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  • from: クマドンさん

    2020年09月16日 06時07分56秒

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    ルネッサンス何だな

    アフター・ウイルスだ。
    私たちは、この後、どのようにな社会を形成するか。
    今までのようにして、他者任せで何とかなるだろう社会でいいのか。
    それとも、ここで明らかになった現状と不具合を改革・改善して、
    よりみんなが生きやすく、幸福感を味わえる社会とするか。
    その選択の岐路に私たちは、今、立たせられていると言う自覚はあるか。

    ある学者が言っていた。
    こんな生物体として裸で生まれた弱い人類がどうして生き延びてこられたのか。
    それは、「利他的ヒューマニティー」を人が大事にしてきたからだそうだ。
    弱い者が生き延びるためには、連帯・協力・相互扶助・助け合いが求められる。
    つまり、ジャングルや砂漠の中でも生きていけるためには、
    お互いがお互いの持っている力と知恵とを出し合い、
    共同で働く必要があるということだった。

    それを「思いやり」と表現する。
    つまり、独りが生きて行くためには、みんなが一緒に生きて行かねばならない。
    そのことをちゃんと祖先たちは知っていたということだ。
    だから、その中の強い者は、弱い者のために生きて来た。
    持てる者は、持たない者に分け与えて生きて来た。
    つまり、あるパイをみんなで平等・公平にシェアして生きて来たということだ。

    その「みんなで生きる」・「共生」の意識があれば、
    その命に対する軽重は存在しない。
    かえって、弱い存在に対しては、助けてやろうと言う優しさが生まれる。
    「いつか私もそうなるだろう」
    「私がそうでなかったのは、あの人がそうであったからだ」
    「そうやって生きて行かねばならないあの人は、可愛そうな人だ。何とかしよう」
    そこに、「慈悲」が生まれる。

    実は、人は生まれながらに慈悲の人なんだ。
    みし、その慈悲を自分の心に感じたなら、
    それは、後から与えられたこと、学んだことではない。
    それは、ずっとここにあり、忘れていただけのものなんだ。

    ところが、人は、いつしか「自分だけ良ければ、それでいい」となって行った。
    分け与えるのではなく、他者のものまで奪うように成って行った。
    そして、多くを蓄えた者が、富のある者となり、権力を持つようになった。
    つまり、「平等」「公平」では、その富と権力に正義はなくなる。
    だから、みんなを騙した。
    「みんなにもそうなれる可能性があるぞ」
    「みんなはその競争の中で勝ち残らないといけないぞ」
    「優秀な人になれ。その人だけが、この富と権力を手に入れられるエリートとなる」
    「負け組になるな。惨めに生きるな。そのために、権力にすり寄れ」
    学校教育で教えられていることは、これでしか過ぎなかった。

    「人は、何の為に生きるのか」ではない。
    「生きていると言うことは、どういう意味なんだ」なんだな。
    この違いを、この国の教育は教えない。
    そして、こうした競争社会の中での勝者になれと言い続けられ、
    その教えられたまま敷かれたレールをばく進し続けることで、
    いつしか分断と対立と差別の中に追い込まれ、
    その犠牲者の1人と化する。

    この道には、絶対に人の生きる「幸福感」は存在しない。
    何故なら、この道に「平和」「平等」「自由」は存在しないからだ。
    この道を信じようと歩き続けて来た人たちは、
    今、ここで、「幸福感」を味わいつつ生きているのかの「問い」だった。

    ウイルスは、いつの時代も人類に大いなる「問い」を与える。
    生き変わり、生まれ変わることを、求める。
    このままでは、人類そのものが滅亡するからだ。
    もし、どこかの大国の愚かなリーダーがボタンを押したとしたら、
    もし、小さな国の領有権を巡って大国が武力で侵略を行ったとしたら、
    もし、そのことをきっかけに、このパンディミックのように、
    世界中で同時的に戦争が勃発したとしたら、
    人類は、瞬く間に滅亡・絶滅することと予想できる。

    だから、ウイルスは、人類に警告を発した。
    もし、人類が滅亡したら、ウイルスの宿主がいなくなるからだ。
    こう考えると、ウイルスは、今、ここで、人類が回心することを求めているのだ。
    そのために、まず国の裸の王様を、そのトップリーダーの座から引き下ろした。
    このウィルス禍がなかったら、その愚かな政権はまだ長期に渡ったことだろう。
    そっちの方が、ウイルスよりも恐ろしい気がする。
    まず、一つの国家の方向を問いただすきっかけとはなっている。
    だから、せっかくのこの機会にまた愚かな道を踏襲してはならないのだ。
    そのことを、全ての国民は、願っている。祈っている。

    昨日、三重の友とリモートで語り合った。
    「私たちは、騙されていた」
    「間違った生き方を、それしかないと教え込まれて生きて来た」
    「仕事なんか、自分で考えて何度でも辞めて、替えればいい」
    「退職するまでしがみつかなくてもいい」
    「どうしてもこの会社で生きて行かねばならないから、忖度する。すり寄って行く」
    「本当のことを言うと、上司から嫌われる。だから、黙っている。我慢する」
    「しかし、おかしいことは変わらない。そのことを見過しにはできない」
    「それが半澤直樹だな」
    「彼は、正しいことを行うためには、出向も仕方ないと割り切っている」
    「それだけの腹がないと、あの上司に対する激烈な言葉は吐けない」

    腐った体質が、あの大銀行だった。
    ならば、今後、このような腐敗・不正が行われないためには、
    その隠ぺいされた事実を暴き出さねばならない。
    そして、その責任の所在を明らかにし、
    その罪を公にして問わねばならない。
    それは、この腐り切った銀行を再生するための大事な禊なんだ。

    だから、あれだけの視聴率。
    あれだけのネットでのメッセージ。
    あれだけの興奮と感動だった。
    ここを見過し、またまた隠ぺいし、罪を闇に葬り、知らぬ存ぜぬ。

    しかし、もうそのことをこのウイルス禍で苦しみを経験した国民は、
    赦さないのではないだうか。だな。

    ウイルスは、この国の裸の王様を失脚させた。終らせた。凄すぎる力だ。

    では、私たち国民は、どうするのか。
    ウイルスが去った後、やれやれとまた、あの腐敗した社会・世の中に戻ろうと、
    思っているのではないよなぁの「問い」なんだ。
    「利他のコミュニケーション」「慈悲の社会」にかるのか、
    今後も「競争」「搾取」「分断」「対立」「差別」「格差」の社会に戻して行くのか。

    実は、ウイルスは、そのことを「問う」ために、
    この人類への災いとなったのかもしれないと、ふと思った。

    「何ために生きる」のではなく、
    「生きるとは、何だ」という根源的な問いを持ちつつ、
    その答を求めつつ、新たな「人を大切にする社会」の形成に向けて、
    本当は、今こそ、歩みださねばならないのだと、私も考えている。

    あのペストとがカトリック教会の権威を崩壊させ、自由をもたらせた。
    「ルネッサンス」が、今、ここなんだな。

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