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  • from: クマドンさん

    2020年10月25日 07時19分06秒

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    私は、私の物語を生きよう

    激動の10月だったな。
    昨日は、朝から「びっくり腰」になってしまった。
    腰に電気がびりっと、走った。
    そしたら、曲げられなくなってしまった。
    身体が不自由であると、なかなか日々の暮らしも大変なものだ。

    あれがあるから、これがある。
    そういう意味では、全てのことは単独で存在するものではなく、
    きっとどこかで何かと繋がっての顕れだと感ずる。
    この腰の痛みもそうだった。
    寝たきり、うつ伏せ、同じ姿勢。同じ負荷。
    結果的にこの腰痛となった。

    今、ここ、自分とは、そうした連続した深い深い関係性の中での今、なんだ。
    そう考えると、やっぱり、この今、ここを、
    なおざりにして生きることはできない気がする。
    そんなに考えなくてもいいのだろうが、
    それなりに意識的に、考えつつ、生きることも大切なことだと感ずる。

    私の場合は、朝は3時40分に起床する。
    というか、そこから布団の中でラジオを聴く。
    「人がいかに生きて来たか」
    「生きて行くことでは、何が大切なのか」
    そうしたその人の物語を毎朝聴けることの喜びだった。
    どうして、人はその人の人生の物語を聴きたいと思うのか。
    時々、私は、考える。

    今朝は、オペラの歌手の稽古を支える、コレピティートゥマという仕事だった。
    彼女は、ピアノを幼い時から習っていた。
    そして、いつかこのピアノで役に立つ仕事がしたいと願っていた。
    ある先生から言われた。
    「イタリアへ留学してみたらどうですか」
    そこで、オペラの舞台監督と知り合い、この仕事を勧めたられた。
    それは、オペラのための歌手たちの歌のレッスンをする役割だった。
    ピアノを弾くだけではこの仕事はできない。
    歌も全て歌えることが前提条件だった。

    そこに、語学力も試される。
    イタリア語をなかなか理解できず、数カ月は暗闇の中だったそうだ。
    しかし、ある先生からアドバイスがあった。
    「赤ちゃんは、どうして言葉をしゃべれるようになりますか」
    「それは、じっと黙って、お母さんの話す声を聴いているからですよ」
    「だから、まず、聴きなさい。そして、耳を慣らし、耳を鍛えなさい」
    彼女は、その言葉にはっとして、只管、イタリア語の音を耳に入れた。
    その内に、少しずつ相手の話を理解して、自分でも言えるようになった。

    次に、彼女はその実力を認められて、
    ドレスデンの歌劇場に招かれた。
    しかし、そこで仕事をするためには、やはり試験はあるのだった。
    これがまた、実に実に厳しい課題だった。
    幾つかの候補のオペラの楽曲を、弾き語りするということだった。
    それから、全くの初見で演奏させる。
    そうした高い高い欲求を、プロの耳にかなう高さで、合格する必要がある。
    彼女は、見事に認められ、そこで3年間のお仕事だった。

    ところが、今度はドイツ語だ。
    彼女自身が曖昧な発音しかできないのに、
    楽曲では歌手に歌詞の発音の指導をしなければならなかった。
    「ヨーロッパで、私たちは生きています。日本人のあなたに・・・」
    それは、そうだった。
    若者たちは、そうして彼女の指導を受け入れないことも多かったそうだ。
    彼女は、そんなこともあろうと、綿密に研究した成果をノートにしていた。
    つまり、言葉ではその真意を伝えられなくても、
    そこに書かれている内容によって、彼女は彼らの信頼を得ることができたそうだ。

    オペラの中でチェンバロで、本番で演奏することもある。
    レスタチーボでは、その場に合った自由な演奏を創作できる。
    その歌手の個性や、その場の動きに合わせて、即興で演奏する。
    マエストロ―からの絶対の信頼を得なければ、それはできないことだった。

    さてさて、この彼女の物語から学べるものは何かと考えた。

    まず、「師」の言葉に従うということだ。
    「イタリアへ」と言われたら、イタリアに留学することだ。
    本人よりも、師は、その人の真価を見ぬき、課題を客観的に理解している。
    だから、「私は・・・」とは、言わずに、「はい」と跳び込む。
    「古池や かわず跳び込む 水の音」だな。

    それから、諦めないということだ。
    それは、続けるということであり、期待するということでもあるかもしれない。
    何事も自分のものとなるまでは、数年の修業の日々だからだ。
    「やれるかどうかは、天のみぞ知ること」だ。
    しかし、諦めずに自らを励ましながら修練することは、
    例え、その仕事につけなくても、その日々の修練は無駄にはならない。

    さて、課題が大きく立ちはだかることもある。
    この壁を、どうやって超えたらよいのかと、途方に暮れる。
    だからと言って、回れ右では何のためにイタリアまで来たのか分からない。
    とにかく、これをやりたいのなら、学びつつ、耐えることだ。
    「耳を鍛えなさい」との師の言葉。
    その言葉が腑に落ちたのは、彼女が真剣に悩んでいたからだ。
    真摯に自らの課題と向き合っていると、
    ふとした拍子に、答えが向こうからやって来ることがある。
    その稀有な瞬間のために、膨大なる修練の時間はあるようだ。

    新天地を求める。
    いつまでもそこに居ない。そこに落ち着かない。
    新たな場所で仕事をすることで、また、新たなる課題が生まれる。
    人は、生きていると言うことは、次々と課題を与えられる日々と言うことだ。
    何もしないで、引きこもっている人にも、それなりに大きな課題が与えられる。
    何か大きな夢に挑戦しようとする人たちに与えられる課題と、その価値は同じだ。
    「自らを超える」「新たな自分に成長する」
    課題解決とは、このことだと私は思う。
    課題には大きいか小さいか問題ではない。
    自分の課題を持っているか、持っていないかが、問題だった。

    彼女のように挑戦を続ける人には、
    神様はそれでけ彼女を愛して、大いなる課題を与える。
    課題の大きさは、神様からの愛と比例する。
    そして、神様は、その人が乗り越えられない試練は与えない。
    そのことを信じられるかどうかで、課題への向き方が変わる。

    それから、学んだことを記録することだ。
    体験や体幹わ言葉に直す。
    そのことで、他者とその体感・体験は共有される。共感される。
    そのことが無い限り、言葉を理解し合えない人同志は、分かり合えないからだ。
    「親父たちよ」で、言葉にする。
    それは、この彼女のノートと同じ役割をもつものだと私は考えている。

    つまり、彼女の物語を聴くことは、
    以上のような「生き方」を、私は改めて確認し、学ぶことでもあると考えた。
    「そうか、彼女はそうやって乗り越えたのか」
    「そうだなぁ、やはり、続けるということだな」
    「独りでやる。自分の好きなことに向かって行く」
    そんな共感を心で感じながら、私は彼女の物語を聴いていた。

    つまり、私は、彼女の物語に自分を映し込み、
    いつしか自分ならどうするかと、
    自分の物語へとシンクロさせて行った。
    彼女は彼女の物語をその人生で紡ぎ、
    私は私の人生を今、ここ、自分で紡いでいる。
    「生きることは、独りだ」
    しかし、この彼女の物語に深く深く共感する時、
    私、「独りで生きた」彼女の物語に力づけられ、勇気をもらう。
    「彼女はやった」ならば、「私も、やろう」だな。

    物語には、その人が忘れていた自分と出会うことができる「場」となれる。
    「彼女は、私だ」「私が、彼女だ」その共感と共鳴とで理解するのは、
    そうした自分も、ここに居る。生きているということの自覚だ。

    そして、目覚めたその自分が、立ち上がる。
    「私も、生きる。あなたのように」と。
    つまり、自分自身の再生であり、復活であった。
    それが感動ではないだろうか。
    本当に真実を生きている人に、私は心からのリスペクトだ。

    「エール」が今、とてもとても深く、いつもいつも魂に響く。涙が溢れる。
    「長崎の鐘」
    あの作者の眼差しと、その言葉。
    「期待」です。「希望」です。
    その言葉に何度も何度も感謝して頭を下げた古山の姿。
    あれが、師に学ぶ弟子の姿だ。
    そして、あの瞬間に、古山は新たな古山として復活した。
    古山自身が、その喜びに歓喜した。
    その時、あれだけ書けなかった曲が浮かんだ。
    東京に向かう列車の中で、窓に五線紙を磔つけて、この曲は書かれた。

    人は、そうやって生きることができる。
    では、私は、そう生きているのかの「問い」だな。
    あの作者と古山の姿に感動し、涙した全ての人には、
    その自分の中の自分が感じて、動いたことがね理解できるだろうか。
    「涙」は、その人が流すんだ。
    だから、私は、涙を信ずる。
    涙をあふれさし、時には、嗚咽して、声にもならない自分に感謝する。

    物語とは、その私に私が出会う「場」なんだ。
    きっと、その物語と出会わなかったら、
    私の中で、目覚めない私がいたままであったと思う。
    私は、私が思い、考えている私であるが、
    そうではない私も、ちゃんとここに生きているんだ。
    その私を、信じよう。
    独りで夢に向かって生きるということは、
    その私で生きるということなんだ。

    物語は、私だ。
    彼女は、私だ。
    だから、今度は、私がその私としての物語を生きる番だ。

    全てのことは、1つなのかもしれない。
    その1つを、個である独り独りの私が生きた時、
    それが物語となる。

    今朝、起きたら、いつの間にか腰の痛みが和らいでいた。
    かがんで畳の上の文庫本をとることができた。
    いつもらなにもないこの動作をね
    今朝は、ありがたいなぁと、感謝した。

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