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  • from: クマドンさん

    2020年10月27日 07時16分59秒

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    「人生フルーツ」なんだな

    何だかね。受け入れることが多くなって来た。
    違いを、違いのまま、感情を入れずに受け入れる。
    「私は、私」「あなたは、あなた」だ。

    今朝のラジオで上越市出身の落語家 白鳥さんの話だった。
    まぁ、面白い話のオンパレードだった。
    日大芸術学部文芸科卒業だ。
    学生時代は、空手部に入れられ、しごかれ、フェイドアウトした。
    とにかく貧乏で、家業を継がないと宣言したら、実家からの送金が断たれた。
    食うことがやっとの中で、一冊の落語家の本と出会った。
    そして、師匠の元に入門した。
    いつの間にか、自分は落語家になっていたという話だ。

    振り返ってみたら、人生に無駄なことは何もなかったということがよく分かった。
    もし、自分が空手部の落ちこぼれでなく、
    貧乏でパンをかじって生きていた時代が無く、
    彼女もいない、惨めな青春を味わっていなかったら、
    今の、創作落語のネタの足しにするものが無いとの話だ。

    失敗談。苦労話。人情話だな。
    ただうけて笑わせるだけでは、よい噺家とは言えない。
    何だか観終わった後に、しんみりと、じんわりとだな。
    そんなことを感じさせられる噺家になりたい。
    そこで、彼は、創作落語を専門に学び始めた。

    本家本元か言わせれば、「あれが、落語かい」「馬鹿にするんじゃないよ」だった。
    真打のベテランの師匠からは、こてんこてんとやっつけられる。
    「古典でしょ。何が、創作だい。恥さらしだよ」と、相手にもされない。
    まぁ、とことんやっつけてくれる師匠もいる。いる。
    それでも。めげない。やってやろうと、意欲を燃やす。
    それは、この創作にもお客様の心をつかむ真価があると信ずるからだ。

    私が一番感動したことは、
    「お山は、一つじゃないということですね」だった。
    「みんなそれそれがそれぞれのお山を登っています」
    「それなのに、他の山を登っている人を、とやかく言うのは、間違っているのでは」
    「それぞれが、それぞれの山を登る」
    「他の山のことは、言わない、ほっておく」
    これができないのが、日本人の爺たちだということだった。
    そのことには、私は、深く深く共感だった。

    違ったものを、違ったままに、しておく。
    せめてもは、そこだった。
    それなのに、違ったものを許せないからと、陰口・悪口の批判の対象。
    自分が気に入らないからと、ただそれだけで相手のことを悪く言う。
    生き方は千差万別、みんなそれぞれ生まれも育ちも違っている。
    ならば、考え方も、生き方も、みんな違うことが当たり前。
    なのに、野暮な都市よりは、こう言うものだ。
    「あいつは、なんだ。勝手なことをしやがって。許せねぇ」だな。

    何で、あんたの思ったように生きなければならないんだい。
    何で、あんたは、俺の言うことをきかないと、威張っているのかい。
    あんたも、その違った千の一人にしかすぎないのだよ。
    どうして、いい歳をして、そんな簡単なことが分からないのか。
    それは、どんな道に入っても同じことだと、今でも実感だ。

    私が、大嫌いな言葉に「普通」「と「みんな」と「常識」とがある。
    ある人たちは、この言葉を使って私のことを批判する。
    私がやっていることが、普通ではなく、みんなと違って、常識が無いとのこと。
    私には、そのことが私に対する褒め言葉に聴こえるが、
    とにかく、その人は、私が「分からんちん」だと、決めつける。

    そんな時、いつも思う。
    「その普通という生き方をしている人を、ここに三人連れて来い」
    「みんなという人を、ここに三人連れて来い」
    「私は常識で生きているというその常識人を連れて来い」
    つまり、この「普通」にも「みんな」にも「常識」にも、
    確たる実態や実質が存在せず。
    数量化どころか、言葉ですら証明できない幻なのだと本人は気付いていない。

    それはそうだろう。
    その本人は、この「普通」「みんな」「常識」から外れることを恐れ、
    とにかくその枠の中を生活範囲としてとらえて、
    真面目に、こつこつと他者の評価を受けながらそれなりに生きて来た人だからだ。
    つまり、その人は、自分が勝手に架空に想定した、
    「普通」「みんな」「常識」から。抜け出せず、その他の生き方を考えられず、
    実体も実質も無いこの幻だけをずっと信じて生きて来たということだ。

    さてさて、そこで問題になるのは、「自分」という存在だ。
    その人は、他者の評価ばかり気にして、
    「普通」であり、「みんなと同じ」であり、「常識」人であることだけに腐心した。
    そうやって10代を生き、20代を生き、30代となってしまった。
    さてさて、その人には、独自の「自分」は存在するのかの「問い」だった。

    落語家の白鳥さんは、学生時代から、この三つの道を踏み外した。
    そして、自分なりに「こうなるか」と思いつつも、独自の道を歩き続けた。
    そして、落語家になり、新作落語に自分の境地を見出した。
    それは、学生時代に児童文学とかかわり小説を書いていた経験があったからだ。
    つまり、独自の道を歩み続けた彼には、
    誰でもない、自分だけの道が、歳をとるにつれて確かになって来た。

    時代もそうだった。創作落語・新作落語がアンダーグラウンドで日の目を見ない、
    そんな氷河期の時代も確かにあった。
    年季の入った師匠たちから、馬鹿にされ、片隅に追いやられ、相手にもされなかった。
    しかし、今では、お客さんはその白鳥さんの落語を聴くために寄席に集まって来る。
    もし、彼が、「普通」「みんな」「常識」の道を歩んでいたら、
    56歳で、このような自分の人生の物語を語ることはできなかったと、私は思う。

    「空手部の先輩にぼこぼこにされ、貧乏で、女もいない」
    「そんな青春をおくったおかげで、今が、あります」
    そうこなくては、自分の人生の物語なんか、生きることはできないということだ。

    親から言われたまま、言われたレールをとほとぼと生きて来た。
    親が怖くて、親に逆らえず、やりたいことを諦めてここまで生きた。
    親から「いい子だ」とほめられたくて、親の顔色ばかり窺って生きて来た。
    親が褒める人のように自分も成らねばと、よい大学に進学はした。
    親からの呪縛に苦しみつつも、反抗することも、家を出ることもできなかった。

    そして、30歳となった。
    それでもやっぱり「普通」「みんな」「常識」の道を選びたいのか。
    実は、このことにいつも反発を感じ、
    そうならない道があるはずだと、はずれっぱなしで生きて来た私は、
    おもっしぇ人生らったなぁと、よく感ずる。
    道を外れてよかったなぁと、寺山修二や坂口安吾。坂本龍馬のおげさんだ。
    しかし、同時代を生きた若者たちは、必死にそのレールの上を只管走っていた。
    私は、いつもその線路の脇の草原で、そうした爆走機関車を哀れに見つめた。

    「おいおい、本当の幸福の道は、この道の外にあるよ」
    「ただし、レールの上を何も考えずに走り続けることは確かに楽だ」
    「しかし、70歳になっても、いつもずっと普通でみんなで常識の私だよ」
    「それって、あなたがこの人生で臨んだ生き方なのかなぁ」
    「このレールを外れると、広大な原野と荒野だ」
    「でも、今度は、苦労はするけど、自分だけの道をつけられる」
    「その道は、あなたが生きた証。あなたの生き方そのものとなる」
    「その道を見つけられなかった年寄りが、あなたをいじめるのは仕方ないよ」
    「きっとあなたのことが羨ましいんだよ。だから、妬ましく、疎ましいんだ」
    「その年寄りには、その独自の道はないよ」
    「だから、あなたは、あなただけの道を切り開いてはどうですか」だな。

    つまり、お互いの違いを認められる人は、
    そうやって独自の道を自ら切り開いて生きて来た人である。
    「普通」「みんな」「常識」に呪縛され、騙され、信じ込まされ、
    そのレールを外れて生きることに恐怖すら感じて70歳になった人には、
    他者の違いを認めるだけの度量と了見は見に就いていないということだな。

    せめて、自分だけのお山に登ってくれ。
    せめて、他のお山の登山者をこきおろすことだけは、哀れだからやめてくれ。

    精神的に成熟するということは、
    きっとこの違いを違いとして理解して、認められる大人のことだと、
    私は、考える。

    「人生フルーツ」

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