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  • from: クマドンさん

    2020年10月11日 07時33分57秒

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    豊栄駅前「鳥安」にて

    昨日は昼飲み、豊栄駅前の「鳥安」だった。
    この店は、忘れられない焼き鳥屋でもある。
    あの40代でビオトープに燃えていた頃、
    よくよく通った店であるからだった。
    着物姿の女将さんの笑顔がとてもいい。
    いつもあの笑顔と声とに癒された。
    そんなお店が、豊栄駅前にある。

    この4月に定年退職したKさんだ。
    実は、彼にもいろいろと苦難があり、失意があり、どん底があった。
    その相談を私がまだ40代の盛りに受けた。
    私は、絶対にこの仕事を続けることを、彼に話した。
    彼は、肯き、またそのどん底へ戻って行った。

    人生とは、予想もできない展開の日々だ。
    そんな相談を受けた私が、鬱になった。
    すると、あの夜、新潟駅前の「くし吉」で彼が語った気持ちが、
    自分のこととしてよく分かった。
    私は、半年間の自宅療養だった。
    仕事に復帰できるのか。もし、駄目だったらどうやって家族を・・・。
    そんなジレンマの中で悶々とした日々だった。

    そして、私は、3年前に定年退職を無事に迎えた。
    自分でもその日が来たことが、信じられないできごとだった。
    本当に長い長い山旅を終えて、故郷に帰郷できた心境だった。
    「好きなことをやり続けられてよかった。」
    「これまで生き方には、悔いはないな。」
    本当はよくまぁ生き延びた、起死回生した、蘇生したの連続だったが、
    その場に、そうやって立てたことに、心からの感謝だった。

    だから、彼の退職の日には、絶対に祝おうと心に決めていた。
    そして、3月、コロナの緊急事態宣言だった。
    4月、外出することすら怖くて、会うことは絶対に無理となった。
    だから、リモートで、毎週日曜日の夕方に会うことにした。
    そしたら、それまで以上にもっともっと深く深くの友となった。

    彼とは同じ職場で、たった1年間の勤務だった。
    やはり、人と人とは出会いであり、縁なのだとよくよく感じた。
    そんな彼が、「クマさん、飲もう」とやっと許可を出してくれた。
    それで、この懐かしい「鳥安」を予約した。

    女将さんがいつもの着物姿で迎えてくれた。
    笑顔といつもの優しい言葉だった。
    「俺のこと、覚えている?」と聴いた。
    かれこれ15年以上はたっているなぁ。
    「覚えていますよ。ビオトープの先生らろ」。
    その一言で、思わず女将さんを抱きしめてしまいそうになった。
    こんな私のことを、ずっとずっと覚えていてくれた人が居る。

    小部屋に入って女将さんが話してくれた。
    「いつも新聞の記事を拝見していましたよ」と。
    私のことが書かれてある記事を、女将さんは丹念に読んでいた。
    ありがたいことだった。
    女将さんのような温かな人たちが、
    こんなどうにもならないクマを育ててくれたと感謝、感謝だ。

    酒を見たら、佐渡の名酒「金鶴」だった。
    とにかく、生ビールの後は、2人で「金鶴」だけを只管飲んだ。
    約束は、「手酌」でやるだった。
    歳をとると、酒量は自分でコントロールすることだ。

    「人生は、60歳から」
    「これから、本当に面白い人生が始まる」
    「その時、こうしてお互いに健康な身体であることを感謝、感謝」
    「とにかく、しからみは捨てた」
    「残された人生はどれだけあるか分からない」
    「だから、やりたいことを先延ばしにしない」
    「やりたいことは、とにかくやってみる。やりながら考える」

    「一日の生活にルーテーンをつくる」
    「早く起きることで一日の生活が気持ちよくスタートできる」
    「午前中に何か1つ家事や庭仕事をやる」
    「テレビはつけない。あれはCMを見せる為にあるものだ」
    「身体を動かす。無理な運動ではなく、ヨガやウォークだ」

    「趣味をもつ」
    「健康第一とする」
    「好奇心を忘れない」

    それは、私がこの3年間に気付いた独りを楽しむ暮らし方だ。

    彼は、油絵を再開した。お孫さんの2歳の女の子がモデルだ。
    この期間に2枚の絵を仕上げていた。
    それから、レザークラフトわ始めた。
    こつこつと穴に針を刺し、糸を通して作品を創作する。
    そうなんだ、「創造的なことに没頭」することも、
    充実した日々のためには、とてもとても大切なことだった。
    彼は、彼なりの信念で、この定年後の自由を謳歌していた。

    「歳をっていかったな」
    「本当にこの喜びは、歳をとらねと分かんねな」
    「あの現職の頃の激動の日々が、嘘のようらな」
    「命を削ったな。だから、もう、そこには戻りたくねぇな」
    「とにかく、日々新たに、自分の一日一日を大事に味わいつつ生きること」

    「ああ、今日も終わった。ほっとした。あれをやれたな。まぁいいか」

    彼も、現役のままでの退職だった。
    しかし、もし彼が管理職での退職組だったら、
    きっと話が合わず、語り合ってもかったるいので、
    きっと彼とは、会わなかったかも知れない。
    私は、そういう人たちと居ると疲れるので、今はその席にも出ていない。

    「独り遊びを吾も楽しむ」
    そのことができる人は、歳をとって初めて生き甲斐がなんであるか悟るはず。
    伊能忠敬だな。
    隠居してから、自分の好きなことに打ち込める時間をもてるからだ。
    では、その歳になったら、それが見つかるのか・・・。
    実は、けっしてそうではないのだ。
    それまでの現職の時に、そのことの基礎基本を身につている。
    または、Kさんのように「四つやりたいことを決めていた」と予定している。
    そのことがなかったら、「今、ここ、自分から」何も始められない。

    これは、定年退職を迎えるずっと前の、
    40代・50代の現職の人たちに分かってもらいたいことだった。
    彼も、私も、そうした中でも「遊び心」を忘れずに生きていた。
    管理職になるとそうはいかない。日々の仕事の責任への重圧は半端ないからだ。

    とにかく、60歳を健康第一で迎えられることだ。
    そして、それは、通過点に過ぎないのだから、63歳・65歳まで働くつもりでいる。
    そして、「好きなこと」を今から準備して、そこから始める。やり直す。
    そうやって、この60歳からの自由を謳歌する。喜びと感動と感謝で生きる。
    そして、心打ちとけられる同志である友と語らう。酒を呑む。

    今、63歳の私と60歳の彼とは、それをしている。
    だから、日々、楽しからずやだった。

    女将さんには、「また、絶対に来るよ、来るよ」だった。
    「美魔女だなあ」と、褒め言葉も忘れない。
    表まで見送り、深々と頭を下げてくれた。
    「ここにも私の故郷在り」だな。
    Kさん、また行こうな。

    まだ4時前だった。
    液のホームで、外の策にもたれているKさんと線路を挟んで話した。
    私の手には、菊水一番搾りだ。
    発車の合図だった。
    Kさんが慌てて「発車するよ。発車するよ」と言っていた。
    目の前の電車の扉が閉まった。
    「あれっ、これが新潟行きなのか」と気付き、
    運転手さんに「私も、乗ります」と言ったら、ドアをまた開いてくれた。

    無事に3時48分の新潟行きに乗った。
    私は、まだ残っているワンカップの菊水を飲みながら、最高の気分だった。
    鉄橋の下で、阿賀野川がキラキラと輝いていた。

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