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  • from: クマドンさん

    2020年10月30日 07時15分13秒

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    人生は、楽しいんだな

    不思議だなぁと、よく考える。
    他の人たちは、きっと「そんなことは偶然、偶然」と思うと思う。
    私は、何でも振り返ってみると、それを「不思議なことだ」と考えている。
    そう考えると、人生に無駄なことは一つもなかった。
    そのことにかえって驚きを感じている。

    この感覚は、歳をとらないと分からない感覚かもしれない。
    特に、定年退職。現役引退。ある程度の歳をとり、
    それなりに身体の衰え、老いを感じつつも、
    僅かな不自由を感じつつ、自分の好きなことをやって生きているそんな歳の人。
    まぁ、おかげさまで、私は、復活・蘇生して今があるが、
    とにかくあれやこれやのアクシデント・事故・試練・どん底・絶望の日々。
    今は、それがあったからの「今、ここ、自分」なんだと思えるような人とになった。

    こんなにものほほんと自分の人生を受け入れられるんだの驚きだな。
    確かに、世間からはいろいろ今も言われているには違いないが、
    その世間とのしがらみ・義理・責任をとっぱらったら、
    こんなにも清々して日々を生きられるのかと、驚いている。

    それから、欲が本当に少なくなっているなぁの感慨だ。
    今、買いたいモノ・欲しいモノが、これと言って無いこの現実。
    ぜひものが、存在しない。
    あれば助かるかなぁの、冬の長袖のTシャツくらいなものだった。
    つまり、あれも、これもと自分の欲望を増幅させることは、
    今、ここ、自分を欲求不満にして、不幸せにすることの元凶なんだ。
    まず、「あるだけで満足する」「足るを知る」「求めない」
    これって、やっぱり歳をとったおかげさまな気がする。

    ドキュメンタリー映画「人生フルーツ」だった。
    あの映画を三度観た。
    観れば観るだけ意味が深く深く感じられた。
    一度だけでは、その感動の意味を理解できないものなんだ。
    おぼろげであったその意味は、二度目、三度目で、より確かなメッセージとなる。
    そして、63歳にして、やっとその「フルーツ」の意味が実感できた。

    また、50代では、そのフルーツを実感することは難しいんだ。
    つまり、その位置に立ってこそ、初めてそこにある言葉の意味を理解できる。
    フルーツとは、成熟ということだった。
    例え、身体が衰え、老いて行っても、
    精神や感性や好奇心をもっともっと豊かにして、
    人間として成熟したまま、この世を旅立って行きたい。
    私も、あの老夫婦のように生きて、死にたいと、今は思っている。

    つまり、歳をとることを、私は楽しみにしている自分だ。
    何故なら、歳をとらないと、分からないことがこの人生には多いからだ。
    身の丈に合った生活。足るを知る生活。穏やかで平穏無事な生活。
    そこに、本来、人は生きる味わいを感ずるものなんだ。

    しかし、ソーシャルだ。世間だ。世の中だ。普通だ。常識だ。
    そんな周りの価値観に縛られ、騙され、追われている内に、
    人は、その人生の貴重な時間を無駄にする。
    いや、意識しないで、上っ面、外面だけを気にして生きる。
    その生きるを決定するのは、自分では無く、他者からの評価・査定。
    その内に、アッ問に、定年退職。還暦を迎える。
    そして、気付くんだなぁ。
    「自分は、本当は何をしたかったのか」
    「自分とは、いったい何者なのか」と。

    まぁ、でもそんな立ち止まり、振り返りができる人は、まだ救われる人だ。
    それすらなく、80歳になっても「俺が、俺が」の人たちが多い。
    きっとその人は、この穏やかな平穏無事の日々の味わいを知らない。
    まだまだやれる。まだまだ名誉な仕事をやりたい。表彰状は目の前だ。
    でも、私は、もう、そこには居ない。
    全く生きることには、そこに居る意味を見出さない。
    これも、歳をとらないと分からないことだ。

    実は、FBの私のページに、毎朝、長文を書いている。
    それは、「定年退職をしたみなさんたちへ」なんだな。
    「還暦を過ぎたみなさんたちへ、日々をどう生きていますか」でもあるな。
    「みなさんは、幸せですか。幸せをどんなことと感じていますか」でもあったな。
    またまたクマが余計なことをと、思っている人も多いとは思う。
    でも、ある日、考えた。
    こうして還暦を過ぎて日々をどう生きて行くのか、
    いろいろと迷ったり、悩んだり、考えたりしている人たちも多いはずだ。
    そしたら、クマはこうしてあっちこっちぶつかりつつも、日々を生きています。
    そんな細やかな情報発信も、ありかなぁと、思ったからだ。

    これは、自分の還暦からの記録の為に書く。
    これは、「今、ここ、自分」をぶれずに生きるために書く。
    これは、「ああ、生きて来ていかったなぁ」と思える日が来るために書く。
    書くとは、それだけのためのこと。

    そうやって、64歳の私。65歳の私・・・・80歳の私だな。
    その内に、もっといろいろなことが分かると思う。
    そして、その度に「歳をとらないと、分からないだった」と、
    そのことを実感・体感した喜びを重ねて行きたいと思っている。

    死ななくてよかった。
    生きて来られてよかった。
    昨夜もカンポスで、役者さんのHさんと愉快な役者談義で盛り上がった。
    これも、生きていればこその話。
    私がシェークスピアの台詞を歩きながら稽古しているおかげの話。
    みんな生きていなければ、味わえない、人生を生きることの楽しみなんだな。

    さてさて、本日も始まり、始まりだ。
    呑んだ割には、身体の調子もいいようだ。
    さっきから雀たちが煩いように餌の催促をし続けている。
    雀たちにも一日が始まり、始まりだな。
    御同行。
    まぁ、こうした仲間たちがいてくれるから、生きられるような気がする。

    明日は、休みだ。
    懐かしい人たちに会える会がある。
    人生、楽しいことに充ちているなぁ。

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