく、待っていた。ずっと待っていた。
    そして、その願いは、とうとう実現した。
    静かな幕開きだった。井関さんと、山田さんの二人だった。
    感応同行とでも言うのか、お互いでお互いを感じつつの反応だった。
    自然に手と足が動く。それは、風に揺れる木の枝葉のようだった。
    感情に任せての身体の動き。ここから、Noismは、再開された。

    あの米がさーーっと降り注ぐ祈りだった。
    それは、復活への深い深い祈りそのもの。
    絢美さんが、いかったなぁ。
    彼女の想いの熱量は半端でなかった。
    光っていた。輝きを増していた。それが、存在感として感じられた。

    ウェストサイド・ストーリーのような躍動感。
    1人ひとりの個性的な踊り。
    西澤さんが、井関さんとのデュエットは、嬉しかった。
    彼女は、そうやって抜擢されながらの成長だった。
    目が違っていたな。まっすくに踊りに向かっていたあの目。
    やはりただものでない素敵さを感じた。

    しかし、またプレなのか、爆発的な魂が震える感動は、味わえなかった。
    何か斬新なものはなく、何かセオリーの中での、そのままの。
    だから、あの立ち上がれない位の歓喜はと涙は私にはなかった。
    この状況下での上演だ。
    どれだけ集中し、どれだけ打ち震えるような感動が・・・と期待したが、
    ターテンコールで、座ったまま拍手する私だった。
    確かに「ブラブォー」は禁止されていたが・・・。

    金曜日は、Jazzフラッシュで、
    吉川ナオミさん(vo)、田中トシユキさん(p)、若林修一さん(dr)、
    小松原さん(g)、潤さん(b)の豪華メンバーによる演奏だった。
    ここでも、奇跡が起こった。
    私は開演を1時間間違えていた。
    7時に会場に入ったら、リサの真っ最中だった。
    田中さんが、私のことをそのまま置いといてくれた。
    私は、みんなと30分以上、素敵な演奏を聴くことができたということだった。

    長男が今、Jazzギターで演奏したり、セッションに参加している。
    彼もなかなかの腕前となっている。
    そこで、大好きな小松原さんが出演するので、彼を誘った。
    仕事終わりに、彼は、バスで駆けつけた。
    みんな知っている人たちばかりだ、ボサノバがとてもとても美しい。
    Diana klorlに、私は今、はまっている。
    まさに、ピアノとボーカルと、粋な美人voだった。
    スコッチに酔い、音楽に酔い、大人たちのその雰囲気に酔った、酔った。
    そしたら、打ち上げに誘ってもらった。

    これも奇跡だった。
    そして、その「しののめ」という居酒屋も奇跡だった。
    何と佐渡の名酒「金鶴」が置いてあったからだ。
    とにかく親父たちで飲み比べた。
    ダントツが、この金鶴だった。これこそ、求めていた日本酒だった。

    そして、私の向かいに三条から来たという中年の男性に声をかけた。
    みんなから「先生」と呼ばれていたので、学校関係者なのかと思ったからだ。
    そしたら、「えっ」と絶句して驚いた。
    三条でフリースクールをしているSさんだった。
    私は、その朝、新潟日報に掲載された写真入りの記事を切り取り、壁に張った。
    そして、いつか必ず連絡して、見学させてもらおと思っていた。
    そしたら、その人が飲み会の席の、真ん前に座っていた。
    こんな不思議なこともあるんだなぁと、改めて不思議を信じた。

    宴たけなわだった。
    終了時刻が何と午前2時過ぎだった。
    こんな時刻まで飲んでいたのは、30代以来ではないかの驚きだった。
    財布も封筒もみんな空っぽだった。
    帰りのタクシーの支払いは、長男のカード払いだった。
    まぁ、情けない親子と言えば、そうに違いなかった。
    帰り際に、吉川さんから、嬉しいお言葉をいただいた。
    「クマさんが、聴いてくれると、のりがいいから、気持ちよく歌えるんだよね」と。
    それは、若林さんも言ってくれた。「クマさんが、盛り上げてくれる」と。
    そんな役目も私は果たしていたのかの驚きだった。

    さてさて、やっと土曜日にたどり着いた。
    4時に新潟駅待合室だった。
    私は銀行のATMでお金を降ろした。何と所持金は763円だった。
    お金は本当に出て行く時には、流れるように出て行って、消えるものだ。
    松浜のKさんは、79歳。西郷隆盛の研究家・賢治の童話を語る会主催者だ。
    秋葉区のJさんは、62歳。小学校で再任用教師。陸上・水泳の全日本の審判資格者。
    三人の付き合いは、既に30年近くになろうといていた。
    人は、好きな人たちとなら、こうして長年のお付き合いになるものだった。

    西郷隆盛の「敬天愛人」の話になった。
    そして、鶴岡の庄内藩へKさんと私がシュクラでの旅の話だった。
    次に、西南戦争の話になり、
    戊辰戦争を東北から見たら、
    あれは長州・薩摩藩の狂気の私怨なのだとの話となった。
    そんな話をしている時が、本気になって愉快な三人だった。
    こんな飲み会も、あるのだの話。

    次に、どうしてこの三人が30年間も繋がってきたのかの話だった。
    それは、Kさんが、私やJさんが臨時教員で赴任した時、
    本当に可愛がってもらったからだと、2人が語った。
    出会いそのものが、奇跡だった。
    「クマさん、お前は、ダンボだ。だんぼだ。」と、
    よく飲みに連れて行ってもらう度に、酔っぱらったKさんから言われた。
    「がんばれ。採用されるんだぞ。お前は、先生になるんだぞ」だな。
    どれだけ二人は、彼のその言葉に励まされたことか。
    ダンボとは、松浜弁で、「馬鹿」という意味の言葉だった。
    私とJさんにとって、この言葉が何よりもの愛であり、励ましでもあった。
    だから、今も、こちらから望んで、飲み会に付き合ってもらっている。

    私と、Jさんとは「腐れ縁」の仲だった。
    きっと私のことを一番理解してくれている友は、彼だろうなぁ。
    二人にもいろいろあったが、採用が同じ歳だった。
    それも、私が32歳で、彼が31歳だった。
    彼は、坐禅する人で、連休には山奥の道場だし、毎日2時間は座っている。
    そんな二人の出会いは、まさに、奇跡だった。

    そうやって振り返ってみると、人生とは、奇跡の連続なんだ。
    ただ、そのことを奇跡だと信じられるかどうかで、
    その人の生きる意味は違って来ると思っている。

    何事も感謝だ。何事も奇跡なんだ。意味の無いことは一つもない。
    そう信じて生きている私には、その信じた通りの出会いであり、出来事になっている。
    いつもいつも全てのことは、恵なんだと、ありがたく感じている。

    Noismに出会ったおかげで、敬愛するヨガマスターに出会い、TETTOに出会った。
    そして、J&Yと出会い。チーズとワインのハーモニーが始まった。
    Jazzとの長い長い付き合いと追っかけで、
    大好きなJazzの歌い手と演奏家たちと知り合いになった。
    そのおかけで、シンさんのお店でconcertを行い、打ち上げまで声をかけられた。

    同じ小学校に勤務したおかげで、Kさんと、Jさんに出会えた。
    そして、2人には本音で語れる。自分のあるがままでいられる。
    お互いでお互いのことが大好きで、尊重し合っている。
    まさに、love&risupektだな。
    そうした人との出会いは、奇跡なんだな。

    そして、65歳になったら、フリースクールをと夢にみていたら、
    向こうからその学校を自力で立ち上げ、実践している先生が向かいに座っていた。
    それこそが、奇跡、奇跡ではないだろうか。

    願うことだ。求めることだ。信ずることだ。期待することだ。そして、祈ることだ。
    その人には、いつか必ず「奇跡」と呼べる瞬間がやって来る。
    本当にそのことを信じて、期待しているかの話だ。

    やっと今、復活した。
    平常に戻った。
    そして、これから午後5時から、北区のKさんとリモートでのちょい飲みだ。
    かれが4月に退職してから、このリモートでの「ちょい飲み会」が始まった。
    この出会いもまた、「奇跡」なんだな。

    奇跡は、日常に在るものだ。
    それを信じられる人には、きっとその奇跡の瞬間は到来する。
    それを、信じられるか、どうかだなぁ。

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