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  • from: クマドンさん

    2020年09月11日 07時22分23秒

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    魂の人に

    生き方が変わる。
    その時は、どんな時なのだろうの「問い」だ。
    私もこんな愚かなでくのぼうの私でも、
    きっと20年・30年前の私とは、生き方が変わっているはずだ。
    どこが、どう変わって来たのかは、
    それは「こうだ」とは、指摘できないが。
    私は、確かに「変わって来た」ことは事実のようだ。

    あの猛暑が、どこへ去ったのか。
    あの耐えられぬ、窒息しそうな、身体を衰弱させたあの日差しは、
    どこへ去って行ったのだろう。
    つまり、既に、変わったのであり、
    もう、あの猛暑は、どこにも今は、存在していないのだった。
    全てのものは、変化する。
    実に、そんな自然のあるがままを、今朝も私は体感している。

    生き方が変わるということも、
    きっとこの季節の移り変わりと同じなのではないだろうか。
    人は、そのために、心の深く深くからやって来る「問い」を持ちつ、
    今、ここを、生きているのではないだろうか。
    私は、思う。
    その「問い」の無い人は居ないはずだと。

    「生老病死」の問い。
    「孤独」の問い。
    「生きる意味」の問いだ。

    きっと私は、自らそのことを知らぬまま、
    その「問い」に促されて、その働きによって、考え、悩み、生きて来た。
    つまり、私があっての「問い」ではなく、
    「問い」があっての、私だったのだと言うことだ。
    季節がこうして移り変わるのは、
    勝手気ままに行われることではなく、
    大いなる自然の摂理からの働きかけに、従っているから起こることだ。

    もし、その促しや、働きかけを阻止して、
    自分勝手な道を我がままに進んだとしたら、
    この地球の環境は、直ぐに破壊され、全ての生物は死滅する。
    つまり、生きて行くためには、
    その自然なる「促し」や「働きかけ」に、
    自分を捨てて、素直に、従順に従うことなんだな。

    しかし、その「促し」や「働きかけ」のことをすっかりと忘れて生きて来た私。
    でも、その「促し」は、こうして日々の生活の中での「問い」として生まれる。
    私は、きっと、これからも、この「問い」とは一体で生きるだろう。
    だから、生きることとは、「問い」であり、
    池田晶子さんが言ったように。「悩むな、考えろ」なんだと思う。
    私のこの大いなる「問い」との旅は、
    思春期になり突然闇の中に立たされた不安感・孤立感・無力感から始まった気がする。
    絶望は、ある意味「問い」の胎盤だった。

    人は、いつ、いかなる時に、その生き方の方向を変えるのか。
    それを、先人たちは「回心」と呼んでいる。
    その「回心」こそ、その人の人生と言う旅の季節の大いなる転換点だ。
    その転換点は、実は、「問い」を持たせられてこの世に生を受けた人には、
    全て必ず与えられているものだと、私は気付いた。
    振り返ってみれば、私には、その転換点が、数々あったからだ。

    その時、それを転換点として認識し、その意味を理解し、
    その通りに決断し、行動するか。
    そのことを我が事として、自らの生き方として、
    それを引き受け、それを信じ、それに向かう決意をするか。
    その決意で、その点を、回心の点とするか、
    ただの通過点とするかで、その人の人生の生き方は全く違うものになる。

    ラジオ深夜便「明日への言葉」から、
    きっと私は、その人はいつ、どのような瞬間に「回心」するのか。
    そして、その点に立たされた時、人はどのような決断をしたらよいのか。
    そして、その後も、その人を導いている「意味」とは、何か。
    私は、いつもいつもそのことを学んでいる。
    朝4時5分。
    腹這いになり、A4のコピー用紙に、メモを取りながら、
    私は、その人の「回心」の決意を学んでいるような気がする。

    木下すすむ(漢字が分からない)さん、
    世界的な鉛筆画の大家だった。

    しかし、彼も不遇な時代を欝々と生きた時がある。
    高校中退・美大も出ていず、富山大学の美術の教授に認められ、画家となった。
    しかし、貧しさの生活保護を受けての実家だった。
    掘っ建て小屋に住み、母は知的な障害がありホームレスとして全国を放浪した。
    高校時代、あまりに腹が減り、パン屋からパンを万引きして捕まった。
    児相で当時の校長から一冊の本「レ・ミゼラブル」を渡された。
    「ああ、俺だ」の深い深い気付きだった。

    教授の勧めがあり、ニューヨークで彫刻の修業をする。
    しかし、全くものにならず、売れなかった。
    もう、俺は、だめなんだ・・・と、失意と絶望の中で欝々して帰国した。
    そんな時、彼の精神状態を心配した友人が、
    新潟の温泉に連れて行ってくれた。
    帰る前夜のことだ。「ごぜ唄を聴く会」があると誘われた。
    何で俺が、そんな聴いたことも無い日本の古くからの歌を聴かねばならぬのか。
    しかし、他にやることがないのだからと、会場の部屋の畳に座って、待った。
    登場したのは「小林ハル」さんだった。

    その歌声を聴いた途端「びっくらした」「金縛りにあった」
    そんな自分に「いったい俺に何が起ったんだ」の驚愕だった。
    「こんなにすごい人が、いるんだ」と、思い。
    「この人だ」と、心に決めた。
    ハルさんに、モデルになって欲しいと告げると、即座に断られた。
    しかし、諦められない。
    彼は、2年間ただハルさんの話を聴くために東京から新潟に通った。
    絵を描く前に、「その人を知る」ことが大切だと信じているからだ。

    彼は、とうとうハルさんから承諾を得た。
    そこで、画材として選んだのは、鉛筆だった。
    ハルさんの生き様を表現するものは、鉛筆だの気付きだった。

    彼の信念だ。
    「私には、まだまだ体力があり、好奇心がある」
    「だから、たとえしんどくても前へ進む。そのことが大事なことだ」
    「生きるためには、ここから、一歩だ」
    「どんなに苦しくったっても、とにかく一歩を進める」
    「進まないで失敗したら、ダメージはそれだけ大きくなりますね」だった。

    ハルさんと見(まみ)えた。
    動けなくなった。これは何だ。圧倒される迫力に言葉を失った。
    ここまで人を圧倒し、感動させる力をもつ人がいる。
    その人は、その人生の荒波・風雪・試練・困難・哀しみ・痛み・絶望・孤独。
    それに耐え忍び、一歩一歩生き続けて来た人だ。
    そして、その人をそう生かして来たのは、
    きっとその人の魂の声なんだ。

    ハルさんのあの母だ。
    ハルさんのあの意地悪な親方だ。
    ハルさんの最後に出会ったあの優しく温かな親方だ。
    みんなみんなハルさんの魂に刻まれた。
    それがハルさんの小さな全身から絞り出すあの歌になる。

    あの映画の監督大滝さんは、それに打たれ、17年間かけて魂の映画を創った。
    そして、木下さんは、鉛筆画でハルさんの絵をずっとずっと描き続けた。

    ハルさんには、ハルさんの「回心」「転機」の時があり、
    木下さんや、大滝さんにも「回心」「転機」の時がある。
    そして、私にもきっとその「回心」「転機」の時があったはすだ。

    その時を迎え、その時に気付き、その時を「今だ」と決意し、一歩を進める。
    その時なんだろうなぁ。
    きっと自分の人生の新たな季節を迎える時は。

    ノンフィクション作家柳田邦夫さんの話だった。
    1992年 彼が57歳の時、彼の次男は自死の果てに脳死となった。
    自分の人生の中での大打撃を直撃で受けた時だ。
    次男は、高校で心の病となり、大学受験に失敗をした。
    しかし、入学できた大学には通えず、5年間引きこもりを続けた。
    作家として家に居た柳田さんは、そんな彼とよく話したそうだ。
    しかし本心の本当の深いところは、分からなかったと言っている。
    それは、次男本人もそうだったのだとそうではなかったか。

    11日間、脳死のままICUだった。
    柳田さんは、何も言わず人工呼吸器をつけて眠っている彼に向かった。
    すると、脳死の息子からの「問い」が伝わって来た。
    それを、「魂のコミュニケーション」と言っていた。
    「人は、死んでも生きている」
    「精神性の生命は、死んでも死なない」
    絶えず「問い」続けられ、つつかれ続ける息子の声を、柳田さんは聴き続けた。
    「それが、魂なのではないか」

    「その魂は、肉体が滅びも、けっして、滅びることはない」ものだ。
    「そのことに気付かされた時、これが息子からのメッセージだ」と思った。
    「その瞬間、私のスイッチが切り変わった」
    「私がこれまでやってきたのは、地球の表土を掘り下げただけだった」
    「もっと深いところに、実は、根本的なものは存在している」
    「それは、もっともっと心の深くだ」

    「これは息子からの「問い」かけだ」
    「むこの気付きは、しかし、扉をただ開けだけなんだ」
    「今、私は迫りくる年齢のことを考えつつも、
     書こうとすることを先延ばしにしている」

    人は、魂で生きている。
    その魂は、「問い」として、自らの存在を顕している。
    その問いは、その人の試練の中、苦悩の中での微かな光だ。
    その「問い」への応えは、なかなか見出せるものではない。
    だから、人は、問いをやめない。問い続ける。問いに呼ばれる。
    それは、人が魂として生きているからだ。
    精神性の生命は、肉体が滅んでも、滅びないと言う確信だ。

    池田晶子さんが言っていた。
    「私の中の魂だとばかり思っていた。しかし、違った」
    「魂の中の私。そう考えると全てのことがすっきと明らかになった」
    ・・・原文が無いので、私の勝手な意訳です。ご容赦を・・・

    ここに記した人たちは、魂の人なのではないだろうか。
    私も、その魂の人になりたいものだ。
    そこに気付くかどうかで、人の生き方は全く違うものとなるはずだ。

    魂の人に。

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