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  • from: クマドンさん

    2020年11月06日 07時06分56秒

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    独りで居られる時間は

    今、朝焼けがとてもきれいだった。
    ところが、こうしてお日様が昇る内に、その鮮やかな色は薄れ、
    今、いつもの朝日の昇る時の雲となった。
    その瞬間を逃すと、もう元には戻れない。
    そんなことを、この朝焼けの雲から教えられた。

    その時、どうするのか。
    そうだなあと、思うことがある。

    スマホに替わってから、何だか変わったことがある。
    それは、ここに居ながら、誰かと直ぐに繋がれるということだった。
    ガラ携では、メールと電話が主な仕事。
    それ以外は、いつも携帯は鞄の中か、机の上か。
    必要な時だけ取り出して、使用する。
    または、着信があったことを知ったら、返信を送る。
    それだけのことだった。

    ところが、このスマホは、パソコンを持ち歩いているようなものだった。
    私は、メールを打つためにはパソコンに向かっていたが、
    今では、LINEだとか、ショートメールだとか、FBを活用している。
    どこにいようが、その場で、瞬時に対応できる。
    これは優れものだと重宝していたが、
    そうではないこともあるのだという気付きだった。

    スマホが傍にあると、着信が気になるようになったのだ。
    または、FBの反応の数もそうだった。
    私は、ただ、こうして独白をすることを、私の楽しみとしている。
    しかし、その時、その反応の数を気にするようになると、
    やっぱりその独白の意味が違ったものとなるとの感じだった。

    「独りを楽しむ」
    こうしてここに自分の考えや、日々の思いを記録しているのは、
    ある意味では、自分自身のためだった。
    その時、私は、何を想っていたのか。
    その時、私は、何をしようとしていたのか。
    それは、その時の瞬時の記録だ。
    まさに、この朝焼けの雲のように刻々と変化するものだと思っている。

    だから、誰かに届けと当てにして書いているものではなく、
    ずっとそのつもりで、この「親父たちよ」も続けて来た。
    この親父たちよにカウンターが無いことが、いいのだと、
    スマホを始めてそう感じた。
    人は、やっぱりヒットする数を求めるものなのだと、自分でも感じたからだ。

    「独りで生きる」
    しかし、独りで生きることは、やっぱりどこかで寂しさを感ずることがある。
    4月~6月9日まで、本当にのんびりと独りで日中を暮らせた。過ごせた。
    行くべき仕事も無く、やるべき義務も無く、ただのんべんだらりと、
    自由に一日の生活時間をセッティングしながら、行き当たりばったりだった。
    その間、働いている時にはできなかった、部屋の掃除や、庭のお世話、
    そして、断捨離を徹底した。
    「一日に一つだけ」それをモットーに、ゆるやかに、無理なくの生活だった。
    その時は、自由であるだけに、午後は予定を立てて映画に行ったり、
    自転車で遊びに行ったり、昼酒を呑みに行ったり、これも気ままだったな。

    だから、「独りが楽しい」だった。
    基本的には、独りが気ままで楽しいと、私は感ずる。
    だから、旅は、独り旅を多くする。
    小千谷の「途中の会」でも、その往復の電車の旅に心を癒される。
    それは、独りで居ると、自分自身と向き合う時間ができるからだ。
    他人と向き合っていると、他人の中に居ると、
    それだけ、疲れる気がする。時には、腹を立てたり、いらいらしたりだ。
    そう考えると、やっぱり「独り」は私のような人にとっては、
    楽なのではないだろうか。

    平日の日中は、独りでいることがほとんどだ。
    独りでの生活では、誰とも話をしない。
    犬や猫でもいたら、話し相手にするのだろうが、
    家族が居ない間は、がらんとしたこの家の中では、私独りなことが多い。
    そんな環境でも、私は、それが別に苦にはならなかった。
    みんな友たちは、仕事中だ。
    遊んでくれる相手も居ないのは、当たり前のことだ。

    だから、のんびりと独りで居られる時間は、
    貴重な時間。ありがたい時間。好きなことを好きなだけできる時間だ。
    「独りに落ち着く」
    そんな中でも、小千谷のSさんとの電話は、心なごみ、ほっとする時間だ。
    共感できる人との繋がり。気付きと発見との共有は、ありがたかった。
    お互いにそうやって、同じ方向を見ながら生きている。
    そのことの確認が、日々、とてもありがたかった。
    「独りではない」という発見も大事なことだ。

    ところが、スマホだ。
    私は、とてもとても人恋しくなっているような気がした。
    ここで即、繋がれるということは、その人からのメッセージをもらいたい。
    そんな気持ちになってしまうからだった。
    ああ、「既読」という意味が、これでよく分かった。
    「独り」で居られた私が、どこかで独りで居られない私になっていた。
    そんな動揺が、確かに、昨日あったような気がする。

    人をあてにする。
    人に繋がりたいと思う。
    人に自分のことを知ってもらいたいと願う。
    それも、ありだ。
    しかし、まず「独り」であることに落ち着くことだ、大前提のような気がする。
    まず、独りで生きる。
    日々の生活を独りで回す。続ける。心穏やかに生活する。
    そのことがあってからの、繋がるではないかの「問い」だった。

    だから、我がままのようだけれど、そっとしておいてほしい。
    独りで居られる場所では、独りで居たい。

    やはりスマホは、ガラ携と同じように、鞄の中や机の上にあったほうがいいのかも。
    しかし、繋がりたい人とは、即、ここで繋がりたいとも願うものだ。
    ガラ携の時には、この感覚はあまりなかった。
    メッセージは、ある時のこちかからの一方的なものだった。
    返信は、即は、あまり期待していなかった。
    それは、私が、そうだったからだ。
    忘れた頃に、返信が届く。それで、いかったような気もしている。

    スマホ初心者には、まだそのあたりの塩梅がよく見えないようだ。
    スマホを使う人ならいい。
    スマホに使われる人には、やっぱりなりたくないと思っている。

    「親父たちよ」も私の独りの居場所。
    そこいら辺を、ご理解願いたい。

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