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  • from: クマドンさん

    2020年10月12日 06時31分26秒

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    細やかな私のビジョン

    朝焼けの雲だ。
    風は無い。
    さっきから起き出した雀たちが鳴きだした。
    朝の始まりは、一日の始まりだ。

    ビジョンということ。
    何をこれから、私はやりたいのかということ。
    Kさんにも話した。
    10年前20年前のように大それたことは考えていない。
    組織を創り、何かを立ち上げることの難儀さ辛さを、
    またこの歳になって味わいたくないからだ。
    また、地域におけるしがらみに巻き込まれると、
    「あれをやれ」「これもやれ」と仕事をおっつけられることもある。
    だから、そこにはもう参加はしない。

    いろいろな意味で、これまでの間で、
    それなりに自分を尽くして来たと思うからだ。
    しかし、その実績の積み重ねがもしなかったら、
    それはそれで、残念なことだったと思う。
    「鳥安り女将さんまで注目してくれていた仕事はそれなりにやった。
    しかし、もうそういうことは、いいと、私は思っている。

    それでは、私に与えられたビジョンとは何か、だな。
    昨日、「ガイロク」で、突然乳がんの宣告を受けて、
    抗がん剤治療と手術で、1年半の闘病生活をした50代の女性だった。
    「えっ、誰の話ですか」と、その宣告を実感として受け止められなかった。
    しかし、その翌日から治療に入り、人生は一変した。

    それは、明日の我が身だと、私は思った。
    何度も何度も死ぬ目にあった。
    つい最近は、自転車で猛スピードのまま電柱に溺突だった。
    未だに、肋骨と膝の痛みは癒えていない。
    それも予想外の展開だ。気がついたら電柱と激突だった。
    「ここで、終わりか・・・・」
    激痛で呻きつつ、天を仰いで、そう思った。

    でも、また蘇生した。
    さてさて、どうするか。何をしたいか。その「問い」が生まれた。

    今の職場は、11月で辞めようと心に決めた。
    まずその辞職が、次の当たらな舞台へのスタートだった。
    私は、「出雲・広島・宮島の旅」と「熊野の旅」を申し込んだ。
    この機会にまだ言ったところの無い土地に行き、
    その場に立ち、その空気を吸い、その霊気を味わいたいからだった。
    ばかにならない費用だったが、
    「今、しかない」と、この旅行を決めた。
    これが、12月のこととなる。

    次に、まだまだ仕事は続けるつもりなので、就活をする。
    1日勤務なら、週3日。午後から勤務なら週4日だ。
    そうしたパートタイム的なシフトで仕事ができればありがたい。
    今度は、老人福祉施設での介護職を目指している。
    「この歳で介護ですか」と、言われそうだが、
    本当は「この歳だから介護なんだ」と、私は思っている。

    亡くなった父や叔母のおかげで、私は介護施設に訪問できた。
    とても職員の人たちは、親切で、優しくて、温かく利用者さんに接していた。
    確かに、ベッドや車いすへの移乗。トイレのお世話、おむつ替え。
    大変な仕事の連続である。
    そんな職員の人たちを見ていて感じたことは、
    みんなとても若いと言うことだった。
    そこには、60代の人たちの姿は見られなかった。
    寝たきりの父のその気持ちを察してくれる職員はいるのかなぁ。
    身体が不自由になり、老いていく寂しさを感じている職員は・・・。
    そう考えたら、この歳になった私は、大した役には立たないと思うが、
    話し相手くらいは、できるのではないかと、そう思っている。

    実は、障害をもつ子どもたちの放課後支援、ディサービスもやろと思う。
    同事にはできないので、介護の仕事をひと段落したら、
    次は、そこへの就活だ。
    地域において、今、そこで働く人を求めていると聞いた。
    こうした仕事に進んで携わろうという人が少ないそうだった。
    仕事が無いのではなく、仕事を選ぶから、無いのが現実。
    手を借りたい。明日からでも来てほしい。そんな仕事はまだまだたくさんあるものだ。

    こうしたリタイアしたプチ老人は、まだまだ身体が元気で、活動できる。
    ならば、その身体と時間とを、そうした困っている現場で活用する。
    これは、Cさんという友から教えられたことだった。
    だから、私は、休もうとは思わない。
    これまで私がやりたくてもできなかった仕事を探し、
    その仕事を経験する。
    それが、この歳の私の生き方だった。

    それから、「フリースクール」への夢がある。
    不思議なくらいに、そっちの方向への道が付けられている。
    北海道のHさんが、「クマさんが、それをやったらどうですか」だった。
    三条のフリースクールの運営者が、「一度、うちに見学に来てください」だった。
    三重県の友が「一緒に、小針辺りでやりませんか」との誘いだった。
    私は、65歳になったら、この近くの一室で、始めようかと考えていた。
    お金はどうする・・・。
    実は、お金は大事なことだが、それを考えたら、夢は成り立たないものになる。
    「まぁ、何とかなる」そう思ってスタートしても、
    確かに、何とかなって来たことが多かった。

    さうやって考えたら、私の60代は、仕事でいっぱいだ。
    しかし、一年のサイクルを9対3で考える。
    働くのが9カ月間・休養し、英気を養い、好きなことに没頭するのが3カ月間。
    これで、1年間を回して生きる。
    「楽しからずや」ではないだろうか。

    70歳になったら、山古志か妻有辺りで、ポツンと一軒家に住む。
    自然の中で、自然のままに、家庭菜園でもやりながら、のんびりと暮らしたい。
    そこで、自然学校・不登校の子どもたちのシェルターができたら、
    尚、楽しいことだ。

    つまりねこれからは、私がやりたいことを、優先順位のトップに置く。
    仕事は、何かを続ける。それは、心と身体の健康のためである。
    困っている人。助けを求めている人。そんな人の傍らでぽつんと生きたい。
    もう、余計な気遣いをするしがらみとは、縁を切る。
    自分から抱え込むような大仕事は、引退とする。
    「のほほん」「楽しいなぁ」「気持ちいい」
    それで生きる。そうやって、死を迎える。

    これが、いつか、私のビジョンとなった。
    そのことは、確かに細やかな夢であるが、
    私のこれまでの人生の集約する物語になりそうな気がしている。

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