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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020年09月19日 13時41分01秒

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    定をもつ。問いを続ける。

    夜中の三時に目が覚めた。
    私はダイニングの椅子に座っていた。
    目の前のテーブルに食べ終わった味噌味のカップヌードル。
    菊水一番搾りの空缶。
    ああ、私は、酔って帰って来て、ここでまた飲み、
    そのまま眠ってしまったのか。
    その現実に気付くまで、しばらく時間が必要だった。
    いつも3時40分には起きている。
    何だかそれから寝るのもなんだが・・・布団に入ることにした。

    最近、飲み過ぎたわけではないが、これが多くなった。
    帰って来ると腹がすいている。
    だから、何かあるかと冷蔵庫や鍋の中を検索する。
    すると、ちょうどよいものに出会う。
    そして、日本酒を用意して、またそこで飲みだす。
    とひろが、いつもその途中で前後不覚に陥っている。
    気がつけば、缶の日本酒は半分も残っている。

    歳だなぁと、そんな時は考える。

    会議に二つだった。
    午前中は緊急の招集だった。
    私は、そのために役員としての意見をA4 2枚にまとめた。
    詳しくはここには書かない。
    しかし、とにかく訳が分からないことに対して、
    私はとことん腹を立てていた。

    教師と役員との会議だった。
    私は、真っ先に意見を述べさせてもらった。
    辛辣に、明確に、それはおかしいとの態度の表明だ。
    実は、私は、どんな会議であっても、
    そこで感じ、考えた自分の意見は言おうと思っている。
    それは、歳だから、次の機会にはきっとないと思うからだ。

    だから、その擬態に対しては、はっきりと物を申す。
    ずばっと、言いたいことを語る。
    「感情的にならないでください」と、教師からはたしなめられる。
    それでも、激情そのものの私だった。
    私は、それでいいと、思っている。
    言いたくても言えない人たちの意見や考えだ。
    大きな声で言える私が言うこととしている。

    しかし、その気持ちは、私の誤解から生まれたことを察した。
    来県する本人に、教師が電話でその真意を確かめたからだ。
    私が想像していたことと違っていた。
    逆に、私たちが心から願っていたことの裁定のために、
    わざわざ超多忙の中から、静岡県から3名の理事の来訪だった。
    その声を聴き、何だかありがとくて感謝した。
    心がジーンとして、涙が出そうだった。
    こうして、真意を理解すると、私はころりと前言を訂正する。
    これも、歳をとり、柔軟になったおかげさまだ。

    午後のもう一つの会議は、まるで黴の生えたような会だった。
    何十年間、このお年寄りたちは、これを続けて来た。
    研修であるが、何の学びも、意欲も起らなかった。
    「このまま」を「そのまま」に「ずっと続ける」
    変えようともしないし、変えたいと言う声も出さない。
    歳をとくことは、変化を恐れることでもあった。
    「慣れた」もの。「伝統」そのもの。「いつもの」もの。
    そんな沈滞した空気感に、私は驚いた。

    しかし、ここでは絶対に発言はしない。
    70歳代のベテランばかりの集まりだった。
    そのことを自分の名誉として、誉として、
    表彰されることを待っている人たちだ。
    だから、これでいいし。このままがいい。
    そこでもしか私が何か意見を言ったとしたら、
    「何がこの新参者が。何も分からない者は黙ってろ」だな。

    つまり、午前の会では、私は「役員」としての意見を求められた。
    午後の会では、私は参加人数の1人であればいい。黙っていることだ。

    帰りに家電のお店に寄った。
    平日の午後、こうやって買い物ができることは嬉しいことだった。
    カメラを紛失した。
    それをどこに置いたのかの記憶さえ紛失した。
    だんら、捜しようも、訪ねようもない。
    それで、3万円代の安いデジカメを物色することにした。
    ところが、カメラが全く品薄状態だった。
    デジカメが少なくなったのは、みんなスマホで写真を撮るからだった。

    私のガラ携は、昼に明るいところで画面が見えなくなっている。
    時々、いつの間にかシャットダウンしていることがある。
    「あなたの携帯は、もう修理できません」の警告が何度も届いた。
    私は、これで充分なのだが、現実はなかなか厳しいようだった。
    そしたら、スマホ売り場に、ドコモの手ごろな機種があった。
    それを手にとってい内に、若い男性の店員さんに声をかけられた。
    「今なら、お得なサービスがつきますよ」
    私は、いつのまにか椅子に座り、若い女性が私のことを応対していた。
    「これも何かの縁だな」゜替え頃なのだ」と思い、見積もりをしてもらった。

    すると、割引とクーポンを使うと、何と4万円近くの携帯が無料となってしまった。
    そして、月々の料金も最低の設定で大丈夫とのことだった。
    私は、そこでは即答をできなかったので、「帰ってから聞いてみます」と、
    彼女の名刺と見積もりを持って、帰宅した。
    何と、ひょんなことから、ガラ携からスマホに機種変更となるかもだ。
    歳をとってからの新たなチャレンジもいいかもと、
    私は、この連休で挑戦することにした。

    夕方から、飲みだった。
    相手は元同僚の女性だ。
    実は、私はその人の心の悩みの相談を受けている。
    彼女は新たな職場で、絶望的な心境に陥り、鬱のようになってしまった。
    眠れなくなり、職場へ行くことが不安で、
    いつも同僚が悪口を言っていると感じている。
    ところが、こうした話は、信頼できる人にしか話せないものだ。
    私は、経験者であるから、彼女の話には親身に相談にはのれる。
    そのために、2~3カ月の1回、こうして話を聴くことにしている。

    その時なんだな。
    話を聴きながら、生ビール・赤白ワイン・焼酎のロック・酎ハイと、
    値段が飛び切り安いことをいいことに、飲んだ、飲んだ、飲んだ。
    つまり、弱くなったのではなく、本当に異酒を次々と飲みほしたのだ。
    彼女の話は、なかなか深刻な話であった。
    それは、私としては深く深く共感できる話だった。

    人は、ここまで生きていると、誰にも言えない話の1つや2つはあるものだ。
    その話をお互いにした。
    そして、話はいちしか母親と娘との話になった。
    母親と娘との確執・対立・不和、そして、愛情不足。
    人は、やっぱり深く深くで愛されることを求めているものだ。
    しかし、親子でそのことが成り立っていない時、
    子どもは何も言えずに、深く深くで心に傷を負う。
    親子関係は、無意識のままでも、大人になって大きな影響を人生に与えるものだ。

    しかし、人を愛せない人。愛し方を知らない人もいる。
    その人が母親だったら、どんな子ども時代を送ることとなるか、
    それは、想像できることだ。
    しかし、私が知っている人には、
    そうした母親からの愛を乞うていた人がけっこういる。
    特に、母親と娘との関係だった。

    そして、大人になってからも、その虚しさが解消されていないために、
    何か生きづらさを感じ、不全感、孤独感、自己否定感を感ずるもののようだった。
    自ら乞うても与えられなかったとしたら、
    娘は、その母に対してどんな感情を抱くだろうか。

    確かに、もう取り返しのつかないことである。
    人生のことは、全て不可逆なことだ。
    時間を撒き戻すことはできない。やり直すこともできない。
    そして、その相手の人の心や性格を変えることもできない。
    その人が、母親である。
    その人の子として生きる。
    そのことも定として変わらない事実だ。

    人は、そうした不条理の中を生かされている。
    しかし、そのことを自ら「問う」た彼女は、心理学を学び、
    カウンセラーの資格を取得した。
    その母親のえかげで、彼女は人の心の悩みを聴く人となった。
    そして、いつか、その人は菩薩のように、
    他者の幸せを先に考え、実行する人となった。

    何だか実に不思議な話だった。
    しかし、人生とは、全説明の出来ない不条理であり、定なんだ。
    そのことが、彼女の話を聴きながら、改めてよく分かった。

    大きな課題を与えられ、その解決のために役員とならされた。
    1人の先輩が引退したおかけで、私は平日休みをとってかび臭い会議に呼ばれた。
    そして、壊れる寸前のガラ携のおかげで、スマホに変わらねばならなくなった。
    みんな、私が決めたことではない。
    振り返ってみたら、私の人生の大本・大筋は、決められて、与えられたことなんだな。
    だから、その与えられた役をどう生きるか。

    昨日、彼女に言ったことは、
    「その不条理を不条理として受け取り、
     どういきたら自分が幸せな人生を生きられるのか、
     その「問い」だけは忘れずに続けて行こう」
    という、ことだった。

    そして、その問いを問い続けている人にだけ、
    人生は深まり、本当の幸せと出会う機会が与えられる。
    そのことを信じて、お開きにした。

    午前中のヨガで、最後のシャバサナ(仰向けで寝る)で大いびきだったそうだ。
    さてさて、どんな定めであろうが、それを受け入れ、
    そのことを自分の幸せとするためにはどう生きたらよいのかの「問い」
    これだけは、ずっとずっと持ち続けようと思っている。

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